カメラで何かを意図的に撮影する。
人物、風景、モノ、何であれ昨今では『撮影』という概念が当たり前になってきている。
僕が映像を始めた4年前ぐらいから見ても『撮影』のハードルはどんどん下がってきている。
それとは反比例に画質の向上や編集機能の充実と簡略化は進んでいる。
誰もが当たり前のようにプロと遜色ない映像を撮影・編集できつつある時代というわけだ。
僕は去年まで一眼レフカメラのレンズを収集することが仕事でもあったし趣味にもなっていた。
レンズの違いで驚くほど描写力も変わってくる。
逆にしっかりとした機材と知識があれば個人でも素晴らしい映像が作成できるという楽しさがあったからだ。
デジタルの進化に人間が追いついていない。
そして僕はむやみやたらに追いつく必要もないのではないかとここ最近は感じている。
スマートフォンという画期的なアイテムは今も進化を続けている。いまや4Kの映像も撮れてしまう。
絶対的な素人とプロの差というものは無くなりはしないであろう。
技術の向上は必要不可欠である。それこそ手に職をつけているような場合は。
しかしもっと必要なことは時代の流れを先読みする能力である。
まぁこれは自分の意思で生きて行く、自分で仕事を見つけていくような人間の場合であるが。。。
しかし仕事という人生の大半を費やす作業において、そこにもはやプライベートと仕事の差などないほうが良いのかと思う。
なぜならどちらも自分の意思で生きるというのは必要最低限の能力であるから。
話を戻そう。
「技術の向上」これを僕は学校の勉強のように科目として捕らえる。
学校と違うのは向上した技術分が仕事やお金といった形で直接的に自分に帰ってくる点だ。
しかし技術だけで人生を楽しく出来るのかというと疑問が残る。
想像力という目には見えない能力の向上こそが楽しむ為には必須なのではなかろうか?
想像し、直感し、行動し、楽しむ。
映像のような人類史でも最先端な技術には想像力を行使し時代の先を見てないといけない気がする。
僕の矮小な想像力は今の重過ぎる機材や大掛かりなセットの撮影などは時代錯誤な感覚をどうしても受けてしまう。
投資をして大作を作る映画のような総合芸術はまた違う分野として扱う。
日々加速度的に情報が溢れ帰るネットという世界観が中心な現代社会において
瞬発的な想像力と行動力が求められているだと思っている。
様々な武器を持って社会と相対する。それがネット社会であろうと会社の中であろうと。
想像力とはもっと大きいものであっていいのだと思う。今日この頃。
アイスマン、2015年、秋、もうすぐ31歳。
最後に舞台は違うが通じるものがあるので一説をご紹介。
漫画「バガボンド」の天下無双人、上泉秀綱の言葉
『技の研鑽は素晴らしい。
だが心の中は我、それのみであると師は言われた。
ならば剣とは?
相手に勝ってやろう
己の力を
強さを
存在を誇示したい
師は言われた
そんなことのために剣は
武はあるのかね?
我々が命と見立てた剣は
そんな小さなものかね?
我が剣は、天地と一つ
ゆえに剣はなくともよいのです。』
人物、風景、モノ、何であれ昨今では『撮影』という概念が当たり前になってきている。
僕が映像を始めた4年前ぐらいから見ても『撮影』のハードルはどんどん下がってきている。
それとは反比例に画質の向上や編集機能の充実と簡略化は進んでいる。
誰もが当たり前のようにプロと遜色ない映像を撮影・編集できつつある時代というわけだ。
僕は去年まで一眼レフカメラのレンズを収集することが仕事でもあったし趣味にもなっていた。
レンズの違いで驚くほど描写力も変わってくる。
逆にしっかりとした機材と知識があれば個人でも素晴らしい映像が作成できるという楽しさがあったからだ。
デジタルの進化に人間が追いついていない。
そして僕はむやみやたらに追いつく必要もないのではないかとここ最近は感じている。
スマートフォンという画期的なアイテムは今も進化を続けている。いまや4Kの映像も撮れてしまう。
絶対的な素人とプロの差というものは無くなりはしないであろう。
技術の向上は必要不可欠である。それこそ手に職をつけているような場合は。
しかしもっと必要なことは時代の流れを先読みする能力である。
まぁこれは自分の意思で生きて行く、自分で仕事を見つけていくような人間の場合であるが。。。
しかし仕事という人生の大半を費やす作業において、そこにもはやプライベートと仕事の差などないほうが良いのかと思う。
なぜならどちらも自分の意思で生きるというのは必要最低限の能力であるから。
話を戻そう。
「技術の向上」これを僕は学校の勉強のように科目として捕らえる。
学校と違うのは向上した技術分が仕事やお金といった形で直接的に自分に帰ってくる点だ。
しかし技術だけで人生を楽しく出来るのかというと疑問が残る。
想像力という目には見えない能力の向上こそが楽しむ為には必須なのではなかろうか?
想像し、直感し、行動し、楽しむ。
映像のような人類史でも最先端な技術には想像力を行使し時代の先を見てないといけない気がする。
僕の矮小な想像力は今の重過ぎる機材や大掛かりなセットの撮影などは時代錯誤な感覚をどうしても受けてしまう。
投資をして大作を作る映画のような総合芸術はまた違う分野として扱う。
日々加速度的に情報が溢れ帰るネットという世界観が中心な現代社会において
瞬発的な想像力と行動力が求められているだと思っている。
様々な武器を持って社会と相対する。それがネット社会であろうと会社の中であろうと。
想像力とはもっと大きいものであっていいのだと思う。今日この頃。
アイスマン、2015年、秋、もうすぐ31歳。
最後に舞台は違うが通じるものがあるので一説をご紹介。
漫画「バガボンド」の天下無双人、上泉秀綱の言葉
『技の研鑽は素晴らしい。
だが心の中は我、それのみであると師は言われた。
ならば剣とは?
相手に勝ってやろう
己の力を
強さを
存在を誇示したい
師は言われた
そんなことのために剣は
武はあるのかね?
我々が命と見立てた剣は
そんな小さなものかね?
我が剣は、天地と一つ
ゆえに剣はなくともよいのです。』