地球☆めぐり
《2年のボリビア生活終了…ボリビア、ペルーの思い出他、2009.8から米国田舎暮らしの様子をお届けします》
 



7月のホンジュラスを旅していてPCが壊れ・・・
同じく7月のキューバの旅でパソコンやネットと縁のない生活を送り・・・
(キューバでネット接続は非常に高い!)
壊れたPCを抱えたまま8月下旬にアメリカを経由に帰ってきた日本。

写真を編集していたphotoshopもなくなり、
PCも壊れすぎて死亡。
そんななか携帯だけで友人と連絡が取れる日本の生活にどっぷりとつかっておりました(笑)

さて、
まだまだキューバについて書きためた記事はある。
写真もようやく壊れたPCからとってきて復活傾向。

さて、ブログも復活させようか。

と思った矢先ですが、
とある船旅にスペイン語通訳として乗船することが決まりました。
分かる人には分かる、あの「船」です。

またもや船旅なので
ネットから縁遠い生活になるかとは思いますが、
ぼちぼち続けていきます。

私が普段しているじっくり旅とは異なる
世界の港滞在ほぼ日帰りな船旅。
表面的な観光には見えるけれども、
今度はどんな出会いが待っているのだろう。


ということで、
近々ホンジュラスもキューバも含めた思い出ブログをつづれることを祈りつつ。


ブログ『地球☆めぐり』復活!!!


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2週間のキューバ滞在から戻ってきた。
といっても、メキシコのカンクンへ。

広告・宣伝も、マクドナルドもケンタもコカコーラも、
その他アメリカ系の大型チェーンストアもなく、
インターネットのアクセスもほとんどなく、
無駄にがなりたてるスピーカーもなく、
アンティークな車と馬車と三輪タクシーが走りまくるハバナから、

アメリカを凝縮したようなメキシコのリゾート地、カンクンへ。


たった55分のフライトは、
時代をも超えてしまうらしい。


まるで、60年代かそれ以前のような
(といっても私は60年代を知りませんが)
ハバナから、どう見ても2010年な無駄に物があふれるカンクン。

カンクンの空港から安宿へ行くバスの車窓からは、
ショッピングモールや大型広告、ネオンサイン、渋滞、
各店競争のようになける大音量の音楽…
ちょっとくらくらしてきた。


たった55分のフライトでの時差ぼけ。
ゆっくり馴らしていこうと思う。

だって、
こんなんじゃ、もはや新宿の雑踏なんか歩けたもんじゃないから。


ということで、
帰国を2週間延期しました。


まぁ、ボチボチ、
ニカラグアの残りと、
一生忘れられないであろう出会いだらけだったキューバの日記を
上げていこうと思う。


のーんびりと。

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ただいま中米旅行中!
ということで、とりあえず旅の足跡を…


<コスタリカ>
首都サンホセ→
モンテベルデ自然保護区→
ニコヤ半島・サンタテレサビーチ→
首都サンホセ→
1時間の川くだりでニカラグアへ国境越え(オススメ!)→

<ニカラグア>
ニカ南西端の国境の町サン・カルロス→
スペイン時代の要塞跡エル・カスティーヨ→
サンカルロス→
11時間の船旅でオメテペ島→
湖畔の町リバス→
グリンゴサーファーパラダイス?のサン・フアン・デ・スル
ニカの古都グラナダ →
アルテサニアの村・マサヤ→
サンディニスタの本拠地レオン→
森の町エステリ+田舎の村々→

スクールバス乗り継ぎで国境越え

<ホンジュラス>
テグシガルパ通過→
カリブ海の港町ラ・セイバ→
カリブ海に浮かぶ島ウティラ島→
テグシガルパ

<キューバ>
ハバナ→
トリニダ→
サンタクララ

<メキシコ>
カンクン…


それでは、みなさんもよい夏を!


