飼い猫の遠吠え

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中里貝塚へようこそ (東京都北区上中里)

2021-12-20 02:19:21 | 埋没林のたしなみ
目的をもって尾久駅を降り立ったのは初めてのこと。
上野東京ライン(宇都宮線・高崎線)で駅の名前は聞いていますが、操車場以外は、何があるか分からない感じです。
駅を降りてすぐに見えるは、尾久駅前自転車駐輪場の屋上にある北斗星。操車場がある関係からでしょうか。



駅の裏手の地下通路から、尾久操作場・尾久車両センター方面に向かいます



使う人いるのかな? と思っていましたが
2人ほどすれ違いましたので、利用者はそこそこ多いようです



尾久駅から約400mほど、今回の目的地、中里貝塚に到着です



見る限りただの芝生しかない公園です



国指定史跡 中里貝塚
 中里貝塚は、ここから東側100mほど離れた現在の上中里二丁目広場で平成8 (1996) 年に発掘調査され、ハマグリやマガキの4mを超す貝層や国内初の貝処理施設などが出土し、縄文時代を見直す発見として一躍注目されました。
 この中里貝塚史跡広場は、平成11 (1999)年に発掘調査され、2m近い貝層が確認されました。100m以上も離れたこの場所にも厚く堆積する貝層が良好に残っていることが判明しました。また、貝層下から岩盤が波によって削られた並食台と呼ばれる地形を掘り込んだ土杭が発見され、地盤がぬかるむためか、土杭に通じる長さ6.5m以上の丸太 (樹種コナラ亜属) を半割した木道も設置されていました。海岸で水を使った何らかの作業場であったと考えられます。
 中里貝塚がこれまで知られていた他の貝塚と大きく異なるのは、規模の違いがあげられます。周辺での発掘調査、貝殻の散布状況、江戸・明治期の記録などを詳細に分析した結果、貝塚の範囲は長さ1km前後、幅70~100mにわたると推定されます。この面積は、他の大型貝塚と比較しても桁違いに大きいことがわかります。しかも中里貝塚の貝層は、縄文時代中期の中頃から終わりにかけての500年程の間に集中的に形成されている点からも特異な貝塚といえます。
 この東西2ヶ所の広場は平成12年9月6日、縄文時代の生産、社会的分業、社会の仕組みを考える上で重要な貝塚であることから国史跡に指定されました。
 平成17年3月 東京都北区教育委員会
(公園内掲示板より) 



4mの貝層というのですから、想像もできません。貝層剥ぎ取りの標本展示は、北区王子・飛鳥山公園内の北区飛鳥山博物館で展示されているとのこと。ここ以外にもいくつか中里貝塚のポイントはありますが、解説板程度しかなく、既に埋め戻されているため目視できるものはありません。


位置関係は、このような感じ (地図は解説板より借用)
大きさは日本最大級ということですが、鉄道の線路や操車場の下にあるため、見ることは難しそうです



何故、ここに来たかというと、ここは、関東でも数少ない埋没林の出土地の一つであるためでした。
「埋没林」とは、森林が様々な理由(火山灰・土砂の堆積・地すべり・海面上昇)で埋もれたまま、化石や腐ったりしないままそのまま木材の状態のまま今に姿を見せているものとなります。期間は様々ですが、過去の状態や生態を知る上で貴重な資料となっています。自分は、青森にある出来島最終氷期埋没林を見てから興味を持ちまして、暇を見つけては、残された場所を訪れています。記事にしているのは、数件しかありませんが、いつかメインどころは記事にしたいと思います。

ここは、東京に2カ所残るうちの1つ、「中里貝塚の埋没林」がある場所。貝塚同様に縄文時代後・晩期(約4600~3900年前)が見られるとのことですが、実物は見られません。資料:史跡 中里貝塚保存活用計画(案) でも存在していることの表記はありますが、詳細はここにはありません。

といった感じで、身近で探す古代ロマンというのも面白いものですので、皆さんもちょっと探してみませんせ。

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