ほるほるFAMILY

ほるほる家族のプライベートページ

ワタル、痛恨のインフルエンザ

2005年02月27日 02時05分04秒 | サトルのル
金曜日の仕事中、メールがシホから入った。「ワタルが学校で熱を出したらしい」と。
もう一度メールが入った。「学校から電話があったけど、様子がわからないので連絡をとって」と。
シホは講演で新宮にいっているからだ。
学校に連絡すると、「体調が戻ったので心配なく」とのことだった。
安心して部活をしていた。18:00ごろ家に電話すると、
サホが「兄ちゃんねているよ」とのことだった。
19:00少し前に帰宅すると、ワタルは熱を出して寝ていた。
「ごめんもうすこし早く帰れば良かった」。熱を測ると39度。
本当に申し訳なかった。
急いで病院にいき、薬をもらう。

「明日は試合だから早く寝るね」ワタルは、無理にうどんを食べ
布団についた。
そう、土曜・日曜は町内の野球大会。
ワタルがキャプテンになって初の公式戦があるのである。
それも初戦は、事実上の優勝決定戦。
相手は、ワタルが通う小学校のメンバーが集まっているDチームである。

ワタルは、あえて、自分の友達の多くがが所属するDを選ばなかった。
Dではなくて、隣の小学校を主軸とするSクラブに入部した。
選ぶ際に、「たとえ、試合に出れなくても、どんなに練習がえらくても
勝つことできるSクラブがいい」ワタルはそういった。
運動が決して得意でない、ワタルがそんな選択をしたことに、驚きつつも
うれしかった。そして心からシホとともに応援をした。
全く仲間についていけなかったワタルも、努力のかいあって、
何とか試合にちょくちょく出られるようになった。
そして、5年生の秋には県大会で準優勝するメンバーの一員になることができた。

今回は、いろいろなことがあって、主力の3人が退団して初めての試合であった。
相手のDは全て5年生。
対するワタルのSクラブは5年生はたったの5人。3年生まで試合にでてチームが成り立つ。
ワタルは「Dにだけは負けたくない。自分がキャプテンをするようなチームと言われたくない」
と言っていた。ワタルはこの試合にかけていたのである。

土曜日の朝、ワタルの熱は38度6。
ワタルは本当に悲しそうな顔をしていた。
病院に行き。インフルエンザであることが判明。
仲間が試合をしている時間を布団の中で過ごすことになった。
くやしかろう。悲しかろう。試合の結果が気になっただろう。
タダでさえ、メンバーがいない。ワタルが出られなければ、
さらにチビッコが出なければならない。

12:00ごろ他のお母さんから連絡が入る。
13-0で圧勝したとのこと。
ワタルは、ほっとした顔をしていた。
午後の試合も圧勝したようだ。

多分、ワタルSクラブは明日も勝ち優勝するだろう。
キャプテンとして優勝旗を手にすることは
次の機会へお預けとなりそうである。
ワタルが今回のことをばねにもう一つ成長してくれることをのぞんでいる。
ワタルがんばれ!!

ワタルの所属する佐織クラブ
   ↓
http://blog.goo.ne.jp/saoriclub/

仲間との杯はまた楽し

2005年02月24日 22時52分02秒 | サトルのル
昨夜は終電で帰宅した。
バスケットの指導をしている仲間達と杯を酌み交わす機会があった。

バスケットの経験では先輩たちだらけだ。
なかなか勝てない自チームの悩み等も聞いてもらった。

会話の中で、ボールのもち方、ひじの角度、リリースの方法。
それぞれの理論で、大いに盛り上がった。
「そもそも人の骨格は…」てなわけで大いに議論した後、結論は
「シュート入りゃなんでもいいんだ」と爆笑のうちに終わった。

かわいい生徒たちとぶつかり合っている仲間たちとも
会話は本当に楽しい。
大会でも健闘をお互い祈りながらお開きになった。

学年末考査も終わった。さあ部活モードでかんばるぞ。
こんどこそ、一回戦突破!!

サホはバスケ、ワタルは野球

2005年02月20日 21時55分39秒 | サトルのル
インフルエンザが抜けた日曜日。朝からDVDつくりにいそしむことに。
ワタルは、野球の練習試合ということで、7:50にはさっと出かけていった。
横では、サホが何時までたっても、ちまちま宿題をやっている。
「宿題終わった!!おとうさんつれってって」サホが言ったのは
もう10:30にことであった。

実は先週せがまれ、合皮のバスケットボールを買ったのであった。
サホは、それを使いたくてしょうがない。
「今度の休みの日、お父さんの学校の練習についてく」
「テスト中だからお休み、残念!!」そんな会話があったのだ。

まあ、テスト中で誰もいない高校の体育館に連れて行くのもいいか!!
ということで朝から行くことになっていた。
なのに、この時間である。相変わらずサホである。
サホは張り切って「行く」と言う。

