17時に始まった民生委員の忘年会、ビールと冷酒を少し飲んで、トイレに立った後を覚えていない。気づいたら19時半、市民病院の救急室にいた。そばには民生委員の地域会長が。着物を着ていたので、帯やひもを取るのに苦労したとかなんとか言っている。実家にいる夫に電話、「なんか入院しているみたい。」入院診療計画書には病名「失神」症状「健忘をともなう失神を認めています」というわけで頭をスキャン、血液検査をするので血液を少し。隣に運び込まれた男性は「痛い、痛ーい」と苦しんでいる。彼は尿管結石らしい。私は安全のため入院しましょうかっていう程度。民生委員が2人やってきて、会長と一緒に、もう大丈夫ねと確認して帰って行った。
途中、3日後に行う予定だった管理組合総務委員会の忘年会をキャンセル、なんせ私が委員長だから、主催の私がいなくては無理だろう。
そして6階にある4人部屋に車いすで移動、「デノサリン」の点滴が始まる。後で看護師に確認したら、脱水症状にならないための輸液らしい。サリンっか? 22時過ぎ夫がやってきた。明日の作業をキャンセルしたのかな。明日、生活クラブの品物を引き取ってから、また来るということして帰って行った。夜中トイレに2回行った。
朝8時に朝食、ロールパン3個と牛乳、鶏胸肉とキャベツのサラダ、平らげた。そしてトイレで大便。主治医が来て、「大したことなさそうなので本日、退院しましょう。隠れ脳梗塞があるかもしれないので、MRIを通院で診てみましょう。」 夫に携帯メールでモンペと上着と靴を持ってきて、着物を着て帰るわけにはいかないだろうから。歯ブラシも携帯ラジオもノートパソコンもいらない、午後には帰れるから。と。
途中、心臓をエコーでチェック、慈恵医大の学生が訓練できているらしい。エコーの機械操作をならっていた。肺のレントゲンを撮りに行った。血液検査もやって、血糖値は3回ほどやっていた。血圧も測って、どちらも問題なかった。
お昼になると、炊き込みご飯、スープ、ジョアなどなど、結構おいしかった。牛乳やジョアについているストローは今後どうするんだろうなんて考えながら飲んだ。検診カードをもらって、来年1月24日(木)にMRIと決まった。急ぐほどのことでもないんだろう。「デノサリン」の2本目を使い始めたが、ほとんど残った状態で退院することになった。
民生委員会長がやってきて、昨夕、救急車に乗せた時の話をしてくれた。しっかり名前や生年月日を答えていたよ。でも全く何も覚えていない。夫がやって来て、退院の手続き、まだ入院手続きをしていないから、それをやってから、支払機で34470円を使ってVIZAカードで払う。簡単なもんだな。34470円、3割負担ということは10万円かかったんだな。市立病院は県立から市立になり、2年前に新築となり、快適だった。
老眼鏡のツルが外向きに広がっているので、メガネ屋で直してもらう。昨夕の忘年会会場で下足札を持って来たので、それを返しに行く。お礼に酒の五合瓶と栗羊羹を買う。そして自宅にもどり、メールのチェック、事の次第をいろいろとメールする。そして生命保険会社に電話。1日入院でも保険は使えるのかな? 後で連絡が入るらしい。
夫を海老名駅まで送り、明日の夕方には夕飯を持って、いつものように実家に行くからと伝えてね。帰りに管理組合事務所に立ち寄り、3日後にやる予定だった忘年会のメンバーがいたので、何があったか、詳しく話した。しばらく飲まないことだねって言われたけど、さっき5合瓶を買ったんだけどな。
生命保険会社の担当者から電話が入った。明日の14時過ぎに来るとのこと。いろんな書類を書かされるようだ。MRIの検査も入院しなくても保険がきくかもしれないと言っていた。確かに夫が定年した時、1日でも入院したら保険がきくというものに切り換えたことは覚えている。