◆小沢一郎氏の裁判
別件捜査という言葉があるが、別件裁判という言葉が浮かんだ。
今回の強制起訴で何が争われているのか?
期日記載違反を小沢氏が知っていて指示していたかどうか、だったはず。
それがいつの間にか(マスコミのリードで)、4億円疑惑になっている。
たとえばこういうことだと思う。
8時から右折禁止の交差点に小沢氏の乗った車が入って、右折していまった。
正確な時刻は8時2分。
これは明確な道交法違反である。
で、後ろの乗っていた小沢さんが、運転手である秘書に「おい、ここを右に回れ」と指示したかどうか?
8時を2分過ぎていることを知っていて2分ぐらいいいだろう、オレはなんたったってオザワなんだから。
目撃したオマワシさんが小沢さんの車を止めて、「ダメですね、8時2分です。違反です」。
運転手が「オマワリさん、僕の時計は7時59分でしたよ」
「いや、確かに8時は過ぎていました」
「そんなこと言っても、僕の腕時計も車の時計もみんな7時59分」
「ラジオ、聞いていなかったの?」
「聞いてませんよ」
「う? 後ろの乗っているのはあの小沢さん? 怪しいな、この車は。この高級車はどうしたの?」
「買ったんですよ」
「本当? 盗んだんじゃないだろうな? 今照会してみるからちょっと待ってろ」
「・・・・・」
「盗難車じゃないようだな・・・で、買ったとしてその金はどうした?」
「お金」
「そう、この車を買った資金・・・怪しい筋のもんじゃないだろうな」
なってことになって、
8時からの右折違反の道路交通法違反を認めるかどうかの裁判がいつのまにやら車の購入資金の裁判になってしまった。
◆この国は変わってしまったようだ。
価値観を含めすべてが180度変わってしまった。
1)推定無罪という言葉がある。
推定だけでは有罪にできない、はずはあった。
確定したものだけでしか有罪にならないはず。
なぜなら罪を裁く側は国家や国体組織であり、裁かれる個人はあまりに非力だからだ。
罪は犯すものではなく罪は作るもの。
それでは困るのです。
2)説明責任といいたてるマスコミがいる。
おい、ちょっと待て!
説明に責任があるのは有罪にしようとするもの、罪をつくるもの、疑いを持ったもの、のはず。
疑ったほうが疑っに至った理由を説明する。
もし、あなたが5か月前の満員電車で痴漢をしたと訴えられたとして、潔白を証明しなさいと言われたらどうします?
潔白を証明するというのは難しのです。
説明責任は疑ったほうにあります。
マスコミが疑った側に立つのなら、立つ理由と同時になぜ疑ったのかを説明しなければなりません。
説明責任うんぬんや道義的責任ではありません。
道義的を口にするとき、何を道義的かと判断したその基準を説明しなければなりません。
大義は我にある、との思い込みが怖いのです。
説明責任があるのは、報道するマスコミのほうです。
3)情けは人に為ならず・・・・情けはかけてはいけない、その人のためにならないから。
4)お金がすべてではない・・・・お金がすべてではないから投資やFXで儲ける。
5)公務員は公僕・・・・・・・公のシモベとは人のためでなく公である自分たちのために働く。
◆あ~あ、とんでもない世の中になったようだ。
別件裁判・・・20世紀後半、民主主義さえ根付かずにこの国には発展してしまったようだ。
ただちに健康に被害が及ばない・・・・・近いうちに必ず健康に被害が及ぶ
僕らはみんな知っている♪
知っているから怖いんだ♪
手の平を太陽にかかげてみれば♪
真っ赤に流れる僕の血潮♪
僕らはみんな知っている♪
知っているから悔しんだ♪
◆裁判傍聴で集まった人は全員がマスコミのアルバイト
アルバイトの多さで国民の関心が高い? とマスコミはいう。
NHKは2000円!
民放は5000円だぞ。
このアルバイトはアルバイトニュースガテンでは募集していない。
世論調査の調査などの放送局に関連した動員を請け負う会社がかき集める。
原発のタウンミーティングの聴衆(さくら)と同じ構造でしょうね。