チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「ナマズ博士放浪記」

2015-12-21 08:38:49 | 独学

 99. ナマズ博士放浪記  (松坂 實 著 1994年4月)

 本書は、今から35年前に、ナマズとナマズが生息するアマゾンでの釣りと旅の話です。私がこの本を紹介するのは、ナマズの釣りマニアで共感したからではなく、アマゾン河とアマゾンの熱帯雨林とそこで生きる人々について、生き生きと描かれているからです。

 私は緑の地球に於いて、最も大切なものは、何かと問われれば、川(河)と熱帯雨林と答えます。熱帯雨林は、生命の宝庫としての重要性は無論ですが、森林の木の葉によって、光合成によって炭酸ガスと水から、酸素と糖を生成します。

 熱帯雨林の木の葉から、水が蒸発し、1グラム当たり、540カロリーの熱を奪って、地球を冷却しています。川(河)は、昆虫、魚、両生類、爬虫類、哺乳類の生息する膨大な生態系です。人も川辺で生活の糧を得てきました。文明さえも大河の流域で生まれてきました。

 川は森と海を繋いでいます。ウナギなどは、深海から海から川へ、森へと旅をします。サケ、マスは川から海へ、海から産卵のために川に昇ります。その川がダムによって分断されるとき、川は衰退します。

 私達は、熱帯雨林と健康な川(河)が、失われたとき、はじめてその重要性に気付くのではないでしょうか。わずか三五年前の旅のお話ですが、そのアマゾンの主でもある、大ナマズを釣ることは、今となっては、夢でしょう。ではナマズ釣りの旅に元気を出して、出発しましょう。

 

 『 私は再び、秘境パンタナルの湿原をブチ抜くクヤバ河の上を小船に乗って遡っていた。はじめてアマゾンに来たとき、この地で黄金の魚”ドラド”を必死の思いで釣り上げた。そしてそのとき現地の人に、ここには全身金色に輝くナマズがいる、と聞いたのだ。

 そんなことウソだと思うのがあたりまえ。でも、ウソと思っても行ってみたいのが夢なのだ。日本に帰ってからも夢を見続けた。そして夢の続きを見たくて再びやって来た。

 蛇行するたびに、ジャングルに消えんとする真っ赤な太陽が見えては消え、消えては見える。ジャングルシルエットが、真っ赤な空をバックにクッキリと浮かぶ。

 よし、ここがポイントだ。船は船首をザザーッと砂場に突っ込み、止まる。私は今から見る、一年がかりの夢の続きを思うとき、全身の血がフツフツと動き燃えあがってくる。筋肉がピクピクと痙攣するのを感じるのだ。

 さっそく、用意した”現地式釣り具”を手に取り、釣りの用意だ。現地式釣り具は、70号か80号という太いナイロン糸の先に、10センチもある大きな釣り針をつける。ハリスはピラニアに噛み切られないような、針金でできている。

 重いオモリを一個つけ、餌には30センチもあるタライラ―という魚を背がけでつける。糸を頭上でグルグルとまわし、「エイヤー」と投げるのである。黄金のナマズ”ジャウーペーバー”のいると思われるポイントへ投げ込むのだ。

 あとは運を天にまかせて満天の星でも眺め、乱舞するホタルを見てロマンチックな気分に浸ていればよいのだ。漆黒の世界が訪れた。背後に迫るジャングルの城壁は、巨大な悪魔のような威圧感をもって迫ってくるが、川の水面は満天の星を映してキラキラとダイヤモンドのように輝く。

 ナマズ釣りは夜釣りが主だ。川の流れしか聞こえぬはずの奥地だが、暗闇の中で耳を澄ますと、リーンとかジーとか虫の声らしいものが聞こえたり、ときにはボーとかくクワクワとかいう鳥の声が聞こえたり、バシャンという魚の飛び跳ねる音や、

ジャワジャワというワニの餌をあさる音、ザワザワ、ゴソゴソという正体不明の音、そして心臓が一瞬止まる、ウーという猛獣の声らしきものも混じる。パンタナルの夜は休みなく生き続けているのだ。

 単純な作業の繰り返しの中、音と星の移動だけが私の心をなごませる。夢を追い、私は夢の続きを見ているのだ。果たして夢の結末、黄金のナマズは目の前に現れてくれるのだろうか?

