153. 通貨ユーロがヨーロッパを滅ぼす (エマニュエル・ドット著 文芸春秋2018年1月号)
まず著者エマニュエル・ドットは、フランスの家族人類学者です。この家族人類学という言葉を知っている人は、かなりの学識のある方だと思います。
ドットは、世界の家族の形態を八つの型に分類し、それらと共産主義、イスラム教などとの親和性についても、言及しています。では、ドットの説を見ていきましょう。
『 スペインからの分離独立を目指すカタルーニャの問題は、ヨーロッパの単なる一地方の問題ではありません。
興味深いのは、ヨーロッパ主義者(EU統合推進派)と反ヨーロッパ主義者(EU統合懐疑派)の対立の構図が変化していることが、この問題を通じて見えてくることです。
まずヨーロッパ主義の地域主義に対する態度が変化しています。従来、EU統合に賛成する人ほど、地域主義に好意的でした。逆に、EU統合に反対あるいは慎重な人ほど、地域主義に批判的でした。
EU統合は上から国民国家を脅かし、地域主義は下から国民国家をつき崩すものだからです。
ところが今回、EU統合派ほど、カタルーニャの分離独立の動きに批判的で、EU統合懐疑派の方が寛容的、好意的態度を採っています。
私自身について言えば、EU統合派ではなく国家重視派ですから、本来、カタルーニャの分離独立の動きには批判的であるはずなのに、自分自身の中にカタルーニャの分離独立運動の高まりに対するシンパシーが次第に高まっているのを感じます。
逆にEU統合派は、本来、スペインよりもカタルーニャにシンパシーを感じるはずですが、徐々にそうではなくなってきています。 』
『 なぜこうした変化が生じているのか。私の考えでは、それは、EUがもはや緩やかな国家連合ではなく、国家から主権を奪い、それ自体が中央集権化したからです。
そこで、「反国家」のニュアンスを帯びるはずの地域主義が、「反EU」の意味を持ち始めたのです。
単一通貨ユーロや画一的な政策、緊縮財政を各国に中央集権的に課すEUは、それ自体が非常に強力なヒラルキー構造を持つ政治空間、いわば「牢獄」のような存在になってしまいました。
そうしたなかで、カタルーニャのような動きは、EU統合派から見れば、一種の「不服従」という意味あいを持ちます。逆にEU統合反対派から見れば、「理のある抵抗」となります。
たから私のシンパシーを誘うのでしょう。カタルーニャは、スペインの中でもとくに豊かな地域で、強い産業力を有しています。
こうした地域が貧しい地域を置き去りにして独立しようという動きは、これまでなら、豊かなイタリア北部のケースのように、「金持ちの地域のエゴイズム」と批判されてきました。
ところが今日、スペインの首都マドリードは、EUの中枢であるブリュッセルの指令に忠実なだけの経済政策ーー通貨ユーロの価値維持と緊縮政策ーーを行なっていて、国家としてのスペインに必要な経済政策を放棄しています。
スペインは、もはやEUの一地方でしかなく、主権国家として存在していないのです。そうであれば、カタルーニャの人々が、スペインに自己同一化する必要も魅力も感じないのは当然です。
しかもカタルーニャは、スペインのなかでも独自の歴史をもつ地域です。私の専門である家族システムの面から言うと、カタルーニャは、日本と同じ直系家族(長子相続)の地域です。
かつてカタルーニャの民族学者と交わした会話を思い出します。「マドリードの言葉であれ、バルセロナの言葉であれ、フランス語であれ、大体根っこは同じようなものですね」と私は言いました。
カタルーニャ語は、フランス語とも近いので、シンパシーを感じてそう言ったのですが、「そんなことはない!自分たちは独特なんだ!」と物凄い剣幕で反論されました。
日本も同様ですが、直系家族の地域は、「自分たちの文化は特殊で他と違う」というタイプの自民族中心主義の傾向が強いです。
政治的には、カタルーニャは、中世末期以来、代表制ーー当初は寡頭的で、後により民主的なーーの政治システムを伝統的に保持してきました。
それに対して、スペインは、ヨーロッパの絶対王政のまさに揺籃の地です。この権力集中の政治システムが、十六世紀、十七世紀の大航海時代を生みだしました。
その意味でカタルーニャの方が、歴史的により自由な政治体制を培ってきたのです。スペイン内戦でも、カタルーニャは、独裁的なフランコ将軍と戦った人民戦線の拠点となりました。
私のように長いスパンで歴史を見る者の目からすれば、今日のようなカタルーニャの動きは、まったく自然なものです。
カタルーニャは、ヨーロッパのなかでも指折りの文化の中心地で、バルセロナは、夢を見させてくれるような街です。
都市として活気があり、建築も街並みも面白い。料理もマドリードのスペイン料理よりはるかに美味しい。小さな地域ながらも、ヨーロッパ文化の中核の一つを成しています。
それだけに、カタルーニャで起きていることは、ヨーロッパにとって重大なのです。さらに言えば、カタルーニャの人々は、繊細、緻密で、単純素朴ではありません。
今回、カタルーニャ州の首相をはじめ、分離独立のリーダーたちは、ブリュッセルに、いわば「亡命」しました。
これについてヨーロッパ主義者は、「卑怯だ」「意味がない」などと批判しましたが、カタルーニャの指導者たちの方が一枚上手です。
巧妙にも、ブリュッセルというEUの中心に混乱を持ち込んだのですから。現在のヨーロッパは、痙攣を起こしている状態にあります。
英国がEUから逃げ出し、カタルーニャもユーロ圏の一地方でしかなくなったスペインから逃げ出そうとしている。