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ニカラグアに入った瞬間から
やたら目に付いたものがある。

どの町を歩いても、、
どの村を覗いても、
どのホテルに泊まっても必ずあるもの。

それは、揺りいす。

ニカラグアに入って一日目のサンカルロスのホテル。



その後も、
太平洋岸のビーチの町、サン・フアン・デ・スルでも。


グラナダでも。


エステリという山の町の安宿でも。


町の路上でもいろんな種類の揺りいすを販売中。



英語版のガイドブック情報によると、
揺りいすはニカラグアのスペイン語でabuelitasというのだとか。
abuelitas、つまり「おばあちゃん」。

なんかこの名前、わかるなー。

どこへ行っても、おばあちゃん、おじいちゃんたちが
日がな外を見ながら揺りいすでゆ~らゆら。

泊まったすべてのホテルにあるから、
私も毎日ゆ~らゆら。

ん?
なんだか居心地がいいぞ。

日本に帰っても、揺りいすが欲しくなってきた最近。

ハンモックといい揺りいすといい、
ニカラグアにはやたらととろけそうなものが多い。
日本では手に入りにくそうだ。
あーーーーー、どうしよう。
ってこんなでかいもの、持って帰れないじゃん!
そんな揺りいす中毒な今日この頃。

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ニカラグアで初めてスペイン人が創設した町、グラナダ。

ニカラグアで一番、
コロニアルな町並みが歴史的で観光客向きだ、なんて聞いていたので
ものすごく楽しみにしていた街だった。


街中では、かわいらしい馬車が走っているし、


中央公園では、ちょうどフォルクローレのダンスをしていた。



この踊り、見事なまでにボリビアの低地地方の踊りに
衣装もステップもリズムもそっくり!
同じスペインの影響を受けているであろうとはいえ、
似たような気候だと、こんなに距離が離れていても似たものになるのかな?

観光客向けの店が連なった、
観光客にとってのメインストリートもかわいらしい。



それでも、
あまりこれといった民芸品(アルテサニア)もなく、
コロニアルな町並みも小さい地区だけに限られていて、
正直ちょっとがっかりしてしまったグラナダのコロニアルな町並み。
だって、ボリビアのスクレとか、
ペルーのリマやクスコやトルヒーヨ、
グアテマラのアンティグアの方が、
遥かにコロニアルな雰囲気があって居心地がよかったから…。

そんなちょっとだけがっかりしてしまったのだけど、
ほかのグラナダからほかの街に移動した今なら言える。
確かにグラナダの町並みはニカラグアで一番綺麗だった、と。

カテドラルも黄色がかわいいのに、威厳あるいでたち。


夜のライトアップも。


さすが、観光客(特にグリンゴ=アメリカ人)が集まる
グラナダ。バーが出してきたスクリーンに映るは、
ニカラグアで人気あるサッカーでも野球でもなく、
アメリカのプロバスケ(NBA)。
興味あるのはアメリカ人しかいないだろうに、
店はグリンゴで大賑わい。さすがアメリカから近いニカラグア・・・。



ということで、グラナダ。
特に見るものはないけれど、
ニカラグアでは一番のーんびりできたかわいらしい町だったなー。
うん、ニカラグアの街の中では、オススメできるかも。

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ニカラグアには中米で最大の湖、
コシボルカ(Cocibolca)湖(別名ニカラグア湖)がある。

その湖の中には、これまた最大規模の島、
オメテペ島があって、ここはスペイン人が侵略する前から
インディヘナにとって神聖な地とされていたのだそう。

コスタリカとニカラグアの大西洋側(東側)の
国境の町、サンカルロスからは週に2回船が出ているというので、
私も船でそのオメテペ島へ。

地図上では、
サンカルロスからオメテペ島までわずか70Kmほど。
島も、サンカルロスの町からオメテペ島の火山が近くに見える。


なのに、なのに…
この船の旅、12時間もかかったのだ。

70Kmの距離を12時間もかけて!
一向に近づかない島を見ながら。

この船、
何年に造られたかはわからないけれどとにかくアンティーク。


さらに、私がカヤックで漕ぐ速さより
ほんのちょっと速いのではないかという”遅さ”。

そんな船の1階のデッキでは、おっちゃんらがビールを飲みまくり。


2階のデッキでは、
マイハンモックやマイデッキチェアを持ち込む乗客や、
マットレスを船に直接引いて昼にも関わらず寝る乗客など…。
コインをちゃらちゃら言わせながら、トランプでお金を賭けだすグループもいて、
なんとも、好き勝手な光景が繰り広げられていた。


