余暇日記

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猪木氏、北ナンバー2と会談…「深い話はせず」

2013-07-31 11:24:23 | 日記
北朝鮮を訪問していた日本維新の会のアントニオ猪木参院議員が30日夜、帰国した。


 猪木氏は羽田空港で記者団に対し、北朝鮮で序列2位の金永南キムヨンナム・最高人民会議常任委員長、金正恩第1書記の叔父の張成沢チャンソンテク・国防委員会副委員長と会談したことを明らかにした。

 金永南氏との会談では、「(日朝関係が)近くて遠い国ではなく、近くて近い国になるように」と伝えられたという。拉致問題や国交正常化に関しては、「私は国の代表ではないので深い話はしていない」と語った。

(2013年7月30日21時25分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T01183.htm





そもそも、何故、プロレスラーのアントニオ猪木氏が立候補?当選?訪朝?

私の知識はこのレベルである。
もともと国会議員であったことも知らなかったし。

日本維新の会から、さきの参議院選挙に猪木氏が立候補した時、
これは「政治はプロレス」を暗に示唆している、日本維新の会はメッセージ性で候補者を出すなー(笑)と思ったくらいである。


アントニオ猪木氏略歴(Wikipediaによると)

1960年(昭和35年)4月11日、興行でサンパウロを訪れていた力道山に直接スカウトされ、そのまま日本へ帰国し日本プロレスに入団。

1989年(平成元年)、「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成。第15回参議院議員通常選挙に比例区から99万3989票を集めて初当選し、参議院議員となる。(キャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」)。

1990年(平成2年)12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放された。

1992年(平成4年)7月の第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得(参議院会派で2議席目)。

1994年(平成6年)、公設第1秘書(当時)であった佐藤久美子およびスポーツ平和党前幹事長の新間寿らに、「政治資金規正法違反」、「収賄」、「右翼(日本皇民党)との癒着」、「佐川急便会長の依頼で東京都知事降板」、「税金未納」などの問題を告発される。

1995年(平成7年)の参議院選挙で落選。

2013年6月5日、日本維新の会より、第23回参議院議員通常選挙比例代表での出馬を表明。同年7月21日の投開票において、獲得票数35万6606票(同会内最多得票)で当選し、18年ぶりの国政復帰を果たす。

2013年7月25日から北朝鮮の朝鮮戦争休戦60年の記念行事に出席。

アントニオ猪木氏の師匠である故力道山
北朝鮮生まれ、実子が北朝鮮に居る。


つまり北朝鮮にパイプがある点や、実績から、日朝国交正常化要員として、日本維新の会に重宝されているということでしょうか。
支持者の内、どれだけの人がそれを知っていて、猪木氏に投票したのだろうか?



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