8月4日に遷化された茂田真澄師の本葬儀が、ご自坊である町田市勝楽寺にて勤められた。
インドシナ難民の状況を目にした茂田師は、NGO活動を始めることを決意して、1993年にアーユス仏教国際協力ネットワークを創設した。
私も、声をかけられて役員として参加する。
僧侶という世界では遇えることのなかった人々から、他人事でしかなかった世界の課題を自分のものとすることができるようになった。
本葬儀に参列して、茂田師の活躍がどれだけ大きかったのかを、改めて感じた。
明蓮社暁誉上人宙阿街灯真澄大和尚、この「街灯」はチャップリンの「街の光」から取られたものだと聞いた。
茂田師は、元来映画制作の世界を目指していたほど映画好きな方だ。その数多い映画の中から、自分にふさわしい「街灯」を選ばれたのには、思い入れがあったに違いない。
自分が、街を照らす灯りになりたいと考えられたのかもしれない。
西方極楽浄土は、阿弥陀仏の御許で、人々を救うための修行をする場所だ。極楽は、極めて楽しいとことではなくて、衆生を救うための修行が極めて楽に行えるから、その名になる。
浄土に到着されたら、早く修行を完成させたいと阿弥陀様に駄々をこねるかもしれない。
今後は、初代理事長の願いを結実させていくことが、私たちの宿題だ。
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