こんばんは~!それでは、前回に引き続きまして、「なぜ売れなかったのか?不思議でしょうがないアイドル」の上位5組をご紹介したいと思います!本当に、どのアイドルも、運とタイミング次第では、トップアイドルの仲間入りを果たす事が出来た、素敵なアイドル達だったと思います!このまま、あまり世間に知られないまま、埋もれさせるのはもったいないので、たっぷりとご紹介していきたいと思います!
第5位 高橋美枝 (’83)
彼女の不運のアイドルの1人ですね。デビュー曲となる「ピンクの鞄(トランク)」が、グリコから新発売となるお菓子「ファンシーキャル」のCMソングに決まり、まさしく大々的にデビューするはずでした。「ピンクの鞄」は、作詞・松本隆、作曲・細野晴臣、編曲・大村雅朗という豪華な作家陣が手掛け、レコード会社はCBS・ソニー、グリコのお菓子のCMタイアップ付き!これほど贅沢なデビューのお膳立てはなかなかないでしょう。まさに、第2の聖子として期待されていたに違いありません。それが、とんだ展開に・・・。
「ファンシーキャル」が、CM放映開始直後、突然の発売中止に。両A面という形でリリースされていたデビュー曲でしたが、CM放映中止後は、もう1曲の「ひとりぼっちは嫌い」がメイン扱いとなり、「ピンクの鞄(トランク)」は、ほぼB面扱いに・・・。テレビからバンバン流れるはずだったCMが流れないのでは、世間への認知度もさっぱり。ということで、最高位は120位という散々たる結果に。これは本当に不運としかいいようがない出来事でした。お菓子が発売中止にならず、CMが流れていたら、間違いなくヒットした事でしょう。ただ、アイドルとしてデビューするのに、時期が11月っていうのは、ちょっと中途半端。まあ、お菓子の発売に合わせたから、この時期だったんでしょうけど。84年の春にデビューしていたら、また展開が違っていたかもしれませんね~。けど、タイアップがなくても、本当に良い曲だったから、もうちょっと売れてもよかったのになあ~。
タイアップ商品の発売中止で、プロジェクトが頓挫してしまう例は、中山圭子を浮かべてしまいます・・・。彼女も、シャンプーのCMソングとして、CBSソニーから大々的にデビューするはずだったのに、急きょ商品が発売中止に。プロジェクトは頓挫、タイアップなしでのデビューとなり、セールスは散々足る結果に終わってしまいます。そして、急きょ2ヶ月後に同じ事務所から松田聖子をデビューさせることになり、彼女はCMソングの座を射止め、たちまちブレイク。事務所の「金の卵」は、松田聖子へと移り変わってしまい、中山圭子は何もかも失ってしまったんですね。ホント、アイドル歌手っていうのは、「運」と「タイミング」が必要なんだとつくづく思い知らされるエピソードでした。それにしても、ソニーって、ことごとく多くの逸材をダメにしてますよね(苦笑)。
第4位 宇沙美ゆかり (’84)
彼女は、本当に運を逃してしまったアイドルでしたよね~。「不良少女とよばれて」の主役を蹴り、(←こちらはあくまで噂。)「スケバン刑事」の主役も、主演映画「Vマドンナ大戦争」とダブルブッキングしてしまったため降板。挙句の果て、その主演映画が散々たる結果で、ひっそりと引退・・・。あまりに可哀そう過ぎます。
デビュー曲「蒼い多感期」についても、B面曲「と・き・め・きタイフーン」が本来A面になるはずだったようで。すでに、映画「みゆき」などで知名度をあげていた彼女にとっては、そのキャラクターが生かされた明るい楽曲の「と・き・め・きタイフーン」でデビューした方が、セールス的に成功したのかも?とにかく、ツキがなかったアイドルの1人でした。もし彼女が、「スケバン~」に主演していたら、今でも芸能界で活躍していたんでしょうね~。(ただし、初代スケバンが斉藤由貴じゃなかったとなると、後の2代目南野陽子、3代目浅香唯は起用されず、彼女たちのブレイクはなかったのかも!?などと考えると、やっぱりすべては、運とタイミング!)ちなみに、デビュー日は1984年3月21日だったんですが、本当は1983年11月21日の予定だったようです。しかし、結果的には、いつデビューしても変わりなかったかも。
第3位 岡本舞子 (’85)
85年4月にシングル「愛って林檎ですか」で歌手デビュー。彼女も売れる素質は十分に持ってたんですけどね~。84年にプレデビューしたのがイケなかったのかな?あとは、ルックスも歌唱も、余計大人び過ぎていて、アイドルファンがあまり付いてこなかったとか?賞レースでよく歌ってたセカンドシングルの「ファンレター」なんて、パフォーマンスも楽曲の完成度もすべてにおいて完璧だったと思うんですけどね~。ま、85年デビューって言うのも、ブレイクできなかった原因のひとつでしょうかね。
だって、中山美穂、斉藤由貴、本田美奈子、芳本美代子、松本典子、橋本美加子などなど、同期デビューの期待のアイドルが多すぎて、埋もれてしまった感じもありましたし。(同じ年デビューの南野陽子、浅香唯は、デビュー時はブレイクしてないので、除外。)サードシングル「11月のソフィア」は名曲だと思います!主演映画「舞妓物語」上映の頃には、すでに引退してしまっていたのが、いまだに謎です。何があったのでしょう?
