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陰徳を積むとは何か(Eiji様より引用)

2017年12月06日 12時35分59秒 | 備忘録

自分で忘れないように書いておく。非常に素晴らしい考察をされる方なのでよく見てるのですが、心に残ったことを備忘録として残しておこうと思います。

以下抜粋




 


陰徳というのは、
「義・礼・智・忠・信・孝・悌」を行う事


であります。



そもそも儒教的な「徳」とは何かといいますと、
優しさや気品といった人間本来の良き精神を示すものではなく、
天分が社会的経験や道徳的訓練によって後天的に獲得するものであり、
誰でも経験や教育によって善き人間の特質となりえる後天的な精神である。

つまり、徳は訓練によって得られる「善因」であるということであります。
それを「人知れず積みなさい」ということですから、
基本的に「陰徳」とは、
「報酬を考えず良いことをする」→「後で良いことがある」では無く、
「自己鍛錬の為に報酬を考えず良いことをする」という姿勢である。

また、「仁」とは何かという説明に、
「心優しいこと」とか「人の痛みが判ること」という説明がありますが
それも間違いではないが、不完全であります。
心優しいが、裏表のある人は仁者ですか?
心優しいが、秩序を守らない人は仁者でしょうか?
心優しいが、強欲の人は仁者でしょうか?

正しくは、「義・礼・智・忠・信・孝・悌」を行う事を「仁」という
のです。

では、肝心の説明です。
「義・礼・智・忠・信・孝・悌」とは何か?


義とは、正しいことならば、例え自分が犠牲になっても行うこと
礼とは、どんな相手でも尊敬して接すること
智とは、原因と結果を明らかに観ること
忠とは、裏表のない行動
信とは、言葉と行動が一致すること
孝とは、恩に報いること・・・親や神や恩人の恩に報いること
悌とは、秩序を守ること・・・秩序維持の為に、法律・先輩・上司を立て自我を出さないこと


です。

この徳目をすべて守って実践しようと日々鍛錬することは、
非常に困難で「人知れず努力すること」に他ならない。
ですから、「陰徳あれば必ず陽報あり」という諺の本当の意味とは
「義・礼・智・忠・信・孝・悌」を実践しようと生き方を正す事を陰徳を積むと言い、
常に自分を高める努力をする生き方を実践する者には、善い事があるという意味なのです。



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