元衆議院議員 いなとみ修二の新着情報!!

元衆議院議員 いなとみ修二の日々の活動をスタッフがお伝えします。

被災地・宮城県気仙沼市の視察報告3:避難所を訪問

2011-04-21 | 2012年までのいなとみ修二の活動

18日中に東京に戻る必要があったため、非常に短い時間でしたが避難所も訪問しました。

移動中、街のところどころに見られた鯉のぼりの風景。被災者から被災者へ、たなびく姿に言葉のないメッセージが感じられます。

避難所のひとつ、気仙沼小学校。こちらには4月14日現在の資料で250人の避難者が生活しています。子どもの数はわかりませんでしたが、かなり多く見受けられました。体育館になかにはテントが張られ、住民が寒さ暑さと闘いながら暮らしています。

訪問することはありませんでしたが、お隣には気仙沼中学校が。この体育館には、517人の避難者が生活しているとのことです。

福岡の第4師団自衛隊が、他の師団とともにこの小中学校の支援にあたっていました。

彼ら自衛隊によって設けられた仮設のお風呂、その名も「玄海の湯」。遠く東北の地に、福岡と気仙沼の交流と絆が結ばれていることに、いなとみも喜びを隠せないようでした。

ムダ遣いをなくし、人材大国を目指し、社会保障制度を立て直す。ポスト311の現在も、いなとみの政策は変わることはありません。今後も被災地の声に耳を傾けながら、子どもたちが暮らしや教育の面で機会を制限されることがないよう、そして災害弱者をはじめとする社会の多様な構成員が取り残されることのないよう、国政への責任を果たしていきます。


被災地・宮城県気仙沼市の視察報告2:気仙沼の被害

2011-04-21 | 2012年までのいなとみ修二の活動

旭ヶ丘学園訪問後、園長の小原さんが、市内の被害状況を見てほしいと街を案内してくださいました。

普通の街並みを抜け、ひとつの角を曲がったところに突然、災害の現場が姿を現します。

津波によって陸に乗り上げた船が、そのままの形で残っていました。

その隣には、黒く焼け焦げた船。今も、船内から炭の匂いが漂っています。

津波後、気仙沼を襲った火災の映像は衝撃的でした。この火災は、液化天然ガス(LNG)施設のタンクが津波の影響で爆発したことが原因で起きたと報道されています。その円柱型の巨大なタンクのひとつが転がっていました。

街のあちこちが地盤沈下し、今も水没しています。

日本酒で有名な「男山」の本社ビルは湾に面しており、甚大な被害を受けました。このビルは、もともと3階建てだったそうです。しかし、災害に打ちひしがれることなく、つい先日、生き残ったもろみで新酒の仕込みを再開しました。その心意気に、頭が下がります。

甚大すぎる被害を受けた魚市場も、6月の再開を目指しています。

最も津波の被害の大きかったエリアには、見渡す限り瓦礫の山が続き、戦場の跡を見るようでした。

しかし、大通りは自衛隊等の努力により瓦礫が取り除かれており、無事に通行することができました。

普通の街並みの一歩先に広がる、すさまじい破壊の爪痕。数えきれないほど多くの車がつぶれ、ひっくり返され、そして本来そこにあるはずのない藻のついた漁網が傾いた家の軒下にぶら下がり、船がビルに激突していました。

言葉もないような大きな被害の現場ですが、それでも街中には復興に向かう人々の前向きな意思が感じられました。気仙沼は、17日には朝市を再開し、18日にはマグロ漁を再開しています。前述の男山による酒造りや、6月に目標を定めた漁業関係者たちの熱い闘いも始まっています。こうした動きが強烈な光となって復興への道筋を照らし、街全体に温かい空気を作っている気がします。


被災地・宮城県気仙沼市の視察報告1:児童養護施設を訪問

2011-04-19 | 2012年までのいなとみ修二の活動

いなとみは、2011年4月18日(月)、被災地・宮城県気仙沼市を訪問し、児童養護施設の被害状況や被災地の子どもたちの状況を調査しました。現地の様子を、写真を交えてご報告いたします。

訪問したのは、気仙沼市の児童養護施設、旭ヶ丘学園。1940年に設立され、2歳から19歳まで、70人超の子どもたちを預かっています。

所長の菅原さん、園長の小原さんより、旭ヶ丘学園ほか被災3県の児童養護施設の被害状況についてお話を聞くことができました。

児童養護施設は、岩手に6、宮城に5、福島に8ありますが、これらの施設に人的な被害はなく、壁にひびが入ったり、タイルがはがれたりという建物の一部破損で今のところは済んでいるそうです。今後、詳しい調査を行えば修繕が必要なところも出てくるかと思いますが、まずは部分的な被害で済んでよかったとのことでした。ただ、福島に関しては一か所、福島原発の影響で一時的に避難を余儀なくされた施設があったそうです。

しかし、震災後しばらくは旭ヶ丘学園でも電力や燃料が不足し、備蓄の食料だけでは施設児童や地域からの避難者の食事を賄いきれず、ご苦労されたようでした。

目に見えにくい、間接的な被害もあります。

例えば、地域小規模児童養護施設。これは、「少人数のグループで地域社会に溶け込み家庭的な環境づくりに努める」ための施設であり、主に一軒家を借りて運営していますが、オーナーさんの自宅が被災したために家屋を返還する必要の生じたところが多々あるそうです。児童のほうは旭ヶ丘学園に戻ってきてもらえば良いのですが、スタッフのほうは地域小規模の施設に措置された予算によってその人件費が賄われていたので、特別な配慮が必要、とのことでした。

さらに、17歳、18歳以上の子どもたちの問題があります。児童福祉法上、施設に入所できるのは18歳までですが、2年間の延長措置が認められています。しかし、この期間を過ぎれば出なくてはなりません。今回の震災で、内定取り消しや就職難、大学側の被災等の問題が生じ、自立したくてもできない児童もいることが予想されます。社会全体で、子どもたちのソフトランディングを手助けすることも必要です。

 気仙沼はまだ風が肌寒いですが、子どもたちは元気に遊んでおり、ほほえましく感じました。

子どもたちは、選挙権を持っておらず、直接国政に訴えることもありません。しかし、この国の未来を担う重要な存在です。時に叱り、時に褒めながら、彼らがその暮らしや教育の面で機会を制限されることのないよう「社会全体で子育てをする」ことが、私たち大人の務めだと考えます。

この震災で、多くの子どもたちが被災しました。「被災地とNPOをつないで支えるプロジェクト(つなプロ)」の4/4~4/11の避難所アセスメント分析結果によると、宮城県の115の避難所における子どもの数は、確認できているだけで951人に上るそうです。現在、あしなが育英会、ユニセフ、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン等、多くのNGOが彼らに支援の手を差し伸べており、政府や行政のほうでも、教育や心のケアの面で、いろいろな施策を講じています。

しかし、最終的には、自分の力で生きていける大人になるまで、社会のひとりひとりが子どもたちの行く末に関心を持ち続けることが、何よりも大切なことなのだと感じています。