第2位 姫乃樹リカ (’88)
次は、姫乃樹リカ。正直、当時さほど興味がありませんでした。歌はうまいとは思っていましたが、どうも「姫乃樹リカ」という名前が気に入らなくて・・・。(←失礼!)「ひめのぎ」ではなくて、「ひめのじゅ」だと思ってましたし、「リカ」っていうカタカナ表記の芸名も個人的にはしっくりこなくて。けど、芸名がイマイチでブレイクを逃したアイドルっていると思うんですよ。アイドルの芸名って、本当にその後の人生をも左右するくらい重要ですからね~。
今改めて聴いてみると、本当に良い声だし、可愛いし、なんで売れなかったんだろう?って思います。デビュー曲「硝子のキッス」は、聖子の再来を思わせる感じだし、セカンドシングルの「ときめいて」は、本格的なロッカバラード。本当に名曲ですよね!当時は、中学生だったので、まだこの曲の良さがわかりませんでした。全然アイドルらしくない曲だったので、見向きもしなかったんです。名曲ではあるけど、この時期に歌わせる曲ではなかったかも。「ザ・ベストテン」のスポットライトに出演したサードシングル「もっとHurry Up!」をセカンドにした方が良かったかも。彼女の事は、もっとたくさん書きたいので、あとで特集しますね!
第1位 伊藤智恵理 (’87)
「なぜ売れなかったのか?不思議でしょうがないアイドルベスト10」の栄えある(?)1位は、伊藤智恵理さんです!なんだかんだいって、真っ先に浮かぶのは彼女でしょう!87年6月に「パラダイス・ウォーカー」でデビューした智恵理ちゃん。
歌はうまいし、楽曲レベルは高いしで、文句無しだったんですけどね~。なんでヒットしなかったんでしょう?「トキメキがいたくて」「雨に消えたあいつ」など、名曲多しです!ファーストアルバム「ハロー」は、まさに名盤です!個人的には、ハウスフルーツインゼリーのCMソングにもなった、88年3月リリースのシングル「夢かもしれない」が大好きですね!CMでも頻繁に流れていたので、もっとヒットしてもおかしくなかったのに。
あとは、「キッスでささやいて」のカップリング曲だった「ロシアン・アフタヌーン」。1度「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で歌っていたのを見て、「この曲は何!?」と思い、オリコンをいろいろ調べて、カップリング曲だと知って、リリースから1年後位にCDを購入した程思い入れがある、大好きな曲です。彼女は、しょっちゅう「加トケン」に出演しては、過去のアルバム曲を歌ってたんで、(すでに新曲がリリースされていなかったので・・・。)毎回それを楽しみにしてました。「夢かもしれない」については、1991年に開催された「NHK新人歌謡コンテスト」で、グランプリを受賞した諸岡菜穂子が受賞の際に歌っていた事が思い出されます。春になると、毎年必ず聴きたくなる名曲です!
というわけで、前編・後編と分けまして、ブレイク出来る素質は持っていたのに、「時代」、「運」が味方してくれなかったアイドル達を10人紹介してみました。今回紹介したアイドル、それぞれに、本当に良い曲がたくさんありますんで、機会があれば、ぜひ1度聴いてみてくださいね!
