ふと、感じたことです。
SNSで、ある知人僧侶が、新しい縁が出来た方と面談をしたそうな。
その話し合いの内容はわからないのですが、そのときに「相手の方は、安心して帰っていきました」と書いてありました。
面談の雰囲気も良かったのかもしれません。それでも、安心した・・・というのには、違和感を感じます。
以前にも「利他」という内容でブログに書いたことと通じることなのですが、こちら側が、相手を安心させるように納得できるように伝えたとします。
相手が、にこやかにうなずいたとしても、本当に安心していたのかどうかは、こちら側ではわかりません。
ちょっと前に、若い布教師(御説教をする僧職)が、「今日は聴衆が、私の話を聞いてくれた人が、首を縦に振ってくれていた。そうだそうだと言うように。だから、相手に伝わったに違いない」と、感想を話してくれました。
そこで、先輩坊主面をしている私は、聴衆が頷いたからと言っても、ただ習性として言葉に反応しているだけで、どれだけ伝わったのかは、わからないものだ。むしろ、しかめっ面して反応をしない人の方が、理解していることもある、と。