学校に着くとサホはひたすらドリブルシュートを行っている。
左右ともどことなく変なのである(これは前からずーと思っていた)。
しかし、繰り返すということはすごいことである。
途中で急に右からのシュートの確率が上がってきた。
気がつけば、最後のリリースが両手から片手の変わっているではないか。
左もずいぶん良くなった。
サホたちのいつもの練習は、リング一つに20数人である。
今日は一人締めである。
時間を有効につかえるのは大きい。喜んで帰途についた。

午後は、ワタルの練習試合。
キャプテンとしては本当に大きな声を出しがんばっている。
守備でもドライブのかかったライナーを好捕していた。
その一方で、まるっきり打てそうもないのが悲しい。
ずいぶん長いことワタルのヒットを、私は見ていない。
せっかく一番バッターとしてのチャンスを今の所もらっている。
このチャンスをしっかりものにして欲しい!!


今日は結局子どものスポーツを見て一日が終わった。
インフルエンザ明け、気持ちよく一日を送ることができた。
さあ、明日から仕事だ
がんばろう

DVD作りに苦戦

2005年02月20日 09時35分26秒 | サトルのル
自分の使っているパソコン環境は決していいものではない。

職場で使っているのももちろん自前。
学校なんてところは、お金が無いので自分持ちなのである。
それは、今5年生のワタルが幼稚園の年少の時に、
懸賞で当たって我が家にきた代物。
家でも4年目に突入している自作機。結構低頭脳である。
どちらも、ワープロ、表計算、WEB、メール程度なら
何も問題が無い。この程度で十分と思っていた。

今の3月、女子バスケの創部のメンバーが卒業する。
いっちょ今までの試合をDVDにするか!!
そう決意したまでは良かった。

シホのノートを使ってやることに。
DVDぐらい簡単と思ったのがとんでもない間違い。
とにかく、時間がかかる、かかりすぎである。
やっと一試合分が昨日からず~とやってきて終わった。
卒業式まで、一週間…卒業生達に無事渡せるのだろうか???


完全復活

2005年02月19日 16時09分54秒 | サトルのル
久しぶりに布団から這い出ての生活。
今週はさんざんだった。

月曜日…早退、検査の結果「インフルエンザでない」
火曜日…38度近い体温で勤務
水曜日…再び早退、インフルエンザと発覚。
木・金曜日…ひたすら布団の中。

今までインフルエンザなんて自分は絶対にかからない。
そう信じていた。ワクチンなんて不要と疑わなかった。
看護婦さんに「年齢を少し考えたら」と笑われてしまった。

今回の悲劇は、入試業務と重なったこと。
「職場の皆様ごめんなさい」。

家庭では、シホとダブルで倒れたため、
家中はもうたいへん。
医者では、「子どもを実家に預けたら」と不可能なことも言われ、
狭い我が家で、すみわけをした。
テレビのある居間が臨時子ども部屋に、
寝室、子ども部屋が隔離病棟に変身。
どたばたの数日間であった。二人に移してはいけないとシホと心配したが
全く動じることもなく二人は元気であった。
最中にあったマラソン大会でも
二人ともそろって学年4位と上位入賞を果たして喜んで帰宅してきた。

来年はワクチンを打とうと決意した一週間であった。


やっと復活か?

2005年02月16日 01時41分12秒 | サトルのル
体調不良から、風邪で寝込んでいた。
月曜日は早退。インフルエンザ検査で感染してないとのことでホッとした。
火曜日は勤務をしながらもふらふら野状態。
部員のノートには「大丈夫ですか?」
と言う言葉がならぶ。
体のことを心配してくれるかわいい部員達である。

早く寝すぎて夜中に目が覚めた。久しぶりに平熱に戻っていた。
今、期末テストに関するプリントを作った。

あさっては推薦入試の業務がある。
しばらく、体調管理をしながらがんばらねば!!

四年生に勝ったよ!

2005年02月13日 18時44分45秒 | サホの ホ
 わたしは、金曜日にリトルミニバスケットボール大会がありました。

 一つのチームがでるのをやめたので、T田は四年生がAチームで出て、
三年生い下がBチームで出ました。
Bの一回戦の相手はS屋ミニでした。
がんばったけれど負けてしまいました。
 
 二回戦の相手はY桜ミニでした。私は、二クォーターと
三クォーターと四クォーターに出ました。
途中から私はだい一クォーターに10点取った人につきました。
相手の人をかんぜんにおさえました。

 さいごの二分くらいは16対14で勝っていました。
わたしは、ぜったい1点も入れさせないぞ。
早く時間が過ぎないかな、などと思っていました。
さいごにピーとなってしあいが終わりました。