いかにもラテンな縮図。

私はというと、
昼2時から夜中2時という中途半端な時間の12時間、
特にすることがないので有料デッキチェアを借りて、
本を読んだり、昼寝をしたり。
人間観察にも飽きてしまうほどすることがない!

こんなに「時間よ早く過ぎよ」と思ったことがないほど
暇で暇でたまらなかったこの船旅。
でも、こういう暇な時間って普段は欲しくても手に入らないものなのよね。

そんなことを思いながら70Kmを12時間かけて移動した一日。

でも、夕日を映した雲がとてもきれいだった。





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川を下ってのんびりコスタリカからニカラグアに国境越えしたことは、
この前のブログで書いた話。

着いたニカラグアの町はサン・カルロスというところで、、
そこから更に船で3時間ほど太平洋側に向かって川を下ると、
パナマ運河が完成する以前まで、大西洋と太平洋を結ぶ、
交通の要所として重要だった村、エル・カスティーヨに着くのだ。

エル・カスティーヨとはスペイン語で「城」という意味。
交通の要所だった時代に、スペインの宝(というか財力?)を
狙った海賊(特にイギリス人)がよく出現したため、
その海賊から船を守るために要塞が作られ、
それが名前の由来となったのだそう。
だから、今でも要塞跡が残っている。

それに、多くのアメリカ人がニューヨークからサンフランシスコに
行くのに、このニカラグアの航路を通ったというのだから
規模のでかい話だ。

まぁ、そんなことは置いておいて、
このエル・カスティーヨは水路の要所だっただけあって、
なんと今でも道路がない。
交通手段は水路のみ!

村の中には車はおろかバイクも一台も存在しないのだ。
車輪として存在するのは、自転車か子供の三輪車か、手押し車か。

エル・カスティーヨ村に到着。



身近な乗り物は数人のりのボートかのんびり手漕ぎボート。



昔は大活躍だった要塞跡。


要塞からは、海賊退治に最適の見晴らしのよさ。


昔を偲ぶ大砲が…



そして、
小さなお店と素朴な家が軒を連ねるメインどおり。


車が存在しない村の道路の主役は子供たちだ。


邪魔者(=車)がいないので、道路全部使って
野球をしても問題なし!


でも、竹馬が今一番人気らしい。
小さい子も大きい子も、なんと大人まで、みんな竹馬に乗りまくり。


でも、実はもっと最新の楽しみは、
お店のプレイステーションとニンテンドー、だったりして。


子供だけのお散歩だって安全そのもの?!


村の唯一の騒音は、
学校と道路の子供の声だけ、ってちょっと素敵じゃないですか?

要塞以外見るところがない村だけど、
久しぶりに車の騒音をまったくきかないのんびりしたときを過ごすことができた一日。




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こんなアドベンチャーな国境越えは初めてだった。
今まで結構な数、陸路(飛行機以外で)国境越えしてきたけれど、
ダントツで一番思い出に残る楽しい国境越えだった。

そう。
コスタリカからニカラグアへ。


コスタリカからニカラグアへは、
太平洋岸に近いハイウェイをバスで国境越えするのが一般的なルート。
ところが、旅行者にはとってもマイナーなルートだけれども、
大西洋側に近いコスタリカのロス・チレスという町から
フリオ川(Rio Frio)を下って、ニカラグアのサン・カルロスという町に抜けるルートがあるのだ。
ボートに揺られ、1時間強の川くだりツアーならぬ国境越えツアー。




コスタリカのロス・チレス国境越えボート出発口近くのイミグレ。
コンクリート作り(←これ重要)


船着場周辺はボートと牛と草原という長閑この上ない風景。


船着場。ここにいる人がみんな国境越えするのだ。


こんな船。


さあ、国境越え=川くだり=ボートツアー1時間強、の始まり!