 一日目、二日目、三日目と、長く楽しい果てなき夢の結末を迎えることなく過ぎてゆく。私はナマズの魚信を待つ間、糸を木に結び、岸辺の小魚を採集したりして長い時を過ごしていた。 』

 

 『 そのとき、糸がピーンと張り、何かがヒットした。急いで糸を手に取り、グイグイとかなり急いで手もとに引く。相当激しい引きだ。大物だ。すこし退屈していた私は一気に活気づいて、「来いよナマズよ!」 「来たかナマズ!」 と叫びながら糸を引く。

 ところが相手が突然グイグイと強く引くときは一瞬負けてしまい、糸が沖へスルスルと引っ張られるほど強い。しかし私は満身の力をこめて引き寄せる。体重八五キロの私に魚が勝てるわけがない。確実に手もとに近づいてくる。

 そろそろ上がると思ったときだ。水面に巨大な円形の影が浮いてきた。一瞬ドキッとしてブルッと震えがきた。何だこれは? 私は一瞬糸を引く手を止めた。その瞬間この巨大な円形の物体は、棒状の尾を水面に突き立てバシャと身をねじった。

 ブツンと鈍い音がして、私は後ろにもんどりうってひっくり返った。しばらく何が起こったかわからずに茫然としていた。何かやばい怪物だ。一瞬恐怖におののき、私は急いで身を起こして身構えた。

 しかしそこには何事もなかったような暗闇と静寂だけがあった。わずかに、今の出来事を証明するように水面に波紋が乱れていたのと、糸が手もとでダラリとぶら下がっていただけだ。

 しばらくして私はこの巨大な怪物の正体がわかった。”エイ”なのである。アマゾンに棲む巨大な淡水エイなのだ。オレンジに縁どられた黒いスポットのある、直径二メートルもありそうな巨大な奴なのだ。

 サメでさえも釣り上げることができる太い糸を簡単にブッちぎったスゴイ奴だ。砂場はアマゾン淡水エイの棲息地でもある。日中はめったに浅場に来ないが、夜は安眠の場を求めて浅場に集まる。

 アマゾンではピラニア以上に恐れられているのがエイだ。エイの尾にある毒針は、人間の足を一発でブチ抜く。刺されれば二、三日は激痛に襲われ、後遺症が残ることもある。

 河口から遥か何千キロも上流にこんな巨大なエイが棲んでいるくらいだから、アマゾンとかバンタナルは、それ自体が得体の知れなぬ怪物だ。(バンタナル:南米大陸のほぼ中央部に位置する世界最大級の熱帯性湿地) 』

 

 『 黄金のナマズ釣りも一晩中やっていると退屈しそうだが、そんなことはない。こんな巨大なエイが釣れて驚かされたり、ピンタードという一メートル以上のナマズや、六〇センチもある巨大なピラニアが釣れたりと、結構忙しいものである。

 ときには猛烈な引きで、暗闇の中に水しぶきがバシャバシャと上がる超大物に驚くことがある。ナマズだと思って引いてくると、突然目の前に二メートルもある巨大なワニが現れ、あわてて糸を捨てて逃げだしたこともあった。

 四日目、五日目とがんばってもいっこうに黄金のナマズはほほえんでくれない。このポイントに来る前に何ヵ所かナマズを釣り歩いた。もう、ここも移動して次のポイントを探すか……、そんなあきらめの気持ちを持ちはじめたのは七日目頃であった。

 ここに棲む黄金のナマズは、何百匹、何千匹に一匹の珍種で、数は極めてすくなく、よほどの幸運がなければ無理だ。やはり、幻の黄金ナマズは私の夢なのだ。永遠に私に夢を与えてくれるものなのだ。

