囲碁の果樹園(囲碁の木がすくすく育つユートピアを目指して)

人間とAIが集い囲碁の真理を探究する場の構築をめざして、皆様とともにその在り方を探っていきます。

ルールとコミ

2017-07-31 05:02:36 | 基礎理論

基礎理論のカテゴリでは、囲碁の果樹園の理論的な土台について議論します。果樹園のシステム設計・構築や運営に興味のある方向けです。果樹園の参加者になるだけならば、必ずしもすべてを理解する必要はありません。

この記事では、囲碁の果樹園で採用するルールとコミについて考察します。

囲碁のルール:中国ルールが基本

果樹園における囲碁ルールで最も重要なことは、曖昧性がないことです。人間の対局のためのルールでは、非常にまれにしか現れないケースを厳密に定義するために、日常の対局に不便が生ずることは好ましくありません。日本ルールが多くの論理的な欠陥を抱えながらも使われ続けるのはそのためでしょう。

しかし、果樹園で成長する囲碁の木には、まれなケースが必ず現れます。それらのケースのひとつひとつに厳密な判定をくだせるルールでないと、木のあちこちに、「評価不能」という局面が散在することになります。そして、評価不能な局面は、そこから遡った局面の評価を難しくするという形で、囲碁の木を蝕んでいきます。

一方、果樹園では、対局時の不便という要素はほとんで無視できます。例えば、スコアの計算はコンピュータの助けを借りればよいので、整地による数え方の便利さは重要ではありません。

以上の理由から、果樹園ルールは中国ルールをベースにしたものになるでしょう。現行の中国ルールを検討して、もし曖昧な点が少しでもあれば厳密化します。超劫ルール(同型反復の禁止)は絶対のものとし、無勝負は生じないようにします。

コミ7目

一般にコミの目的は次のふたつと考えれらます。

  1. 先手有利の不公平さを取り除く
  2. 引き分けを(できる限り)なくす

2は、トーナメントなどで必ず勝敗を決しなければいけないという事情から来ており、果樹園では必ずしも必要でありません。一方、1は囲碁の木探求の前提として、本質的に必要と考えます。

そこで、囲碁の果樹園では、基本のコミは7目とします。現段階ではあくまで仮説ですが、これにより、黒白双方最善を尽くした結果は持碁引き分けになると予想します。この根拠については、いずれ議論しようと思いますが、当面この仮説が成り立つ前提で構想を進めていきます。最善が引き分けであるということは、果樹園における囲碁の木探求のしくみを設計する上で大きな利点になります。その理由を次の項目で説明します。

まず、ゲームのルールとコミを定めた段階で、ゲームの最初の局面が白必勝であったと仮定します。黒の立場からすると、最善の結果が負けであるため、初手はどこに打っても最善手になってしまいます。逆に、黒必勝であったと仮定すると、初手の黒の最善手はいくつかに限られますが、その最善手の後の白番の局面では、白必敗であるために、すべての手が白の最善手になってしまいます。神様どうしの対局では、負けとわかった方の神様がとんでもない悪手を打つ可能性があるため、そこから学ぶのが難しくなります。

一方、最初の局面からの双方最善の結果が引き分けであったとすると、神様どうしの対局は、双方とも引き分けを逃さないための最善手を打ち続けることになります。そのような対局こそが、まさに見てみたい理想の対局になります。囲碁の木探求の第一の目的は、そのような神の対局を探し求めることです。

最善が引き分けでないような設定で神様に模範的な対局をしてもらうためには、勝敗以外に勝ちの目数などに興味を持ってもらう必要があります。囲碁の木探求の立場から言うと、局面の評価値に勝敗以外の要素を入れることになりますが、実はこれが簡単なことではありません。というのは、囲碁プログラム達の局面評価が勝敗の目数を考慮するようになっていないからです。

結論として、双方最善の結果が引き分けであるようなルールとコミの設定であれば、勝敗のみに基づいた局面評価によって、人間と囲碁プログラム達が協力して神の対局を追及して行くことが可能になります。

ある局面からの最善の結果が何を意味するかについては、局面の勝敗値という記事で正確に述べます。

勝ち負けの目数に基づいた人間たちの局面評価と、勝利確率にもとづいた囲碁プログラム達の局面評価の統合については、別の記事で考えていきます。

 