熱帯の半ジャングルを川で抜ける。


見える景色は巨木だったり、根っこがこんがらがったような木だったり、


いろんな水鳥も発見。


…と、ここでまるでデジャブのように思い出すのが、
ボリビアのルレナバケというアマゾンの町で行ったパンパツアー
川の色といい、見える景色といい、水鳥といい・・・ほぼ同じ。
まるで今度はカピバラにも遭遇するんじゃないかと思ってしまうほど。
(コスタリカにはカピバラはいないらしい)
2008年10月15日の日記


そんな川沿いの景色を見ているうちに、
ニカラグアの町が見えてきた!
(実際にはその前からニカラグア領)


見える家屋はまるで半水上家屋。


なんとイミグレも半分水上家屋のほぼ木の掘っ立て小屋状態…。



こんな小さなイミグレで興味津々にパスポートを見られつつも、
無事入国。
イミグレのおっちゃんいわく、日本人はほっとんど来たことがないのだとか。


国境を越えようとするともれなくついてくる
1時間強のジャングルの川くだりツアー。

隣国なのに、
コスタリカとニカラグアの経済格差は大きく、
日々ニカラグアからイリーガルの労働者がコスタリカに入国し、
格安の労働力としてコスタリカ経済を支えているのだそう。
コスタリカのとあるお医者さんと話した時に
「ニカラグアから多くの不法労働者がコスタリカに入ってきて
 治安も悪くなって困るんだよね」と聞いた。
この言葉にかなり偏見が入っているとは思うけれど、
ニカラグアとコスタリカの間に経済格差があることは誰が見ても明らかだ。

国境越えでも、コスタリカ側は小さいながらもコンクリ造りのイミグレ。
ニカラグア側は、半水上家屋な木造の隙間だらけの掘っ立て小屋状態。

でも、ボートで出会ったニカラグアの人たちは
素朴でとても親切で、ほんわかした雰囲気が漂っていたのだ。

サンディニスタの国、ニカラグアへ、やっとやってきた。


話を戻そう。

そう。
かなり遠回りなルートになるけれど、
時間がある旅人には「国境ボートで川くだり」が絶対オススメだ。

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コスタリカと言えば、
手付かずの自然、山とビーチ、と聞いていた。
あまり知識はなかったけれど、どのガイドブックを読んでも
自然自然自然!と連呼しているので、まったくもって海派ではない私も
ちょっくらビーチに行ってみることにした。
オススメのビーチとガイドブックに載っているだけで、10近くはある。

サンホセで泊まった安宿で、
沈没系の欧米人スタッフに聞いてみると、
「絶対サンタテレサビーチよっ!」と大絶賛。

ガイドブックの地図にすら載っていないビーチ。

面白そうよね。

といことで、向かったサンタテレサビーチ(Playa Santa Teresa)。


ビーチ沿いは開発が禁止されているため、
店も物売りもパラソルもない。
ただ、白い砂浜と緑の森が続くのみ。
ちょっと奥に入るとポツンポツンと安宿とお店が軒を連ねているだけ。
コスタリカ人の村も近くにはないようで、
グリンゴ(欧米系の人)しか見当たらないちょっと不思議な場所。
のんびりする以外に何もない場所。

とろけてみた。
こんなビーチで。
日がな寝転び、本を読み、海を眺め・・・



流れ着いた流木までそのまんま。


初めて見た地元の人。晩御飯用の釣りをしていた光景まで絵になるのよね。



日本語のガイドブックはおろか、
大部分の英語のガイドブックにも載っていないサンタテレサビーチ。
にぎやかなリゾート?を楽しみたい人にはまったくもっておすすめじゃないけど、
ひたすら自然な中でとろけたい人にはおすすめだ。

