東京は愛せど、なんにもない

たとえあなたがたの思想が敗北しても、あなたがたの思想の誠実が勝利を得なければならない (ツァラトゥストラ)

小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法(大嶽 秀夫)

2007年09月12日 | 感想
何故、小泉だったのか。
何故、小泉だけだったのか。

この一年間の疑問に初めて真剣に取り組みことになったのが本書である。
読了日が昨日:9月11日(歴史的事件:2001年米同時多発テロ・2005年郵政選挙で自民圧勝)
そして感想を書く今日が、彼の後継首相が低支持率にギブアップした日であることは
あまりにもできすぎた偶然である。

本書は小泉純一郎におけるポピュリズムとはなんであったのか、ということを明確に示している。


何故、小泉だったのか。

この問いに答えるのは実は簡単である。

森喜朗というあまりにもプロトタイプな従来型の政治家がスキャンダラスまみれに陥った後、
日本国民は森とは逆のイメージを求めるしかなかった。

クリーンで力強い―この条件に該当するイメージのある政治家は小泉以外いなかったのである。


しかし、何故、小泉「だけ」だったのか、
という問いに答えるのはかなりの困難を伴う作業ではないだろうか。

つまり過去にもクリーンなイメージを前面に出して躍進したり、最終的に首相までなった人間はいた。
それが河野であり土井であり細川である(菅直人も入れてよいだろう)。

また、国民的人気を長期間持続した人間もいた(例:田中角栄)。

そして、国民にとって痛みの伴う改革を行った政治家もいた(例:橋本龍太郎)。

ところが、国民的人気を長期間持続した上に、
国民にとって痛みの伴う改革を行った政治家は、小泉以外にいないのである。


この本で書かれていることは基本的にポピュリズムの構造と具体例である。
実は小泉の政策は橋本派の壊滅に他ならなかったという点は参考になる。
また、彼の政治手法などを中立的に研究しており、後続の研究のよき里程標になるだろう。

しかし、私としては小泉の本当の狙いにもっと興味がある。
小泉が何を狙って、首相を演じえたのか。
そして、5年にわたる長期に国民を酔わせ続けた「政治演劇」の魔力と魅力。

本来の政治とは何か、そして大衆心理と日本人の構造。
現代日本を研究する上でも小泉はホットかつ永遠のテーマであるし、
本書はそのナビゲーターとなりうる。


次の首相の話をする暇に、前の首相のことを話した方がよい。

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