 

 

 

 


コミュニケーション

2017-07-26 17:04:45 | 構想

囲碁の果樹園において、参加者どうしのコミュニケーションがどのように行われ、囲碁の木の探求がどのように進んでいくのか、その概要について書きます。

プロ・アマ(初心者を含む)および囲碁プログラムのすべての間で実りのあるコミュニケーションを持つためには、システムとして検討しなけれがならないことは山ほどあります。その検討は順次していくことにして、この記事ではざっくりとした骨組みを示します。

このブログで使う用語については、いずれ用語集を作るつもりですが、当面はそのつど必要に応じて定義をしていきます。また、構想のカテゴリの議論では、アイディアを示すことを優先します。厳密な議論のために、別カテゴリを設ける予定です。

まず、「囲碁の木」という言葉はすでに何回も使ってきましたが、囲碁の木は何通りも考えられます。宇宙からはみ出す巨大な木もあれば、一冊の書物におさまるようなささやかな木もあります。そのなかで、特に二つの木に名前をつけておきます。

  • 神の木: すべての可能な局面を網羅した囲碁の木で、神様の頭のなかだけにあります。人間もその存在を想像したり、その性質について推論したりすることはできます。
  • 囲碁の木ベース: 囲碁の果樹園において、検討の対象になった局面すべてを含むデータベースです。囲碁の木の形をとります。どんどん成長しますが、いつまでたっても神の木のほんの一部にしかなりません。

囲碁の果樹園におけるコミュニケーションは、基本的に囲碁の木ベースを媒体として行われます。参加者が囲碁の木ベースに対して行うことのできる操作には次のようなものがあります。

  • 枝張り:既に囲碁の木ベースにある局面から一手打った後の局面で、まだ囲碁の木ベースにない局面を作り登録します。
  • コメント:囲碁の木ベース中にある局面や着手についての質問、意見、解説などを言葉で表現します。人間の参加者にとって、重要なコミュニケーションの手段です。
  • 評価:囲碁の木ベース中にある局面に対する数値的な評価をします。囲碁プログラムたちとのコミュニケーションはこちらによるしかありません。人間同士のコミュニケーションにおいてもコメントと互いに補い合う重要な手段です。

コメントによるコミュニケーションと評価によるコミュニケーションには次のような重大な相違があります。

  • コメントによるコミュニケーションは、相互理解を目指しますが、必ずしも結論を求めません。言葉による議論では、そもそも結論を出すことが不可能な場合も多いでしょう。それにも関わらず、人間にとって他者のコメントを読むことは、自分の考えを発展させるために大いに役に立つでしょう。
  • 評価によるコミュニケーションは、次のようなプロセスで結論を求めます。例で考えましょう。評価値は簡単のために、1(黒必勝)、-1(白必勝)、0(形成不明)の3値とします。ある黒番の局面に対してAさんは黒必勝の評価をしました。Bさんは白必勝の評価をしました。Aさんが自分の評価が正しいと思ったときにすべきことは、黒の勝利につながると信じる1手を示すことです。もし、その1手の後の局面が囲碁の木ベースになければ、枝張り操作をします。Bさんがその白番の局面を見たときに、いくつかのことが起こり得ます。
    • 黒必勝に同意する。この場合、Bさんはもとの黒番の局面の評価を黒必勝に改定することになります。
    • 形成不明と考える。この場合も、Bさんはもとの黒番の局面の評価を形成不明に改定することになります。
    • 白必勝と考える。この場合は、白の勝利に結びつくと信じる一手を示して、枝張りをし、以下同様のことを繰り返す。

プロ棋士やアマ高手が対局後に行う感想戦は、コメントによるコミュニケーションと評価によるコミュニケーションのまざったものとみることができます。また、評価によるコミュニケーションが必然的に枝分かれする変化をたどり、木の構造になることも理解いただけるでしょう。

囲碁の木ベース上で局面評価によるコミュニケーションを行うことの効能をあげておきます。

  • 石がくずされれば消えてしまう感想戦とは違い、評価コミュニケーションの記録がすべて囲碁の木ベース上に残る。すべての参加者が、そのプロセスを鑑賞することができ、また自身の評価値を提出することでそのプロセスに参加できる。中断されたプロセスは随時再開できる。
  • 言葉によるコミュニケーションが必須ではないので、人間と囲碁プログラムたちの間でのコミュニケーションを可能にする。