ちょっとだけ行きかたを。
ニコヤ半島の誰もが知る有名なモンテスマビーチ(Playa Montezuma)から
ローカルバスですぐ。

ローカルバスは外国人料金を設定していて、
外国人は地元の5倍近くのバス代を払わなくちゃいけないのには、
私は内心切れ気味だったけれど、まぁ、ビーチにその価値はあったかな。
今まで行ったビーチの中で(あまり行っていないけど)、一番自然でキレイだった。
サーフィンでも有名らしい。


さて、最後は
夕方お散歩意していたやどかりさん。
流されては同じ場所に戻ってくるのに、
どうして海に向かって歩いているのだろう。


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なんともアホなタイトルですが、
コスタリカを代表する観光地、といえばモンテベルデ森林保護区。
年中雲がかかり、湿度と気温が高く、
あらゆる緑が絡まりながら育つ深ーーーーーーーーーい森が有名なのだ。

ただでさえ物価が高いコスタリカの中でも
代表的な観光地というと・・・やっぱりありえなく物価が高かった。
レストランの食事が、単なるトマトソーススパゲティで15ドルから。

ありえんだろう、ということで、
やっぱり毎日、ほかの観光客とともに自炊の日々だったけれども、
公園の入場料も外国人17ドルと高かったけれども、深くてきれいな森だった。



そんなモンテベルデ(詳しくはサンタエレナ村)で
高けれども一番よかったのはキャノピーツアー。

13本もの森にかけられたケーブルを一人ずつ滑車で滑っていくのだ。
(ほら、日本の公園にもあるターザンごっこする遊具みたいなものの、本格版)
最長で1キロ! 

深いジャングルの中を葉っぱを触りながら滑っていったり、


ジャングルの上を鳥目線で風に吹かれながら渡っていったり、



バンジージャンプ風に、森の中へ飛び降りていったり、
(カメラのあるところから、ロープ数本だけで飛び降り、
 矢印の先が私)、


書ききれないほどのアドレナリンいっぱいのツアーだった。
何せ、環境が遊園地の中じゃなくて、
本物のジャングルの中を鳥や猿の声を聞きながら、というのがまたいい。


あまりの観光地値段と外国人料金の高さに憤慨していた観光客(私も含む)だけど、
これには大満足。
一度、森を鳥目線で上から見てみると
鳥が本当にうらやましくなってくる。


いつもこんなことしている鳥っていいなぁ。



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コスタリカというと、どういうイメージをお持ちだろうか?

私は南米には何回も足しげく通っていたものの、
中米というと全然イメージがなく、まったく知識もなかった。
だから、コスタリカ…=平和的憲法?…=軍隊がいない?
というイメージくらいで、
自然が豊かな観光立国ということすら知らなかった。
だからこそ、行きたくなったのよね。今回。
知らないからこそ。

で、おなじみの某ガイドブックによると、
コスタリカは「中米のスイス」なんだとか。

経済も中米一、安定・発展していると聞いているし、
「スイス」というだけあって相当キレイなんだろうと勝手に想像していた。

行ってみてわかったこと。

多分この「スイス」という例えは、
平和憲法や中立国ということからの連想なんじゃないかと。
残念ながら、ほかのラテンアメリカの都市では定番の
中央広場にカテドラルとコロニアル建築…という
絵になる風景がサンホセにはまったくなかったし(地震で倒壊したらしい)、
一等地はマクドナルドかケンタッキー、タコベル、ピザハット、
サブウェイがもれなく占めていて若者が群がっていたし
(ということは、経済力が弱い国によくありがちな
外国のファーストフードは値段が多角贅沢・・・という構図が
多分コスタリカには当てはまっていないということ?)



でもその割には排気ガスのくささと騒音はひどくて
なんだかちょっとがっかりしてしまったのだ。

目抜き通りの店も、アメリカのPayless shoesがあったり、
いまどきな靴屋ばかりで、いまいちラテンアメリカが感じられず。

それでも、
経済力(と多分治安)が中米の中でダントツ強いことだけはよぉくわかった。

というのも、
街行く人の多くの服装が、今どき?で、
かっこいい最新携帯やMP3プレーヤーを使いながら歩いている人が多いし、
町中の公衆電話がちゃんと使えるし(ボリビアでは単なるかざりか子供のおもちゃ)


タクシーは色が赤に統一されていて、メーター制だし、


市内バスも大型バスに統一されていて、
ワンマンだし、呼び鈴はあるし、中に液晶テレビがついていて宣伝を流しているし、


そして何といっても、物価がダントツ高い!

