ばばあの独り言

東京近郊で定年になった夫と暮らす生活

30年ぶりの七五三

2018年11月24日 | 日記

6時前に着物を着て、夫に車で駅まで送ってもらい、次女宅に朝8時前に着く。私は母の形見の江戸小紋、一つ紋(隅切り三)を着ていった。次女は待ってましたとばかりに、すぐに美容院に孫娘を連れて行った。私と孫息子の二人で留守番。婿は自分の両親(ジジババ)を迎えに車で出かけて、8時半に両親を連れて帰ってきた。9時前に孫娘が髪を結いあげて戻ってきた。これからが着つけ、次女は着つけの免許を持っているので、まずは孫娘に振袖を着せた。私は孫息子に着物を着せ、最後は次女が袴をはかせ、羽織を着せて終了、彼女も自分の着物、伊達衿をつけた訪問着を着た。9時半に近くの神社に歩いて出かける。子どもはもちろん運動靴。日露戦争でできたという勝利神社に出かける。七五三というよりサッカーや野球の勝利にかけてお参りするスポーツ選手が多いらしい。午前10時にお祓いを受ける。その頃には振袖、羽織袴はグダグダ。まあ、仕方ないか。お礼は1万円したようだ。子どもはそれぞれにお土産をもらった。

それから写真屋へ、歩いて行くと大変だからと車で出かけることにして、次女と私は歩いた。駅前商店街の中に写真スタジオがあった。子どもはそれぞれ、二人一緒、親子一緒、そして私らジジババも一緒の集合写真。などなど100枚は撮っただろうか。以前と違ってデジカメ、いくらとってもフィルムが減るということもない。これをCDに焼き込んでくれるらしい。その中から必要なものを写真屋に頼むこともできるようだ。こちらも1万円。子どもとジジババは車で帰宅。次女と私は歩き、途中「東京の台所」で出会ったフレンチレストランに立ち寄ってフランス菓子カヌレを8個買って帰った。

皆は着物を脱ぎ棄てて(私も)昼ごはん。バラずしに、おでんにサラダ。そして果物にジジババが持ってきた煎餅にクッキーを食べ、私が買ってきたカヌレも。さすが気の利くジジババはお菓子を3セット(我が家と姑宅を含めて)、さらにお祝いとしていくらか包んだようだ。私は何もせず。14時30分に車で帰って行った。孫娘が一緒に行きたいと言ったが、ジジババは疲れているらしく、それは許されなかった。私達夫婦より10歳ほど上の彼らは、以前より老けて見えた。確かに散歩も以前ほど出かけず、歩くスピードも落ちたとのこと。気を付けよう。

16時に私は戻る。夫と待ち合わせ、図書館で週刊誌を読んでいたら、19時近くに迎えに来てくれた。どこかで食事と思ったが、結局我が家が一番、ということでラーメンを作ることにした。具だくさん過ぎて嫌気がさしたようだ。

次女は「今度は成人式、その時は一人でやるだろうから」と。姑に持たされた30年前の我が家の七五三の集合写真。7歳の長女が着ている着物を孫娘が着たことになる。それにしても羽織袴はどこに行ったのか、探し物が続く。借りた羽織袴の為に次女が嫁いだ家の家紋「丸に松葉菱」をタック印刷して出かけたのだが、使うことはなかった。暴れん坊の孫息子、張り付けた家紋は落ちてしまって、新しいものを張り付けても無駄とわかった。


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