ほるほるFAMILY

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祝ドラゴンズ日本一

2007年11月01日 22時07分11秒 | サトルのル
1974年、あれは小学校4年生の時、
大洋ホエールズとのダブルヘッダーを制し、
エース星野で優勝した。
中日20年ぶりの優勝にわいた。我が愛しのドラゴンズ。
ロッテとの日本シリーズ(当時はデイゲーム)、
授業は中断!!理科室でみんなで応援!!残念日本一にはなれなかった。

長い長い日々ドラゴンズは53年ぶりに日本一に!!

我が家はみんなで乾杯!!すばらしい一日に乾杯

お久しぶりです。4月から新天地にいます

2007年10月11日 23時06分31秒 | サトルのル
10ヶ月ぶりの更新です。
私はこの4月からK高校に転勤になりました。
新天地にやっとなれた今日この頃です。

バスケットだけののんびりしていた生活から一転、毎日、書類と格闘する日々を送っています!!

新天地でも部活は女子バスケット!!
前任校のよう毎日部活にいけないのが最大の悩み。
私の本職は部活なんだけどな・・・おかしいな!!

でもここでも、生徒たちはやっぱり可愛い。
もうすぐ、公式戦!!目指せ県大会


あけましておめでとうございます

2007年01月01日 01時55分35秒 | サトルのル

あけましておめでとうございます

昨年中はお世話になりました。
今年は私にとって、教員になって20年目の節目です。
初心に帰ってがんばります!!

今年の目標は
昨年果たすことのできなかった

「O高校女子バスケットボール部の県大会出場」

                     以上です!!

今年もよろしく!!!

 


全敗!!

2006年11月19日 18時29分49秒 | サトルのル
本日、サホは「わくわく発表会」。
本当は、それを見に行きたかったな!!
私は、O高校の女子バスケ部の練習試合。
全敗だもんな。
本当にどこから手をつけていいことやら。
それも、ただの全敗なんてもんじゃない。
たった10分で24対2.
なんじゃこりゃ。
つい一ヶ月前、3年がいたときは、同じ相手に
ほぼ全勝に近かった。
「ふー」ため息が出る。
仕方ないが、3年が1年のころはいつもこんなだったケ。
この負け方に最近なれてなかっただけで、
前はいつもこんなのだったけ。と思う。
我慢我慢!!一年後に強くなっていればよし!!
と自分を慰めて、今もビールを楽しんでいる

Surprise

2006年11月08日 00時05分45秒 | サトルのル

 新チームでの初の練習試合。いつも姉妹校のようにやっている地元の中学と行った。トリプルスコアーの完敗!!3年生が抜けるとここまで弱いのか(う~ん、うなるしかない)確か今の3年生のこの時期もこんなもんだったけ?また一から出直しである。

 落ち込んだ気分もうまく切り替えることができた。そう、3年生に招待された日だったからだ。夕方、部員のA宅におじゃました。Aの家族はこの日のためにお出かけをしてくれていた。

 玄関まで行くとAが迎えてくれた。部屋の戸を開けると、クラッカーが鳴り「先生本当にありがとうございました」の声が一斉に聞こえた。部屋には飾り付けまでしてあった。「じゃあ先生はあの席に座ってね」「本当に3年間お世話になりました。これは私たちの気持ちです。ほんとにありがとうございました。乾杯!!」。机の上には、カレーライスととてつもなく分厚いハンバーグとポテトサラダがあった。カレーライスはお子様が食べるような甘口だった。ハンバーグは箸では切れないほどすごく堅かった。ポテトサラダもこれでもかと言うほどの量があった。彼女たちの思いがいっぱい、いっぱい詰まった料理ばかりだった。だから、一流料亭に負けないくらい本当においしかった。いままで食べた料理でも一二を争うぐらいにおいしい料理だった。

 「こんな企画いつ考えたの?」「秘密!!」「本当はね、休み時間に何度も集まって話し合っていたんだ」「先生覚えている?ずいぶん前の練習の時に『好きな料理何ですか?』って聞いたの?」「え、そんな前から考えていたの?」「そしたら、いきなり“ししゃも”だもん。だから、すぐに却下だったたんだよ」「今日はね~、分担してみんな朝から作ってたんだ」。「先生どんな顔して喜んでくれるかって」。

 しばらくして、デザートが出てきた。それもバスケットボールに飾られた大きなケーキ二つだ。「これは先生をイメージして作ってみました」。味は何とコーヒー牛乳味!!私が好きでコーヒー牛乳をよく飲んでいる姿を見ていたからだった。

 彼女たちが料理なんて、日頃まともに出来ない事は知っていた。だから、これ作るのに本当に大変だったと思う

 

 試合のビデオを見たり、手品をやったり、トランプをしたりした。女子高校生のたわいもない会話をたくさん聞かせてもらった。つらい練習に何度も「やめたい」と思ったことも!!