 ここまでよくがんばってきた。いつの日か再び私はやって来るだろう。明日は移動しよう。今晩が最後だ。たき火の火が赤々と燃え、興奮して汗びしょりの体をさらに熱くする。

 満天の星に雲のように見える天の川。星はいまにも降りそうだ。夜の十二時頃には頭上にいつのまにか大きく丸い月が輝いている。水面はよりいっそう明るくなり、キラキラと輝く。

 対岸のジャングルがシルエットとなってぼんやりと見える。夜明けまではまだすこし時間がある。疲れたな……。全身がけだるく感じ、目もトロンとしてきた。夢から目覚めるときのように脳の記憶が失われていく瞬間だ。

 そのときだ、グッグッグッと糸が引かれる感触。なすがままに糸を持つ。何かがヒットしたようだ。しかしけだるく、全身がおねむになる寸前の、いちばん気持ちのよいときだ。

 どうでもいいや、どうせピラニアだろう、そう思いつつグイと糸を引く。相手もグイと弱々しく引き返す。グイ、グイ、グイ、半分面倒臭そうに糸を引く。ピラニアではなさそうだが大物でもないようだ。

 感触を楽しむような気分で引いてくると、”バシャン!” という音をたてて水面に一匹の魚がジャンプした。脳天をブッ叩かれたような衝撃が全身を貫いた。思わず水の中に二、三歩バシャ、バシャと入り込み、再びグイと引っ張った。

 全身に衝撃が走り、エネルギーが爆発した。金色だった。今の魚は金色だった。私は一気に糸をたぐり寄せる。飛んだ、キラッ。星あかりと月あかりを受けて黄金色に輝く魚だ。

 私は相手の抵抗をまったく無視するように、渾身の力でグイグイと引き寄せる。そして、浅瀬に来てバシャン、バシャンと跳ねる魚を見て叫びをあげた。「やった!ナマズだ、黄金のナマズだ‼」

 ジャウーペーバー……私はついに見たのだ、ついに釣ったのだ。全身金色のナマズだ、頭から尾まで金色だ。見よこの輝きを、夢は本物だった。

 私は陸に揚げた黄金のナマズのまわりを小踊りしながらまわった。手を叩いた、笑った、泣いた。やはりいたのだ、伝説の黄金のナマズは。美しい、美しすぎる。私は肌をさわり、目を見、口に手を入れ、黄金のナマズをなでまわす。

 私の人生で最もすばらしい笑顔のはずだ。午前三時のパンタナルの一角は燦然と輝いている。夜の明けるまで、私の興奮はおさまることはなかった。あゝ信じることのすばらしさ。夜明けだ。私は興奮さめやらぬまま眠りにおちた。そして再び、新しい夢を見るだろう。 』 (第1章 「黄金の郷の黄金のナマズ」より)

 

 『 突然 目の前がひらけて、巨大なうねりが見えた。アマゾン河最大の支流、リオ・マディラ河をせき止めんかのように横たわる巨大な滝、「チオトニオの滝」が目に飛び込んでくる。

 全長三キロメートルもある巨大な滝だ。対岸はボリビヤか、遠く遥か彼方に真っ黒な城壁となってジャングルが見える。これは大きい滝だ。落差こそないがとにかく広い。

 激流となって流れ落ちる水は唸り、悶え、怒り、砕け、ゴーッという轟音は腹の底に重く響く。こんなところに魚がいるのだろうか。まして、こんな激流の中をナマズが遡るのだろうか……。

 私は以前、この滝を膨大な数のナマズが上流に遡るという話を聞いていた。川をのぼる魚は、サケの仲間やウナギなどがよく知られている。だが滝をのぼる魚は、世界広しといえどもそんなに多くはないだろう。

 ましてやナマズが滝をのぼるなんて……、なかなか信じられないことだった。信じられないが、それを自分で確かめなければ反論できない。私は、マラリア銀座と呼ばれるポルト・ベーリョからレンタカーを飛ばして再びやって来たのだ。

