僅かな三日月の光でも輝く価値ある美しい希少宝石のご紹介と愉しいデザインジュエリーの安心価格でのご提案

横濱元町の穴場的存在の小さな宝飾店ながら品揃え元町一番店を目指して20年 集め続けた美しい高品質ジュエリーだけの御紹介

ルビーの指輪の歴史を観ました。  元町宝石店長のブログ

2012-02-19 13:58:51 | ルビー

ルビーの指輪にチョット昔の

宝飾の歴史を観ました。 

元町宝石店長のブログ

 

先日 有るお客様から サイズ直しを頼まれた指輪の事について書きます。

 

30代前半のお客様の お話によれば  ご自分がまだ8歳のころ 

ご自分の お婆ちゃんに 戴いたもので 当時 小学生だったので 

ずっと二十数年間 お母様が大切に仕舞って置いて 下さった物だそうです。

 

『 昔 祖母から戴いたK18ルビーリング もう そろそろ 普段使いに出来るのでは?』

、、、、、と お母様が 箪笥から出して 手渡してくれたルビーの指輪なのだそうです。

 

最近の物はすべてキャストと呼ばれる方法で鋳造し、何本も大量生産で作るのが普通

なのですが、その当時は キャストと言う制作方法が無く、すべて熟練の職人が

指輪の腕部分と ダイヤモンドやルビーを止める丸い筒(パイプ)を

それぞれの宝石の直径に合わせて造り 爪は長い丸線を制作し

 丸線の太さで 爪の大きさが変わり それぞれを組み合わせて 中座と爪を制作。

指輪の腕 と ダイヤルビーの中座 の両方を 組み合わせて指輪が完成します。

お客様の話から こちらの指輪は 今から約47年前ぐらいに 製作されています。

 

昭和40年前後と言う当時の経済状態では金地金がもの凄く高くて 

一般人には   高嶺の花 絵に描いた餅? と言う時代。

金細工の物でも 糸のように細い指輪が多く、K9 K14が主流の時で

中石は 半貴石 の メノウ・ガーネット・シトリン・アメジスト・ などが多く

全て 『1000本スカシ』 と言う 技で 作られたものでが殆んど

使用する金地金を 現在の半分以下で 出来るだけ軽く作るのが 普通の時代。

思い出せば 私がこの業界に 入ったのは それからしばらく 経ったころです。

その貧しい 時代に 

こんな前衛的なデザインを 注文制作していた方が居られたとは

ビックリです!!

 

 

当時としては これを制作した職人は ヨーロッパ帰りの技術者!?

私の想像では イタリアのゴールドジュエリーの研究された方の作品なのでは?

 

上のこの写真では解りずらいのですが、

次の背面拡大写真を観て戴くと解るのですが

 

 

 今ではこんなに 丁寧な鍛造のファッションリングの 製作はあり得ない!!

 

 

この腕の磨り出しには 製作技術者の暖かい情熱と 手間と根気が 要ります。

 

 

~ *元町宝石店長のひとりごと* ~

この作品を 何度もなんども ルーペで細部にわたり 確認して行く内に

この指輪を 当時 誂えて 居られた方を思うと 早くから西洋文化のジュエリーを勉強され

 しかもご自分の趣味の一つとして イエローゴールドのこのルビーの指輪を

普段使いとして愛用し そのもの自体を 小学生の孫娘に 生前贈与?

 

そのルビーの指輪が 

今 孫娘の彼女の指で 愉しそうに輝いている?

 

これこそが 私の願う『100ねんジュエリーのコンセプト』 なのです。

親から大切な娘へ 娘から大切な孫へと 3世代 愛用できるもの

それこそが『 100年ジュエリー 』 なのです。

2012年の今 私が考えていることを この祖母は当たり前のように実践されている。

『 いつの世にも 大切にされる ジュエリー 』

そんな素晴らしい物だけを 厳選して販売して行きたい。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