八戸の煎餅の挽歌のつもり

昔の新聞のスクラップブックを取り出して感想を書いたり書かなかったり。

南部煎餅は八戸の名物だった

2019-10-29 | 日記
 八戸小唄の間奏にツルサン、カメサンと入れ始めたのは誰だ。レコードは78回転の時代だったなあ。

八戸・下北半島・青森附近

  八戸市   人口一〇四、三三五  面積一〇一平方粁一五七

     市内に八戸線(尻内-久慈間六一粁九)八戸駅ほか湊・鮫・種差等の諸驛がある。
   ▲尻内・八戸間汽車で一五分(五粁五)、一〇円。又はバスで二〇分、二五円(東北本線の上下列車毎)。

 青森県の東南部に位している港市で、藩政時代から八戸鮫港の名で知られ、南の石巻港及び萩ノ浜と並んで東北地方東岸有数の港として栄えている。もと南部氏二万石の城下で、市域は太平洋に面して狭長な地域を占め東北部の鮫角付近から東南部にかけては岩石海岸をなし、名勝「種差海岸」の名で知られている。「三陸漁場」を近くに控えて水産業が最も盛んに、また農・工業も行われる。また南部馬の産地・南部桐の本場としても名がある。
 【旅館】◎漁大洋館(湊町、ムツミナト駅一〇〇米、電四一七、室一八、宿料七五〇円) ◎孔雀荘(八幡町、八戸駅二〇〇米、電四六 六〇一、室和一六、洋一、宿料七〇〇-一〇〇〇円) ◎みやぎ旅館(八幡町、八戸駅前、電三〇四、室二〇、宿料六〇〇円)  ◎橋本館(鮫町、鮫駅三〇〇米、電七〇五、室和一八、洋一、宿料八〇〇円) 石旧屋(鮫町上鮫、鮫駅二〇〇米、電七〇一及二〇三二、室一三) なかや(六日町、陸奥湊駅六〇〇米、電二四二、室八、一泊六〇〇円) 若松(三日町、陸奥湊駅半粁、電七三、室一六、一泊六〇〇円) 鴎鳴館(鮫町、 電七〇六)。
 【日本交通公社案内所】 市内八日町三七(電九四四)。
  ▲市内バス 一区一〇円。▲タクシー 地帯別で一三〇円乃至四五〇円。
 【名 物】 南部せんべい・むし菊(食用の阿房宮菊の花をむして干燥したもの)・八幡駒(当地方の代表的郷土作品で日本三大駒の随一として夙に知られる。農閑期に農民の粗野な手法によつて造られる)・うに罐詰・鴎細工。
  ◎新羅神社 八戸駅の南一粁半、市内糠塚の長者山山上にあり、附近は八戸公園となつている。祭神素戔嗚尊及び南部氏の遠祖新羅三郎義光、例察九月一-三日。当日は「三社大祭」と称せられて大いに賑わい、また二月十七日の豊年祭「えんぶり」は種蒔から収穫までの有様や漁獲などの模擬的所作を演ずるもので、野趣に富んだ祭りである。 ◎櫛引八幡宮 市の西郊外館村にあり、バスの便がある。祭押誉田和気尊、例祭九月十五日。南部一ノ宮、奥州二ノ宮と称されて広く崇敬されている神辻で、社宝の甲冑二点及び後亀山天皇卿料小桜縅の鎧一領、他二点は重要文化財に指定され、南北朝時代のものとして有名である。  ◎月渓山南宗寺(臨済宗)市内糠塚、長者山の西麓にあり八戸驛の南二粁余。寛文六年( 一六六六年) 八戸藩主南部直房の創建に係る古刹。
(ミヤギ)公園 市内柏崎の八幡町にあり、駅の南二〇〇米。同じく寛文六年に南部直房の築いた八戸城跡である。  ◎橋本香月園  八戸駅の西南二粁半、市外館村売市。広大な園内に花圃・温室・果実園があり、殊に春のチユーリツプと秋の大輪菊は有名である。                            <略>
(入沢文吉編「旅程と費用」二七八ページ、昭和28年、日本交通公社)


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