 前回は無念の涙で引き返したチオトニオ、今度は絶対にナマズの滝のぼりを見せてくれ。今回は前回に比べ、水がかなり引いている。期待できるぞ。いっときも無駄にできない。ナマズはわれわれを待ってはくれない。

 滝をのぼるナマズの集団は一定期間をおいてやって来る。何百キロの何千キロも集団で移動するナマズたちは確実にやって来るのだ。漁師に聞くと、リオ・マディラの中流をナマズの一群が通過したとのこと。

 そろそろ、小グループがこの滝つぼに集合しだしたという。無数のナマズたちは長旅の疲れをここで休め、激流が気をゆるめる瞬間を待って一斉に遡りはじめるのだ。

 強靭な体をもった勇気あるナマズ軍団は今も激流に挑戦している。いつ滝をのぼりはじめるかわからないが、その瞬間を待つのだ。岸辺にあった漁師らしき家に行き、小さな船外機つきの舟をチャーター、滝つぼへと向かうことにした。

 舟は、ゴウゴウと渦巻く流れに必死に抵抗しながら、滝つぼにある巨大な岩場へ接岸した。船頭によれば、ここが最もナマズが遡りやすい場所なのだそうだ。滝つぼに落下してくる激流は、ときには激しく、ときにはすこし静かになる。

 ふと、足もとの水面に目を落とす。ナマズだ、ナマズがたくさんいる。それも一匹、二匹ではない、重なり合うようにいる。何だろう、バルバードか、ジャウーペラドか。灰色の奴、黒い奴、縞のある奴……、無数に集結しているのだ。

 大きなものは二メートル近いものもいる。小さいものは四〇センチくらいだろうか。なぜこんなにたくさんのナマズが集まっているのだろうか。みんな聞いたとおり滝をのぼるのだろうか。しかしこの激流を遡れるのだろうか。

 私は岩場の上に立って、ジィーッとナマズ軍団を見続けた。ナマズたちがほんとうに滝をのぼるとしたら、その理由は何なのだろう。この広い大河を悠々と泳いでいればよいではないか、なぜこんなに苦労をしてまで遡るのだろう。

 わざわざ滝をのぼらなくとも食べるものはたくさんあるはずだ。本能がそうさせるのか、それとも上流へ上流へと安全な産卵場所を求めての旅なのだろうか。

 アマゾン上流のペルーやコロンビアではしばしば大型ナマズの稚魚が大量に捕えられ、日本に輸入されることがある。これらを考えると、ナマズは上流に向かい何らかの生態的行為を起こすのかもしれない。

 ナマズの仲間は容姿に似ず子煩悩なのである。産みっぱなしでどこかえ行ってしまう他の魚たちに比べて、大切に卵を守り、子を守るものが多いのである。 』

 

 『 「あっ」。怒涛の合い間を縫うように、一匹が遡りはじめた。グイグイと波の間を力強く遡りはじめた。激しい波しぶきに見え隠れしながら確実に遡る。

 ドドーン、大きな波が全身を襲う。一瞬見えなくなる。どこ行った⁉ あっ、流されていく。しかし続いてまた灰色のナマズが一匹、挑戦してきた。ドドーン。巨大な波が襲う。襲う。消えた。また流された?

 いや今度は、わずかに露出した岩場に生えた水草の間に身をひそめている。巨大な波が通り過ぎたあと、再び力強く上流に向かう。頭と体をクネクネと力強く動かし、尾は激しく水を叩く。

 巨大な水しぶきの中に、ナマズの小さな水しぶきが、キラキラと光り散る。「がんばるのだ」 私は思わず声援を送っていた。もうすこしだ。次の怒涛が来た。「もうすこしだ、ここで負けるな」

 ゴーッ、バシャン、ゴーッ。あっ流された。水の中でクルクルとまわって流されていく。私は、”自然”との激しい闘いに感動せずにはいられなかった。滝つぼのナマズがどんどん増えてきた。