特に食費が日本やアメリカ並に高く、
1食市場で食べても4~5ドル。
普通のレストランでは10ドル以上は当たり前。
ということで、私も含めた旅行者のほとんどは宿で自炊の毎日だった。
唯一の外食は、こんな市場の食堂(かなり清潔!)での
casadoというコスタリカの定食。



まるで日本のしなびた洋食屋さんの定食みたいな感じで、
フライにご飯と簡単なサラダ、豆、なぜかスパゲティ、ポテトサラダがついている。
ボリュームはまんてん。


とどめは、スーパーでの紙パックコーヒーが約2ドルの高さ。

ということで、
本当はもっとコスタリカの憲法や歴史を学んでみたかったのだけど
サンホセは私には合わず、あっという間に駆け抜けてしまったのだ。

でも、ひとつ、いいと思ったもの。
中米一歴史的な国立劇場。


本当はここでクラシックコンサート(コスタリカはレベルが高いらしい)を
聞いてみたかった、が、予定が合わず断念。

個人的にはかなり微妙な街でした、サンホセ。
ラテンアメリカでは珍しく、ここにだけは住みたくないなぁと思った街。
んーちょっと残念。
あ、でも治安は中米一いいらしい。
治安のよさと、微妙な街と物価の高さ、うーん、難しいバランスだ。



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長い間ブログの更新が滞っていました…。
なんだか忙しい毎日を過ごしていた、というのは言い訳でもなんでもないのだけど。

さて、
実はもう大学での仕事も、それと並行してとっていた
スペイン語方言分析の授業も無事に終了。
やっとこさ、一息つける毎日が休みの日々に(笑)

ということで、
早速中米への旅に出てみたのだが、
そのブログをかくまえに、
ちょっとばかりアイオワの思い出を書いてみたいと思う。

題して「アイオワ人の楽しみ」。

というのも、
一面雪に閉ざされた長ーかったアイオワの冬。
そんなアイオワに住む人は、長い冬に何を楽しみとしてすごすのだろう?なんて
つぶやいたところ、とあるアメリカ人が車で1時間ほどの待ちにある
大きな店に連れて行ってくれたのだ。

その店の名前は「バスプロショップ」。

バスは魚の名前で、元は釣具を売る店から始まったのだとか。
釣りは今も人気のあるスポーツ。
もちろん夏に。

そんな夏のイメージの店名ながら、まるで山小屋のような外観をしている
とにかく大きな店なのだ。

バスプロショップ外観


入口を入ると、
夏っぽい名前とは打って変わって巨大な暖炉が(一年中)。



そして、
バッファローのはく製がお出迎え


そう、
山もなくだだっ広い草原(プレーリー)が広がるアイオワにとって
夏のスポーツと言えば、釣り。
冬のスポーツと言えば、狩り、ハンティングなのだ。

だから、
冬を代表する剥製の一方で、夏を代表する釣りを
あらわす巨大な水槽もあり、子供たちの記念写真場として大人気。


さて、冬バージョンの店の中。
数時間では見切れないほどの巨大な店舗の半分は仮グッズで埋め尽くされている。
ハンティングのカモフラージュの服にはなんと冬(雪)用まであるのだ。


まるで、軍隊を連想してしまいそうな、カモフラージュ服…。


そして、狩といえば、もちろん十・猟銃ですね。
ということで、器庫? 銃をしまっておくところも販売。


そして、そのもの。
ピストルがずらーり。


銃もずらーり。


広ーい銃販売コーナー。
子供づれが一緒に銃を見学。本体をとって確かめる姿も日常茶飯事!