 時計を見ると21:00をさしていた。あっという間の4時間だった。

 最後に一言話してほしいとのことだったので「自信を持って歩み、すばらしきパートナーと出会うこと。そして、幸せな人生を切り開くこと。今日のお礼と3年間ついてきてくれたことに『ありがとう』」と。

 

帰宅後、届いたメールには

「今日はきてくれてありがとうございました。サプライズが成功して良かったです。先生にばれないように皆で頑張ったんで良かったです」

 「先生にこんなに喜んでもらぇて良かったです。私達も先生が喜んでくれるのを期待しながら作ってぃました。作ってぃる間もゎく②しっぱなしでした」

 「今日は先生に喜んでもらおうと皆でいっぱいたくさん考えてたくさんの意見の中から気持ちを込めて料理を作ろうと決めました。喜んでもらえて良かった!!!気持ちがこもった料理です。先生が美味しいと言って食べてくれて頑張ったかいがありました!私も皆もきっと4時間が早くて、でもとても楽しくて幸せでした。また皆で同じ時間を過ごしたいですね!!まだまだ長く先生とは会っていきますから!!先生はいつまでたってもうちらの顧問の先生ですよ!!!!!」

 

 楽しい一日とすばらしい3年間を、ありがとう!!

 


そして引退

2006年11月07日 00時38分31秒 | サトルのル

 大会の二日後、三年生は部を正式に引退した。

 全員が輪になり、3年生一人一人が後輩へメッセージを送った。笑って、楽しかった日々を語る者。「自分たちの色」を出すこと後輩に求める者。最初から泣き出しもう言葉にならないもの。「努力の大切さ」を強調するもの。「声」さえあればすべてが乗り越えられる事を伝えるもの。日々を懸命にいきる事の大切さを後輩に伝えるもの。さまざまな言葉が力強く語られた。

 キャプテンは次のように話した「・・・こんなに自分が変われるなんて思わなかった。今自信を持って自分の意見を言える。昔の私とは違う。・・・がんばったらがんばった分だけ、自分に返ってくる。苦労したら苦労した分だけ自分のものになる。必ず自分に何かが残る。自分自身が大きく変われる。成長できるから。私はこの部で心から信頼できる最高の仲間と勇気と信頼関係を手に入れた。それだけじゃなくて本当の自分と初めて出会えた。全力で練習に取り組んで、全力でぶつかって、全力で受け止め、全力で毎日を過ごせたからこそ得られたものだと私は思う。・・・」

 誇らしいまで成長した彼女たちの姿がそこにあった。大粒の涙が、後輩たちの目から流れた。新正副キャプテンへの引継ぎがあり。最後に全員で大きな声で校歌を歌った(わが部は毎日校歌を歌って練習を終わる)。解散と言おうとした瞬間。

 3年生が「私たちに少しだけ時間をください」と。下級生と3年生が向かい合ってならび、3年生が「これは私たちの練習に今まで付き合ってくれたお礼です」と言い、一人一人に名前が刺繍された手作りの携帯ストラップを手渡していった。いつの間に、こいつらこんなもの準備していたんだろう!!大会前は忙しかったはずなのに。話し合いをしている暇はまったくなかったはずだ。ましてやストラップを作る時間なんてありえない・・・ずいぶん前から話し合い・準備していたのかな?? プレンゼントをもらい後輩の目からは、さっき止まったはずの涙が再びあふれてくる。抱き合いながら泣いている姿を見て、本当にうれしく思えた。

 そんなときに「先生前に来てください」と声が・・・
「3年間本当ありがとうございました。これはずっと私たちのことを考えてくれた先生への3年生からのプレゼントです。喜んで受け取ってください」と『招待状』と書かれている封筒が手渡された。驚くしかなかった。


引退試合が終わって

2006年11月06日 00時53分21秒 | サトルのル
長い間。ブログを休憩した。
気がつけば、SAHOは5年生になっていた。
WATARUは小学校を卒業して学生服を着るようになった。
私が打ち込んでいたことはたった一つ。
女子バスケの生徒たちとのふれあい。