 ナマズは力強く波の中に身を突っ込む。グイグイのぼった。「のぼったぞ、立派‼ 立派‼」 ほめたたえられたナマズの姿がスーッと消えてゆく。よかったな、元気な子を産むんだぞ。私は消え去った後ろ姿に声援を送った。

 一匹、二匹のトライが次々とはじまる。今度は三匹が編隊になって挑戦してきた。一匹は左に切れて流されたが、あとの二匹は無事にのぼりきる。遡るナマズの数がどんどん増えていく。

 何十匹ものナマズが一斉にのぼりはじめた。実にすばらしい光景だ。小さな奴、大きな奴、みんなが滝という巨大な障害に向かって挑戦する。人生と同じだ。巨大な障害を乗り切る奴、押し流される奴……、人生の縮図だ。

 しかし、ここでは一方で”自然”と”人間”の激しい闘いもあるのだ。生命を賭けた闘いが。一斉にナマズ軍団が滝をのぼりはじめた頃、先ほどから長い棒を持って見ていた、私と同じ岩場にいる男たちが、身構えだした。

 彼らは岩場の上から魚を捕ろうとしているのである。三メートルほどの棒の先に大きな釣りがついている。それにはロープが結んであり、手もとで持てるようになっている。

 ドドーンと大きな怒涛が足もとで砕け散っていくと、一瞬滝つぼの岩が数メートル露出する。水の勢いが弱くなったその瞬間をみはからって、一斉にサオを持って岩の上を走りだす。

 と同時に、ナマズも岩陰から一斉にアタックをはじめた。渾身の力をふりしぼって遡りはじめた健気なナマズめがけて、サオがさし出される。グイッ、バシャン。ナマズにかかった。血の混じったしぶきが水面を飛ぶ。

 釣が棒から外れる。バシャバシャン。ロープの先を持った漁師は素早く身を反転させると、岩づたいに急いで戻って来る。ドドーン、次の大きな波が後ろから襲って来る。

 一秒でも遅れれば、怒涛のような波が人間もろとも滝つぼに押し流されてしまうだろう。実に見事な早業である(ちょっとナマズがかわいそうになるが)。

 ロープの先で暴れるナマズ、全身灰色でこれはスポット(点)がない。ヒゲがたいへん長いものが一対と、あと二対は下アゴにある。特に一番長いヒゲには皮状のヒラヒラがついている――こんなヒゲははじめて見た。 』

 

 『 またたく間に六十センチ以上もある大物が数十匹も捕えられる。なかには全身銀色に輝く美しいナマズもいる。滝つぼではあいかわらず銀色と灰色の乱舞が続く。

 すると後方に巨大な黒い影。漁師は岩場から投網を投げる。ここの漁師は投網に十五メートルほどのロープを結んでおり、一〇メートルの高さから見事に開いた投網を投げることができる。

 パッと開いた投網はその集団めがけて落下し、ザッパーン!と鉛のオモリが水しぶきを上げる。滝つぼに沈み流される投網。漁師は岩づたいにロープを持って移動する。

 そして足場のよいところに来ると思い切り引き上げる――ズッシリと重そうだ。二人がかりで引っ張ると、黒い魚が網の中で大暴れして岩にゴツン、ゴツンとぶつかる。

 網から出てきたのは、巨大な体、「黒い弾丸」の異名を持つ、ジャウーというナマズである。一メートルはあるキングサイズだ。こんな奴までが滝をのぼろうと、ここに集結していたのか。

 全身のエネルギーを使って遡るナマズを、命がけで捕える漁師。そこには自然と人間の激しい闘いがある。魚にとっては受難であるが、人間にとっても生命を賭けた仕事なのだ。どちらも負けるなと叫びたくなる。

 最盛期には何人いても捕りきれないほどのナマズがこの滝をのぼる。遡上する期間は一年のうち三ヵ月間だけだ。その間に多いときでトラック一台分のナマズを一日で捕ることもあるという。

