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小さき花-第7章~8

2022-10-02 20:31:31 | 小さき花

 ちょうどその頃、私はシュレン司祭の著わされた「霊的生活の基礎」と題する書物を黙想していましたが、ある日黙想中に「私が誓願を立てるという熱望の中には、大いなる慈愛心が含まれている」という事を悟りました。……即ち私はイエズスを慰め喜ばせ奉る為に、おもちゃの小さき手毬の如きものとなって、イエズズ様の持ち物となっているのであるから、私はイエズス様の聖慮に従わずにして、イエズズ様を強いて私の望みに従わせるというような事を為すべきものではない……と。また婚礼の祝いの時に許嫁になった女が、立派な服装をしなければ夫の気に入りません。私はまだ霊魂を飾るために充分に働いておりませんから、その祝いを延期するのは当然であるという事も悟りました。そこで私は聖主に向かって「主よ私は最早急いで誓願を立てたいという事を願いません。私は主が良いと聖慮される時期まで待ちましょう。ただ私の恐れ心配する事は、私の過失の為に、主と一致する日が延ばされるようなことで、もし左様な事があっては、とてもこれを忍ぶ事が出来ません。私はこれからいろいろとダイヤモンドや宝石(犠牲や徳行等)を以って衣服を装飾することに力を尽くします。それで主は私の服装が充分に飾られてあるとお認めになさる時には、必ず私を主の配偶として受け取ってくださるでありましょう。その時にはもはや誰人もまた何事もこれを妨げることが出来ません……」と。私はこう申して後、新しい勇気を以って霊魂を飾ることに力を尽くしました。着衣式以来、私の修道上の完徳、殊に貧窮の願について多大の新しい豊かなる恩恵の光を受けておりました。私は志願時代の間良き品を使う事と、必要な物品が自分の手元で直ぐに見当たる事を喜んでおりました。イエズズ様はこういう欠点をまだご辛抱下されました。つまりイエズス様はすべての欠点を一時に見せるのをお好みになりませず、大抵普通は徐々と聖寵の光を以ってこれを示して下さるのでありますから……。
 私の霊的生活の最初、即ち13、4歳の頃に「私は後にどうしてこの上善徳に進歩する事ができようか」という事を考えておりました。なぜならばその時に私は、その時よりもなお明らかに完徳の事を悟ることが出来ないと思っておりましたから……しかし後には「完徳の道に進めば進むほど、なおますます目的が遠くにあるように思う」という事を悟りました。それで私は唯今では、じぶんはいつも不完全なものであると諦めております。そしてこれがまた私の喜びとなります。



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