だから、弾専門コーナーも当たり前にある。



もちろん、狩をするには練習が必要だ。
獲物をしとめる練習用の標的コーナー。
心臓が出ていたりして、ちょっとリアル。


冬、ほかに行くところがないアイオワでは、
この店は半分アミューズメントパークと化している。
だから、銃(といっても電気信号のもの)試し撃ちコーナーは大人気。
私もちょっとやってみた。


で、狩=獲物を待つ、ということで、狩りには忍耐が必要。
森の中でカモフラージュしながら、木の上に隠れてじっと待つのだ。


さらに、獲物をおびき寄せる用の岩塩まで販売。


獲物をおびき寄せる用のあまいシロップ。
なんとどんぐり味やりんご味などバリエーションも豊富(笑)


という、こんな店が人気があるアイオワなのだ。

銃刀法(であっているかな)がある日本では考えられないお店。
ある意味、とてもアメリカ的な店、なのかもしれない。

こんな狩が人気のアイオワではもちろん、
聞いた話によると銃所持への反対はとても少ないのだそうだ。

また、楽しみのために狩をする人が多く、
獲物をしとめても毛皮をとっておくだけで、肉自体は捨ててしまう人も多いのだとか。
個人的には、しとめるなら、全部利用してほしいのだけどなー。

いろいろ考えさせられる現実だけど、
この巨大な狩・ハンティンググッズコーナーを見ると、
その人気ぶりには圧倒されてしまう、
そんなアイオワの冬の人気?スポット…。

アメリカらしい店が見れてちょっと満足したドライブだった。



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またもやちょっと時間が空いてしまった…。
前回は、フィラデルフィアの古くてかわいらしい町並みについて
書いたけれど、今回はもっと歴史的な面のことをちょっくら。

フィラデルフィアは
独立運動や独立戦争での中心的な街だったので
街並みだけでなく、「独立」に関連した歴史的建造物がたくさん残っているのだ。


ワシントンスクエア(広場)は
独立戦争での戦死者の遺体が埋められたというか放置されたところらしく、
幽霊目撃のエピソードもあるのだとか。
今やのどかな広場だけど、この地の下には今も骸骨がごろごろ…。
夜中にだけは絶対通りたくありません(笑)


無名戦死者の碑も。


この広場には、
1971年にアポロ14号が月に持っていた種から芽吹いた木が植わっていたりする…。
ちゃんと根元に説明もついている…けど、
なんだか…まっすぐ伸びすぎ&ハゲ?で寂しそうな雰囲気が。
宇宙線?の影響ではないのだろうけれど。


そして
1700年代後半からのお墓が残る墓地。
今のアメリカのすっきり整理整頓されたお墓とは随分違う。
ここでも幽霊目撃情報があるのだとか?!


そして、
独立を象徴する「自由の鐘」。
1776年、独立宣言が読み上げられた時、この鐘の音が街じゅうに鳴り響いたのだとか。
今はとてもきれいで現代的な建物の中にキレイに保管されてますが。
でも、人間の上半身位の大きさで意外にも小さい。



ガラス窓を通して見えるのは、これまたアメリカの歴史には欠かせない
独立記念館(Independence Hall)。


この建物で独立宣言が行われたのだそう。



その他にも歩いて行ける範囲内に、
ベンジャミンフランクリンの住居跡(…白い鉄骨の枠組みだけ)やら


最初の奴隷解放をした場所(公的ではなく私的に)や
黒人奴隷による暴動(反対運動)が起こった地など
街角ごとの歴史エピソードがたくさんあるのだ。


中華街も本格的なアジア料理で溢れていておいしかったし、
うん。フィラデルフィアはアメリカの街を歩いて観光したい人に最適だと思う。
そう、私みたいな人に(笑)

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仕事関係でフィラデルフィアまでやってきた。
でも2日間は自由!