部が同好会から部に昇格したときに入学してきた今年の3年生。
中学時代試合に出ていたもの1名。
補欠でいつもベンチを暖めていたもの3名。
ずぶのど素人5名。
他校では考えられない素人集団。
しかも、男子中心の工業高校の中で
9人もの生徒がわが部を選んでくれたことがうれしかった。

最初は和気藹々とやってきた。みんな楽しそうな笑顔ばかりだった。
徐々に部の目指すものは変わっていった。「勝つために」と。

ずいぶん生徒には無理難題を言った。
体力の限界まで練習もさせた。
時にはほめられないような行動もした。
許されないひどい言葉も何度も投げつけた。
体がぼろぼろになるまで生徒たちはがんばった。
朝練に始まり、夕練で終わる日々。
休みは一か月にわずか一日。
テスト週間ですら、毎日練習をした。
そのあと夜までみんなで勉強もした。

ついこの前の9月ごろ
「引退したら私たちどうなるんだろう?」
「土日、ほかの子達はいったい何やっているんだろう?」
「自分の時間の過ごし方ってわかんないや!!」
生徒たちはそんなたわいのない会話を交わしていた。

どこの学校にもまったく歯が立たなかった一年生のとき。
ダブルスコアーなんて程遠く、4倍、5倍負けが当たり前だった。
でも、元気な声が体育館に響いていた。

2年生になり少しだけ形になった。
合宿中寝ずにおきていて、一人を除き翌朝帰宅を命じた。
全員で泣きながら、初めて真剣に自分と向かいあえるようになってきた。
この夏は必死走りこんだ。
9月なり、今までずっとトリプルスコアーで負けていたA校に
練習試合でダブルスコアーで初めて勝った。夢のようだった。
気がつけば、楽に一回戦は突破できるチームになっていた。
しかし、二回戦であたるシード校の壁どうしても破れなかった。

3年生になり、目標は『県大会出場』。
確認する必要もなかった。当たり前のことだった。
一年生時、恥ずかしくて口にもできなかった目標が手に届きそうな気がした。
ひと夏を超えさらにたくましくなった。
練習試合でもシード校と堂々と渡り合い、ほとんど負けなくなった。
「先生、絶対に県大会連れってってあげるからね。楽しみにしててね」
「そのときはコートで思いっきり泣いてね」
いつも生徒たちはそんなことを口にしたり、文章にした。

そしてのぞんだ引退試合。
一回戦は華やかな3ポイントシュートがこれでもかというほど決まった。
見ているひとからすると信じられないくらいの確率。
ほとんど実業団並みの確率でボールがリングに吸い込まれる。
完勝であった。
しかし、二回戦、昨日あれほど入ったシュートが入らない。
こんな入らない日は珍しい。
試合中何度も何度も「その一瞬一瞬を生きること」を指示した。
生徒たちは、練習でやってきたことをすべてぶつけた。
ベンチもコートいる部員もすべていったいだった。
最後まで心を込めて真剣に取り組んだ。
最後に無情にブザーが鳴り響いた。
自分たちのバスケをするも、数点差で惜敗!!
彼女たちのバスケ人生にその瞬間ピリオドが打たれた。

体育館の片隅で、崩れるように抱き合い泣き叫ぶ彼女たちの姿があった。

確かに試合には負けたけど、3年間は大きかった。
あんなに幼かった生徒たちが今こんなにもなった。
そんな姿を見せてもらってもう言葉もなかった。
「自分に自信がもてなくて」、「自分を押し殺し」「他の子に合わせたり」。
そんな生徒たちが、こんなにも変われるなんて。
変わことのできることのすばらしさ。
人って絶対に変われる。生徒たちは本当に変わった。
今の彼女たちを見ていると本当に驚かされる。
それから、「自分を信じるすばらしさ」。「仲間を信頼するすばらしさ」
「自分を信じられる」ようになってはじめて仲間を信頼できる。逆も言える。
そんな一生付き合える仲間に生徒たちはなったんではないかと思う。
あれだけんかしたり、陰で悪口を言ったり、
言いたいこともいえなかった生徒たちがこんなにも強いつながりを作れるなんて。