第5位 高橋美枝 (’83)
彼女の不運のアイドルの1人ですね。デビュー曲となる「ピンクの鞄(トランク)」が、グリコから新発売となるお菓子「ファンシーキャル」のCMソングに決まり、まさしく大々的にデビューするはずでした。「ピンクの鞄」は、作詞・松本隆、作曲・細野晴臣、編曲・大村雅朗という豪華な作家陣が手掛け、レコード会社はCBS・ソニー、グリコのお菓子のCMタイアップ付き!これほど贅沢なデビューのお膳立てはなかなかないでしょう。まさに、第2の聖子として期待されていたに違いありません。それが、とんだ展開に・・・。
「ファンシーキャル」が、CM放映開始直後、突然の発売中止に。両A面という形でリリースされていたデビュー曲でしたが、CM放映中止後は、もう1曲の「ひとりぼっちは嫌い」がメイン扱いとなり、「ピンクの鞄(トランク)」は、ほぼB面扱いに・・・。テレビからバンバン流れるはずだったCMが流れないのでは、世間への認知度もさっぱり。ということで、最高位は120位という散々たる結果に。これは本当に不運としかいいようがない出来事でした。お菓子が発売中止にならず、CMが流れていたら、間違いなくヒットした事でしょう。ただ、アイドルとしてデビューするのに、時期が11月っていうのは、ちょっと中途半端。まあ、お菓子の発売に合わせたから、この時期だったんでしょうけど。84年の春にデビューしていたら、また展開が違っていたかもしれませんね~。けど、タイアップがなくても、本当に良い曲だったから、もうちょっと売れてもよかったのになあ~。
タイアップ商品の発売中止で、プロジェクトが頓挫してしまう例は、中山圭子を浮かべてしまいます・・・。彼女も、シャンプーのCMソングとして、CBSソニーから大々的にデビューするはずだったのに、急きょ商品が発売中止に。プロジェクトは頓挫、タイアップなしでのデビューとなり、セールスは散々足る結果に終わってしまいます。そして、急きょ2ヶ月後に同じ事務所から松田聖子をデビューさせることになり、彼女はCMソングの座を射止め、たちまちブレイク。事務所の「金の卵」は、松田聖子へと移り変わってしまい、中山圭子は何もかも失ってしまったんですね。ホント、アイドル歌手っていうのは、「運」と「タイミング」が必要なんだとつくづく思い知らされるエピソードでした。それにしても、ソニーって、ことごとく多くの逸材をダメにしてますよね(苦笑)。
第4位 宇沙美ゆかり (’84)
彼女は、本当に運を逃してしまったアイドルでしたよね~。「不良少女とよばれて」の主役を蹴り、(←こちらはあくまで噂。)「スケバン刑事」の主役も、主演映画「Vマドンナ大戦争」とダブルブッキングしてしまったため降板。挙句の果て、その主演映画が散々たる結果で、ひっそりと引退・・・。あまりに可哀そう過ぎます。
デビュー曲「蒼い多感期」についても、B面曲「と・き・め・きタイフーン」が本来A面になるはずだったようで。すでに、映画「みゆき」などで知名度をあげていた彼女にとっては、そのキャラクターが生かされた明るい楽曲の「と・き・め・きタイフーン」でデビューした方が、セールス的に成功したのかも?とにかく、ツキがなかったアイドルの1人でした。もし彼女が、「スケバン~」に主演していたら、今でも芸能界で活躍していたんでしょうね~。(ただし、初代スケバンが斉藤由貴じゃなかったとなると、後の2代目南野陽子、3代目浅香唯は起用されず、彼女たちのブレイクはなかったのかも!?などと考えると、やっぱりすべては、運とタイミング!)ちなみに、デビュー日は1984年3月21日だったんですが、本当は1983年11月21日の予定だったようです。しかし、結果的には、いつデビューしても変わりなかったかも。
第3位 岡本舞子 (’85)
85年4月にシングル「愛って林檎ですか」で歌手デビュー。彼女も売れる素質は十分に持ってたんですけどね~。84年にプレデビューしたのがイケなかったのかな?あとは、ルックスも歌唱も、余計大人び過ぎていて、アイドルファンがあまり付いてこなかったとか?賞レースでよく歌ってたセカンドシングルの「ファンレター」なんて、パフォーマンスも楽曲の完成度もすべてにおいて完璧だったと思うんですけどね~。ま、85年デビューって言うのも、ブレイクできなかった原因のひとつでしょうかね。
だって、中山美穂、斉藤由貴、本田美奈子、芳本美代子、松本典子、橋本美加子などなど、同期デビューの期待のアイドルが多すぎて、埋もれてしまった感じもありましたし。(同じ年デビューの南野陽子、浅香唯は、デビュー時はブレイクしてないので、除外。)サードシングル「11月のソフィア」は名曲だと思います!主演映画「舞妓物語」上映の頃には、すでに引退してしまっていたのが、いまだに謎です。何があったのでしょう?
