東京は愛せど、なんにもない

たとえあなたがたの思想が敗北しても、あなたがたの思想の誠実が勝利を得なければならない (ツァラトゥストラ)

エルフェンリート(アニメ)

2009年09月14日 | 感想
けっ、またアニメか。と思った人はまずオープニングを見てほしい。

Elfenlied Opening

映像モチーフはクリムト。全ラテン詞のこの歌の題名は「LILIUM」(日本語でユリ)だ。

ユリの花言葉は純潔。

クリムトの主題はエロスと死。

二つの大戦に挟まれた戦間期のウィーンでは、芸術・科学の分野でほとんど奇蹟的ともいえる成果が花開いた。
音楽の新ウィーン学派、クリムトやエゴン・シーレの表現主義、シュレーディンガー、ハイゼンベルク、そしてハイエク。
混乱と動揺の中、この街で西洋的理性への懐疑が生まれた。
(この段落は「ハイエク」池田信夫の最初をまとめた)


代表的な事件を一つ、今度はウィキペディアから抜粋

クリムトは1894年にウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼される。
『学部の絵』と名づけられたこの天井画は『哲学』、『医学』、『法学』の3部からなる。
人間の知性の勝利を高らかに歌いあげるという依頼者が意図したテーマに反し、これら3枚の絵は理性の優越性を否定する寓意に満ちたもので、その是非をめぐり大論争を引き起こした。



翻ってアニメの舞台の古都・鎌倉。


安寧の中の我々は、やはり奢りたかぶっているのではないか。
研究室の面々は我々人類の寓意だろう。
生命体をコントロールして我々の行く先を作り上げる-そんな傲慢。

隔離された研究棟が象徴する人間の理性の優越性・・・それを軽々と乗り越える研究対象たち、そして人間の葛藤。


生殖・恋愛・死。
それらのことすら満足に解決できない我々が「高次の」存在などとはやはり傲慢。

ここでのエロスとは生への衝動、嫉妬や動揺といった端的な恋愛、繋がりへの欲求。

純潔とエロスとはなんぞや、という問いを、このように解釈すれば、このオープニングも自ずと理解できよう。

エロスに対する純潔な思い、それがこの物語の本質であり、全てである。

出来すぎたオープニングテーマに沿って物語を当てはめた、そして見事当てはまった。

もしこの物語を見て、繋がりへの思いに涙したら、また人間の愚かさについて考えてみようじゃないか。
そうでなくても今日も明日も繋がりへの思いに涙している我々なのだから。

「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一)

2009年02月22日 | 感想
何千(何万?)個目の感想になるのだろうか。

みなさんご存知、「生物と無生物のあいだ」である。

忙しい人は最後の一章(第15章)だけ読めば著者の言いたいことは全てわかる。

すなわち、生物と無生物の違いは、生物は「動的平衡」を保つ「システム」なのに対し、無生物にはそのようなものがない機械的なメカニズムに過ぎない、ということだ。


このような話は別段新しいものではないが、著者の研究生活に裏打ちされた説得力と理系人としてはかなり人文系の文を読み込んだのだろう美文が、本書に説得力を与えている。

「動的平衡」という考え方は、
ハイエク的な「感覚秩序」あるいは「自生的秩序」の問題である。

人体と社会のアナロジーは古くて新しい。

今後も常に人智の最先端であり続けるだろう。

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名著には違いないが、主題にいたるまでが長すぎて主題をもう少し掘り下げたほうがより哲学的、学際的になってよかったのではないだろうか。よって星四つ。

ドル安というミスリーディング

2009年01月24日 | 経済
円が高いのは事実なんだが、

それだけで

「ドル崩壊」とか「アメリカの終焉」とか

騒いでいる人はいったい何なの?バカ過ぎるだろ。



今の通貨の強さ

日本円・スイスフラン>米ドル>ユーロ>欧州貨幣>アジア>韓国ウォン>・・・・・・>ジンバブエドル



確かにアメリカの経常赤字が多すぎるので、
ドル崩壊の危険性はあるのだが、

今問題になっているのは
低金利だった円・ドルから
高金利だった通貨へのレバレッジ投資の巻き返しなわけで、

「資本主義の終焉」ならともかく「アメリカの終焉」は違う。

「坂の上の雲ミュージアム」

2009年01月04日 | 考え事
帰省早々、労働規制強化を訴える父親に反論。
「理屈じゃない、感情だ」
・・・と私の存在を全否定される。

要するにこの父親および日本人は
こういう風に感じながら生きてきたのだろう。

つまり
「理屈じゃない、感情だ」と。

派遣がかわいそう、年寄りイジメ、マスゴミ、ネオリベ、アメリカのポチ、在日=パチンコ屋、公務員は絶対的に悪、最後は国が守ってくれる・・・


私の言葉は誰にも届かないのだろうか。
身内にすら言葉を届けられない私が、
どうして日本を、世界を動かす言論を作っていけるのか・・・



今日、母親とバスに乗って「坂の上の雲ミュージアム」(松山市一番町)に行ってきた。


あまり大したものを期待していなかったのだが、
司馬遼太郎作品としての「坂の上の雲」の展示と
その時代の松山と正岡子規、秋山兄弟周辺の展示が
別々になっていて、
私のような司馬遼って聞くだけで拒絶反応を示す人間にも優しく、
展示内容も丁寧に作られていた。


貧乏していた秋山家の父親はいう
「貧乏が嫌なら学問をしろ」。

明治の学生気質として自らが学問をすることが、
自己と家族の利益、そして国家天下の利益につながる直線が
見通せたのだろう。


松山藩は親藩で戊辰戦争後、一時土佐藩の支配下に置かれる。
朝敵とされた貧藩で彼らも貧しい暮らしを捨て故郷を出る。


春や昔 十五万石の 城下かな  子規


幼少から親しんだこの句はほのぼのした句だと思っていた。

しかしどうだろう。
貧しく、時代に乗り遅れた松山の春は昔日の出来事だったのだ。


彼らは旧朝敵でも出世できる明治のシステムで昇りつめていく。
自らの学問は日本の進歩・・・


私は泣きそうになった。
私は同じように松山東高を出て貧しい家を出て学問をした。

けれども私の学問で誰が得をしたのだろう。
身内すらもよろこばせられないではないか。

「100年早く生まれたかった。
 今では私が勉強しても世の中の人の誰の得にもならない・・・」


ミュージアムを出て泣き崩れてしまった。

母親に慰められながら労研饅頭と日切焼きを買って電車で帰った。


年金制度に反抗するために

2008年12月21日 | 政治:暴論と正論
現在の日本の社会制度は全て年寄りのために作られている。

それは敬老の姿勢を全国民の総意で示しているのではなく、
老人票を政治家が欲しいだけである。

これに反抗するための過激な方法を提案する。


1、電車の優先席に座る

2、年寄りが来ても席を譲らない

3、以下の内容の紙を見せ付ける



わたしが払った大金が

あなたの年金になってく

わたしは席を譲らない

あなたが金を譲るまで