 みんなとてもよろこんでいました。
勝ててとてもうれしかったです。
これからもバスケットをがんばっていきたいです 

サホの大会(リトルミニバスケ)に思う

2005年02月12日 00時03分09秒 | サトルのル
 帰りの車中、サホが「勝った~2点差だったけど勝てた」飛び上がって喜んでいた。
 
 4年生以下が限定のリトルミニバスケットボール大会
サホたちは、唯一の3年生以下のみで構成されているチーム。
背も小さいし、技術も甘い。他のチームには必ず4年生がいる。
一勝もできまい。皆がそう思っていた。

 第一試合、よもや数点差で接戦を繰り広げていく。
サホはほとんど得点に絡んでいない。
オフェンスではまるで役に立たない。
いるのかいないのかわからない。
とにかくボールに対して淡白なのである。
一度だけ、偶然自分の前に転がってきた、
ボールをレイアップシュートで打ったら、
「あれ!!」入ってしまった。
サホの記念すべき公式戦初ゴールであった。
長いバスケット人生における初ゴールである。
本日の得点はこれのみであったのはいうまでもない。

 しかし、一転DEFになると、サホの顔色がガラッと変わる。
自分のマークマンだけでなく、ヘルプした他の選手までも
ほぼ完璧と言うまでに押さえ込む。
敵が速攻をすればとんでもないところからでも、全力疾走して
ゴールの前で全ての選手を止める。
「サホすご~い」と5・6年生の声援が飛ぶように聞こえる。
サホがいるから失点を最小限に抑えることができたといって間違いないように思う。

 どうしてこれがオフェンスでできないのか不思議でならない。
とにかくデフェンスとオフェンスではまるで
人が入れ替わってるかのように、まるで別人なのである。
試合は、サホがベンチに引っ込んだ第4クォーターに一気に点を取られた
残念ながら、敗北。

 二試合目の敗者戦にのぞむ。サホは前の試合と同じリズムでがんばる。
第2クォーター終わって10-10勝負は後半に向かった。
相手にはMVP候補のエースがいた。
サホをその選手のデイフェンスとしてぶつけた。
完璧にまで大きなそのエースを押さえ込み、
おわってみれば、16-18。誰もが驚くびっくり勝利であった。
戻ってきた選手達とベンチみんなでハイタッチでよろこびあった。
本当にちっさいチビッコたちが飛び上がって喜ぶ。

 実は、私はこのチームのベンチにいた。いつも指導をしているコーチが
Aチームのベンチ入らざるを得ないからだ。
高校での教え子である監督が、
「ベンチでは静かにするとか言っていたのに、熱く騒いでいたね」
まさに気がついたら大声で指示をしていた。
バスケの技があるわけではない。背が大きいわけでもない。
セットプレーがあるわけでない。
そんなチビッコたちが、「勝ちたい」「絶対に勝つ」という
気持ちを前面に出して、ボールにしがみついている姿を見られたのは
とても幸せな気持ちがした。
本当にさわやかな一日過ごすことができた。

 本当に監督はじめチームのスタッフや役員の方に感謝したい。
5.6年生が所狭しと裏方を行っていることにも感激した。

 サホは疲れて早々床についた。
エースになった将来の自分を、今ごろ夢見ているのかもしれない

世界史の答案から③

2005年02月11日 22時23分15秒 | サトルのル
 いつもこの教科だけ楽しみにしていたので、卒業してもうこの授業が受けれなくなるのか。デザイン科の授業が無くなるのと同じくらい寂しいです。
 私は特にこの第二次世界大戦のあたりの勉強が好きで、映画もこれくらいの時代背景のものはついつい見てしまうんですけど、この授業で『映像の世紀』をみていると、作り物じゃなく本物の映像なので、戦争や迫害の様子がリアルでたくさんショックを受けました。ビデオで見ると心に残るし、目で見て勉強することってとっても大切ですね。 毎回ビデオの授業の後は友達と、その内容の話でもちきりでした。
 友達とも言ってたんですが、授業数が少ないからしかたないけど、もっと細かく深く勉強したかったなぁと思います。他のクラスは知りませんけど、とりあえずうちのクラスの子はみんなテストのためじゃなくて人生の勉強として学んでいたと思うので、ずっと忘れないと思います。

世界史の答案から②

2005年02月10日 03時20分09秒 | サトルのル
世界史の授業を終えて、どんどん過去から現代へ近づいてくる。そして現代つながった瞬間、なんともいえない感じだった。世界史とかいうと、長くてダラーとした話に聞こえるけれども、あんがい有史は近いとさえ感じてしまったくらいだ。まして、授業で見た映像は、白黒にしたって、カラーにしたって、実際あった物事として身近に感じました。あんなことが現実にあり、同じ人間の行為であった。私に無関係ではなく、つながっているのだと思った。今の世の中というよりも、死とは無縁な生活を送っている今の日本人である私はなんかこみ上げてくるものを感じた。そしてこのままでは決してよく無いと感じました。世界史を学んでこう思えたことに感謝しています。