ということで、
到着当日から町を観光。

アメリカについてまったくもって詳しくない私は、
「フィラデルフィア=クリームチーズ」という
とてつもなく安直なイメージしか持っていなかったのだけど、
言われてみれば確かに、アメリカでは数少ない歴史的な町なのだ。

1682年に町が作られ、18世紀ではアメリカ最大の町に成長、
独立戦争時には中心となったなど、
アメリカの「独立」を語るには欠かせない町なのだ。

だから、町の中心街には1700年代に建てられた建物が
今も使われているなど、ふらふら町を歩くだけで
何かしら「歴史」に遭遇できる。

そんな昔から存在する町だからか、
150万人以上の人口にも関わらず、
車の数が結構少なく歩行者や自転車の人の姿が目立つ。


世界はおろか全米から観光客が押し寄せるフィラデルフィアには、
観光客向けの馬車がたくさん。
浅草に人力車があるようなもの?!
(後ろの国旗は昔のアメリカの国旗ですね!)



そして、1700~1800年代からのレンガ造りの住宅街を
歩いていると、なんだかヨーロッパのどこかの町に紛れ込んだみたいだ。
車社会のアメリカに嫌気がさしていた私にとっては(私は運転しません!)、
歩いて楽しめるフィラデルフィアの街中は最高だ。


中心街近いSociety Hillの古い住宅街。
揃ったレンガ造りがかわいらしい。


この灯も1700年代からのもの?


1702年から存在するフィラデルフィアでも最古で
今も住宅として使われているElfreth's Alley。
いろいろな移民の思いがこもっていることだろう。
それにしても、街並みが絵になりすぎる!



古い町を覗きまわるのが好きな私は、
7時間も歩き続けてしまった。

アメリカで歴史を感じてみたい人には、お勧めだと思う。

足がイタイ…けど、
アイオワにはないこんなにも歴史的でかわいらしい町並み、
時間を惜しんでまた歩き回ろうと思う。

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実は何年も前に、アラビア語を習っていた。

会社帰りに、いや会社の途中に…
よくも週3回も通ってたなぁと今思うけれど、楽しかったなぁ。

でも、一年以上も習ったくせに、
結局エジプト・ヨルダン・リビア旅行で
ちょっと役に立った位で、すっかり忘れてしまう羽目に…。

そういや、
エジプト行ったときに、レストランで
「表:英語、裏:アラビア語」で書かれたメニューを値段を見たら、
アラビア数字の値段のほうが2割ほど安い。
そう、アラビア数字が読めたらお得なのだと実感したり…。
(そんなところで値段に差をつけるエジプトの人もすごい)


でもね、
あのアラビア語の文字って分かると面白いなぁと思う。
やっかいなほどにルールがある文法も、
なんだかパズルみたいで。
右から左に横書きで書くのもステキ。
それに、以外にスペイン語と文法の構造というか考え方がそっくりだなと思う。

クラスメートも旅好きやほかの外国語に秀でた人ばかりで刺激的だった。

…なんて語れるほどにまったく
アラビア語できないのだけど。


でも、
今働く大学に来たら、
なんと時間割にアラビア語があるじゃないですか!

しかも基礎からしっかりシラバスにのっとって
勉強すると言うじゃないですか。

仕事の上にスペイン語…中国語…云々と
欲深い私だけれど、日本じゃなかなか系統だって勉強できない
アラビア語がちゃんとした先生のもとで勉強できるなんて!と
思わずまたもや飛びついてしまった。


日本で使っていた教科書は
白黒コピーでどばーっとアラビア文字が並び
それはそれで鍛えられたけれど説明などがなくて分かりづらかった。

今アメリカで使っている教科書はこれ↓


アメリカの大学では多分メジャーらしいけれど、
DVDで各課をフスハーだけでなく、エジプトアンミーヤでも網羅していて…
そのあまりの違いにやる気を失うけれど、多分かなり実用的♪
お勧めだと思う。


ただし、2学期目に突入し、最初は復習のようで楽だった授業も
動詞の活用が増えキツくなってきた…。
いや、今学期だけは負けずに続けます…。


いつ役に立つかはまったく不明なアラビア語ですが。
しかも、覚えては忘れるの繰り返しだけど。


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