参加者

2017-07-22 14:05:06 | 構想

囲碁の果樹園の望まれる参加者について書きます。

このブログで「囲碁の果樹園」というとき、それはこのブログのことではなく、このブログで構想をまとめようとしている囲碁の木探求の場を意味します。

さて、囲碁の果樹園の望まれる参加者は、プロ・アマを問わず囲碁というゲームに興味を持つ人間すべて、および囲碁プログラムの皆さんです。

参加して欲しい理由(グループ別)
プロ棋士: 囲碁ゲームの専門家であるプロ棋士の参加無しに、囲碁の木の探求は考えられません。探求の方向性、局面や着手の評価と解釈、その説明など、探求のにない手として最も頼りになる存在です。

アマ愛好家: 囲碁の果樹園を、プロ棋士だけに閉じられた検討の場ではなく広くアマチュアにも開かれたものにすることにはいくつもの理由があります。
(1)囲碁の真理に迫るという目的のために、アマチュアの参加は大きな力になること。ひとりひとりのアマの棋力はプロにおとるかもしれませんが、数は力です。また、プロにないアマチュアの自由な発想が探求を助ける場面もたくさんあるはずです。たとえ初心者であっても、力になれる、そういう場にすべきだと考えていますが、そのための仕組みには工夫が必要です。この工夫については、いずれ改めて述べます。
(2)囲碁の果樹園は、探求の場であると同時に鑑賞の場でもあります。一局の碁やその局面、着手を囲碁の木のなかに位置づけることで深い鑑賞が可能になります。さらには、プロやアマ高段者が、囲碁の木の探求を侃々諤々としているプロセスはそれ以上に興味深い鑑賞の対象となるでしょう。初心者を含めた参加者全員が、そのプロセスに加わって、参加型の鑑賞ができるようにすることにより、囲碁というゲームの楽しみ方は飛躍的に広がるでしょう。

囲碁プログラム: 囲碁プログラムたちに期待するのは、局面の安定した評価とそのスピードです。評価値をそのまま信用するのではありません。この評価値が本当に正しいのだろうかという疑問を、参加者たちがよってたかって(囲碁プログラム自身も交えて)変化を調べることにより解消していくことこそが、囲碁の果樹園におけるメインの活動になります。

参加するメリット
囲碁プログラムを含めた全参加者に共通なメリットは棋力の向上です。自分より棋力の高いものを含めた検討の場に加わることが棋力の向上に役にたたないはずはありません。囲碁プログラムにとっても、プロ棋士を含めた多数の参加者の検証の目にさらされることは、改良点の発見につながることでしょう。

もっと重要な(人間にとっての)メリットは、囲碁の木探求自体の楽しみと喜びです。本当に、そういう楽しみと喜びが期待できるかは、これから順次述べて行く構想を読んで判断してください。


囲碁の木

2017-07-17 07:17:53 | 構想
囲碁の木とは、囲碁局面の変化が枝分かれして行くさまを木に例えたものです。ゲーム開始時の空の局面が根で、可能な初手の数だけ根から枝が出ます。枝の先の局面から、また可能な手の数だけ枝が出るという具合です。

囲碁というゲームは、この囲碁の木を調べることによって初めて理解が可能になります。神様が囲碁の真理を知っているのは、囲碁の木を調べつくすことができるからです。例えば、神様は、コミ7目半の中国ルールでは、先手必勝、後手必勝、または引き分け必至のいずれであるかを知っています。どのような局面でも、最善手が何であるか(ひとつとは限りませんが)を知っています。

囲碁の木のほんの一部しか調べることができない我々人間たちが、いかにして囲碁の真理にせまることができるか、その方法をみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

人間の力を凌駕したといわれる囲碁プログラムたちにしても、囲碁の木のほんの一部しか調べることができないことには変わりはありません。しかし、そのスピードは大きな武器であり、その武器を得た今こそ、「総力を結集して囲碁の真理に迫る」という事業を開始すべきときです。

このブログはそのための議論の場です。