 いったい何万匹のナマズがこの滝をのぼるのか、とても想像できない。三ヵ月間で一年分のお金を稼ぐのだ。岩場をトントンと走り抜ける人間の早業とグイグイと必死にもがき遡るナマズ。

 そこには自然のすばらしいリズムがあるのだ。一対一の男の闘いが、ドラマが演じられているのだ。ナマズの滝のぼりという雄大な自然のドラマは私を感動させずにはおかなかった。 』 (第2章 「ナマズの滝のぼり」より)

 

 『 ここ一〇年ほど。アマゾンに年二回ほど一~二ヵ月滞在し、転々と移動していてまず第一に感じることは、ナマズがすくなくなっていることと奥地へ奥地へと移っていることである。

 流域に人口が増え、汚染されていることも原因のひとつであるが、金を掘るときに多量の土砂を川に流すことや、金を採るために多量の水銀を使用していることも大きい。

 それと日本でも報道されているが、森林伐採と森林を燃やす問題もある。木を伐ったり焼いたりした後は、単純な放牧地となったり、巨大なプランテーションになったりするわけだが、一度消滅したジャングルは永久に戻ってこないのである。

 そして最大の原因の一つである鉱物資源の開発には、日本の企業が大きくかかわっているし、私たち日本人も多くの恩恵を受けていることを知ってほしい。

 アマゾンなんて遠い国の無縁なところと思っている人がほとんどだろうが、アマゾン破壊の大きな原因の一つが日本企業との合弁会社なのである。宇宙から地球上の人工物でよく見えるのが万里の長城とアマゾン横断道路(トランス・アマゾニカ)である。

 何千キロメートルにおよぶ道路が先住民族のインディオを追い払うように、ジャングルの中を延々とのびる。その道路の両側へ人が入り込み燃やし、貧相な畑をつくる。

 そして、世界一、二といわれる巨大ダムができ、東京都がすっぽり収まるくらいのジャングルを水没させる。そこに住むインディオや動物はさらに奥地へと逃げなければならない。逃げられるものはまだ幸せだ。そのまま水底に消えたものも多い。

 人の住むこともないところ(インディオは別。もともと彼らの土地)に巨大なダムをつくり、どこで電気を使うのか? 答えはその数年後にわかる。世界最大のアルミ工場ができる。

 御存知のとおり、アルミ精製には膨大な電力を必要とする。このアルミ工場も日本資本が大きなウエートを占めている。その後、世界最大の鉄鉱脈が見つかったニュースが流れる(最初からわかっていた?)。

そして世界最大の埋蔵量を持つ鉄鉱石の採掘が始まる。製鉄には膨大な電力と木材(炭)を必要とする。この炭をとるためにジャングルはまた消える。この巨大プロジェクトにも日本資本が参加している。

 アルミ、鉄、木材が姿を変えて多量に日本に輸入されてくるのである。アマゾン横断道路も巨大ダムも巨大プロジェクトもすべて、日本企業の資本参加か世界銀行の融資である。

 御存知、世界銀行のお金は、アメリカと日本がほとんど出しているのである。私はこのままではいけない、日本人が二一世紀を迎える子供たちになにかを残さなければいけない。

 そんな思いから「ピララーラ基金」という、アマゾンの空と緑と水と魚を守る運動をはじめた。この運動を始めてみて、さらに日本人が見えてきた。一部の人以外はまったく無関心なのである。

 いつも熱帯魚という生きものに接しているアクアリスト、ショップ、カメラマン、メーカー、ライター、ほとんどが無関心なのである。友人と思っていた人も無関心なのがわかった。

 お金を寄付してくれというつもりはないが、応援してあげようという声すらかけてこないのである。もう少し地球的視野でものを見る人がいないかと思う。

 私は「ピララーラ基金」を草の根運動で広げ、ジャングルをたくさん買い、そこにアマゾン自然学校をつくり、個性を求める子供、若者の自由な遊び場を提供したいと思っている。 』 (「あとがき」より) (第98回)


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