だからこそ、EU統合派も、かってなら味方をしただろうカタルーニャの分離独立運動に恐れをなし、高圧的に批判するのです。 』
『 諸悪の根源は、通貨ユーロです。現在のヨーロッパの問題は、すべてユーロに起因していると言っても過言ではない。ヨーロッパは、今、ユーロとともに死滅しつつあるのです。
ユーロは、一九九九年に決算用仮想通貨として、〇二年に現金通貨として導入されましたが、もともと九一年のマーストリヒト条約での「単一通貨を遅くとも九九年までに導入する」という合意に基づくものでした。
この条件は、九二年にフランスでも国民投票で僅差(賛成51%)で批准されましたが、私は反対票を投じました。
私自身の人類学的・歴史学的知見から、単一通貨構想は、あまりに経済至上主義的で、あまりに現実無視の企てに見えたからです。
ユーロは、ヨーロッパの歴史や現実の生活を知らない傲慢な無知の産物、机上の空想です。政治的選択という以前に、ヨーロッパの歴史と現実の厚みを知る学者として、反対せざるを得ませんでした。
一九九六年に拙著「新ヨーロッパ大全」がフランスで文庫化された際、私は序文に「もし今度、通貨ユーロが万が一にも実現してしまうようなことがあれば、この本は、
二十年後に、集団意識が存在しないなかで強引に進められた国家統合が、なにゆえに「社会」ではなく「無法地帯」しか生み出さなかったかを人々に理解させるだろう」と記しました。
ユーロは必ず失敗すると、歴史学者として、導入以前から断言していたのです。遠い日本から見れば、ヨーロッパは、一枚岩に見えるかもしれません。
家族形態、言語、宗教、文化などは地域ごとに相当異なります。これほど多様な社会に単一通貨を導入しても、絶対に機能しません。
EUのエリートたちは、単一通貨によってEU諸国の統合を加速しようとしたのです。
これは、千年にもわたるヨーロッパ史の中で培われてきたそれぞれの共同体を単一通貨によって数年のうちに融合してしまおう、という急進的なユートピア的夢想です。
貨幣そのものに世界を変える力まで与えるという無謀な試みなのです。ところが、八十年半ば以降、EUのエリートに拡がった「アンチ国家」の安易な風潮が「単一通貨ユートピア」を生み出してしまいました。
しかし、それぞれの国民経済は、通貨管理に関して独自の必要性を抱えています。
各国は独自の金融政策、通貨政策をもち、インフレ率をコントロールして失業率を改善するなど自国経済を善導しなければなりません。また独自の通貨政策に独自の財政政策が伴わねばならない。
ユーロの根本的な欠陥は、各国が、経済上、人口動態上、多様化しているまさにその時に、通貨による強引な統合を強制したことにあります。
ユーロ圏には、産業力の強い国もあれば、弱い国もあります。ユーロ導入以前には、弱い国は、自国通貨の価値を下げることで競争力を得て、生き延びることができました。
しかし、ユーロ導入によって、それが不可能になってしまいました。ユーロ圏で産業力の強いのは、ドイツです。ユーロ導入によって、そのドイツが、フランス、イタリア、スペインの産業を破壊しました。
その結果起きたのは、ドイツ以外の各国の産業破壊と失業率上昇です。ヨーロッパの各国政府が、どんな犠牲を払ってでも、ユーロの安定を維持しようとした結果、ヨーロッパ経済はマヒ状態に陥りました。
自国の「産業」や「雇用」を犠牲にしてまで「単一通貨」を優先するという愚かな政策を取り続けているからです。
ユーロ考案者は、単一通貨によってヨーロッパに平和で平等な世界が生まれると夢想しましたが、むしろ弱肉強食の世界が生まれたのです。
ユーロ推進派がとくに愚かだったのは、ユーロ導入によって、ヨーロッパの域内・隣国同士の間でこそ熾烈な経済競争が生じることを予測できなかったことです。
ドイツが競争力において優位に立ったのは、中国に対してではなく、ユーロ圏内の他国に対してでした。その結果、ユーロ圏は、ドイツの輸出だけが一方的に増大する空間になりました。
ドイツが最大の貿易黒字を引き出しているのは、ユーロ圏外ではなく、ユーロ圏内からです。ヨーロッパ経済の第一の問題は、よく言われるような「財政赤字」ではなく、ユーロ圏内部の「貿易の不均衡」なのです。
しかし、主流派の経済学者は、こうした問題を語ろうともしません。 』
『 今春のフランス大統領選では、社会党や共和党という既成政党と距離を取り、若さを売りにして政治に新しい風を吹き込むと期待されたマクロン(39歳)が勝利しましたが、メディアでの盛り上がりに反して、マクロンは見かけ倒しの人物です。
マクロンの政策は、サルコジ、オランドとあまり変わりません。緊縮財政は従来の政策の継続です。労働市場の流動化をさらに進めようとし、より過激になっているだけで、さほどのオリジナリティはない。
マクロンの特徴をあえて挙げるとすれば、彼が若いことでしょう。興味深いのはフランスでも高齢者ほど、若い政治家に魅惑されています。ですから、若さを売りにしているマクロンも、実は、高齢者の有権者の意向を反映しているのです。
マクロンは、独仏連携によるEUの再建を訴えていますが、これは通貨ユーロがある限り、フランスがドイツに服従するだけの話です。
たとえば、フランスの産業のトップの一つであるアルムストというフランス新幹線を製造する鉄道会社がドイツのシーメンスに買収されました。マクロンはこの買収を認めました。
ユーロは、主にフランスの政治家たちが中心となって考案したものですが、ユーロ創設は、「フランスの政治家が犯した史上最悪の失敗」と言えます。 』 (第152回)