第2位 姫乃樹リカ (’88)
次は、姫乃樹リカ。正直、当時さほど興味がありませんでした。歌はうまいとは思っていましたが、どうも「姫乃樹リカ」という名前が気に入らなくて・・・。(←失礼!)「ひめのぎ」ではなくて、「ひめのじゅ」だと思ってましたし、「リカ」っていうカタカナ表記の芸名も個人的にはしっくりこなくて。けど、芸名がイマイチでブレイクを逃したアイドルっていると思うんですよ。アイドルの芸名って、本当にその後の人生をも左右するくらい重要ですからね~。
今改めて聴いてみると、本当に良い声だし、可愛いし、なんで売れなかったんだろう?って思います。デビュー曲「硝子のキッス」は、聖子の再来を思わせる感じだし、セカンドシングルの「ときめいて」は、本格的なロッカバラード。本当に名曲ですよね!当時は、中学生だったので、まだこの曲の良さがわかりませんでした。全然アイドルらしくない曲だったので、見向きもしなかったんです。名曲ではあるけど、この時期に歌わせる曲ではなかったかも。「ザ・ベストテン」のスポットライトに出演したサードシングル「もっとHurry Up!」をセカンドにした方が良かったかも。彼女の事は、もっとたくさん書きたいので、あとで特集しますね!
第1位 伊藤智恵理 (’87)
「なぜ売れなかったのか?不思議でしょうがないアイドルベスト10」の栄えある(?)1位は、伊藤智恵理さんです!なんだかんだいって、真っ先に浮かぶのは彼女でしょう!87年6月に「パラダイス・ウォーカー」でデビューした智恵理ちゃん。
歌はうまいし、楽曲レベルは高いしで、文句無しだったんですけどね~。なんでヒットしなかったんでしょう?「トキメキがいたくて」「雨に消えたあいつ」など、名曲多しです!ファーストアルバム「ハロー」は、まさに名盤です!個人的には、ハウスフルーツインゼリーのCMソングにもなった、88年3月リリースのシングル「夢かもしれない」が大好きですね!CMでも頻繁に流れていたので、もっとヒットしてもおかしくなかったのに。
あとは、「キッスでささやいて」のカップリング曲だった「ロシアン・アフタヌーン」。1度「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で歌っていたのを見て、「この曲は何!?」と思い、オリコンをいろいろ調べて、カップリング曲だと知って、リリースから1年後位にCDを購入した程思い入れがある、大好きな曲です。彼女は、しょっちゅう「加トケン」に出演しては、過去のアルバム曲を歌ってたんで、(すでに新曲がリリースされていなかったので・・・。)毎回それを楽しみにしてました。「夢かもしれない」については、1991年に開催された「NHK新人歌謡コンテスト」で、グランプリを受賞した諸岡菜穂子が受賞の際に歌っていた事が思い出されます。春になると、毎年必ず聴きたくなる名曲です!
というわけで、前編・後編と分けまして、ブレイク出来る素質は持っていたのに、「時代」、「運」が味方してくれなかったアイドル達を10人紹介してみました。今回紹介したアイドル、それぞれに、本当に良い曲がたくさんありますんで、機会があれば、ぜひ1度聴いてみてくださいね!
前編 後編と読ませてもらったけど みんな確かに
素質も楽曲も 十二分に申し訳ないのに
ただ 運が悪かったとしか 言えないですよねぇ。。。
でも、我々の記憶の中では 永遠に輝き続ける
TOPアイドルに間違いないと思います。
今日は岡本舞子ちゃんが 聞きたい気分(笑)
大好きで レコードよく聴いてましたぁ
B面が 高橋美枝とデュエットできるカラオケになってたのでよく歌ってましたぁ
可愛かった~
何かやったあとに
蒼い多感期を歌った宇佐美ゆかり^素敵だった~
当時は興味なくて嫌だったのに YouTube見てみたら
いい感じで良かったです。
歌も上手だったんですねぇ。
当時レコードいっぱい繰り返し聴いてました