本当に彼女たちは努力を惜しまなかった。
ただただ、ひたむきに一日一日を大切に過ごした。
いろいろなこと犠牲にしてがんばった。
キャプテンは大会直前の部活動日記に
『あんなに弱かった私たちが今ここまできた
「努力は必ず報われる」はずだと信じている。
努力してきてよかったと思う。
絶対に県に行く。結果がほしい』と。
僕は、彼女たちにハッピーエンドを迎えさせたかった。
わが高校は優秀な子が通う普通の進学高校とは違う。
どちらかといえば、小学校・中学校と、
先生から相手をされないで育った子達はがりである。
自分自身に自信を持てずに育ってきた子ばかりだ。
自分自身が生きているという確からしさを持たせたかった。
だから、こそ、どうしても結果がほしかった。
「努力=報われる」「生きる=すばらしい」という
方程式の証明がほしかった。
もし、県大会に行くことができたらなら、
もっと彼女たちの人生に勇気と力を与えてくれたのに!!

こんな自分を信じてついてきてくれたのに、結果すら残させてやれなかった。
申し訳ないの一事しかなかった。申し訳なくて申し訳なくて。
部員たちはは泣きながら私のつたない話を聞いてくれた。
最後に「先生、本当にありがとうございました」とすがり、泣き崩れる3年生の姿を横に感じるのが本当につらかった。本当にごめん!!

努力は報われないときがあるかもしれない。
でも、努力そのものが美しいことをわかってほしい。
生徒たちはわかっていると信じている。
すばらしい仲間に恵まれ、充実した高校生活を送れたと言い切れると思う。

僕にとっては本当に楽しい3年間だった。本当にありがとう。
そして、本当にごめん!!


ほるほる的中國旅行記 2 ~8/8 一日目~

2005年08月15日 23時53分35秒 | サトルのル
家族で中部国際新空港(セントレア)を利用するのははじめてである。
今までと違い電車一本で空港内までいける。やっぱり楽チンである。

空港ではプレミアムラウンジを利用した。
わたしとワタル・サホははじめてである。
「これ全部ただなの?」菓子・飲み物が自由になることに
ワタルとサホの目が輝く。
ワタルもサホもジュースを3本飲んでいた。
気がつけば、テーブルの上は菓子の空き袋で一杯。
サホが両手一杯に都昆布を持ってくる。はははは…。

いよいよ、旅たつことになる。
空からの眺め、サホが「雲の上だ」と喜ぶ。
簡単な機内食を食べた。配られたビールは「燕京啤酒」
冷えていないのが、やっぱり、もはや中国のにおい。
とりあえず上海に着く。
しばらく待って、再び機内に!!
またもや機内食が出る。
2時間ほどで、西安に到着!!

ホテルに着いたのは22:30、そう日本時間23:30である。
明日は早い。
もう寝よう。
今日は結局移動だけの日であった。

4人はあっという間に寝についたのはいうまでもない

続きは明日…

ほるほる的中國旅行記 1 ~プロローグ~

2005年08月14日 23時06分48秒 | サトルのル
早いものでワタルも、もう小学校6年生。
中学に入れば、部活なども忙しいし、家族の日程調整も難しくなる
小学生のうちにといこうことで、久々の海外旅行に行くことにした。
小学校で歴史を学び始めたワタルにとっては、
まさに格好の旅行。

行き先は西安と北京。
西安と北京にいたっては13年振りである。

シホと2人だけで気楽にいけた当時。
まだまだ自転車が左右にせわしく動いていた。
まれであるが、人民服を着た人もちらほら見ることもできた。
街中では衛生おばさんが、大きな声で民衆を注意していた。
西安の兵馬俑も、北京での長城見学も当時はお金をケチったっけ。
日本人向けのツアーに参加すれば、冷房つきのバスに乗れるのに
それを良しとしなかった。
駅前に行き、中国人のおのぼりさん向けのツアーに参加した。
日本人向け1万円に対して、中国人向け500円ほどであった。
ほこりまみれになりながら中国人でいっぱいのバスに揺られた。
高速道路の途中でぼろバスが壊れて、道端で2時間待たされたり、
中国人対象のへんてこな観光地につれてかれたりと
しながら思いっきり大陸の空気を楽しんだ。

あれから13年。さあ北京・西安はどう変わったのか?
(何度も中国に行っているシホは笑っているが)
子連れで中国はどうなのか?

旅は始まった。
残念なのは4泊5日という強行日程しか取れなかったことだ!!
ワタルは今月末少年野球の県大会が待っている!!
土日は必ず練習・試合がはいる。
つまり月~金のみが自由にできる曜日なのである。

ほるほるの中国旅行記にお付き合いください