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教育をメインに、自分にも読者にも問いかけるブログ!
自分も生徒も共育!
社会の変革期、一緒に考えましょう!

「今年1年、大学院で学びます!」に対する周囲の反応

2021年04月06日 | 教育
「今年1年、大学院で学びます!」


って、周りの人に言うと、反応が分かれます。
あなたは、どちらでしょうか?
①「いいなあ、学べて」
②「今から学ぼうとするのってすごい」


これはおそらく、「学び」の捉え方を反映しています。

①を選んだ人は学ぶことを楽しんできた人。
学習に対して問題意識を持っていて、今も何かしら学ぼうとしているのではないでしょうか。
答えのない問いを好む人が多い気がします。

②を選んだ人は学ぶことを強いられてきた人。
きっと学習することに対する義務感が強くて、学ぶことに良い思い出があまりないのでは?
「学ぶ=正解を出すこと」って考えてる人が多そう。だから正解が出ないとイヤになっちゃう?


①の反応の人が増えたら、教育に関わる者としては嬉しいんですよね。
でも、きっとそんなに多くはない。学ぶって楽しいのに。
自分が知らないことが、世の中にはたくさんあって、知れば知るほど自分のちっぽけさを知る。
だけど確実に知識は増え、人生が豊かになっていく。
それが学びの楽しさだと思うんですよね。


ここで、ひとつ問題提起を。
小学生から「何のために勉強するの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?
中学生から「何のために勉強するの?」と聞かれたら?
高校生から聞かれたら?


3つとも同じでは困りますよ。
小学生なら、小学生に伝わるように。
中学生なら、中学生に伝わるように。

高校生なら、高校生に伝わるように、しっかり理由をつけて答えられるでしょうか?


これができる大人が増えてほしい。
とか言っておきながら、僕も自信がありません。
普段、高校生には学習する意義を伝えていますが、小学生や中学生には同じ言い方では伝わらない。
彼らの感覚になって、どんな切り口で、どんな言葉を使って届ければ響くのか、そこまで考えないとならないですもんね。


きっと、それができる大人が増えたら、もっともっと学びに前向きな、学びに意義を見出そうとする子どもが増えるのではないでしょうか。


ちなみに、高校生に対して学習の意義を説くとき、
「受験に使うから」とか「試験に出るから」
というのは、上中下で言うと下な回答だと思っています。
もちろんそういう側面もありますよ、でも、でも、学びの「意義」ですから。
もっと希望に満ちた、前向きになれる回答を探してあげてください。
きっとみなさんも、これまでの人生で経験してきているはず。
試験に合格するためだけの、大学に行くためだけの学習になることほど、つまらないものはありませんからね。


身近にいる大人の考えって、子どもにすごく大きな影響を与えます。
逆に言うと、子どもは大人の考え方にすごく影響されます。
あなたが学ぶことに価値を感じていなければ、それは子どもに伝わっています。
子どもが学ぼうとするかどうかは、あなたが学ぼうとしているかどうかです。


学ぶことが好きな大人であってください。
そして楽しそうに学んでください。
それができない人は、せめて「学ぶことにも意義があるらしいぞ」ってことを、伝えてあげてください。


僕も今年1年、「なぜ学ぶのか」について、より深い答えを求めて学び続けます。

不安と期待と使命感と

2021年04月04日 | 教育



この4月から、大学院で学ばせてもらえることになったことは、先日のブログでご報告した通り。
→4月1日。今年は職場を離れて、大学院生となる。はじめの1日。
本当にありがたさを噛みしめています。


さてさて、明日は大学院のガイダンスです。
どんな環境で、どのように学べるのか、実際に入ってみないとわからないところもあり、
遡ること15年、大学生になった、あの時と同じような気持ちでいます。
ワクワク、ドキドキ。


ただ一つ違うのは、そこに使命感があるということ。
教員という立場にありながら、1年間の学びの期間をいただけたということ。
たくさんインプットして、たくさんアウトプットして、
この期間を自分にとってのみでなく、所属校や社会のためにも有益なものにしなければ!!


なんて、たいそうなことを考えていますが、言うは易く、行うは難し。
どれだけのことができるでしょうか。
まずは発信を増やして、自分にアクセスしてくれる方々が、考えるきっかけを持つ、
そんなことを考えています。


あれ、それってよく考えたら、このブログを始めたときに考えてたことだ!
初心を思い出したってことですね。


9年前はこんなこと書いてました。
→終わりと始まりと
ああ、成長はしているけれど、考えていること、根底にある思いは変わってないなあ。笑


思い返せばブログを始めてはや9年、教育について発信してきました。
今年はなお一層、教育について考えるきっかけを発信していきたいです。


日本の教育って実はこんなに頑張ってるんだぞ!ってこと、
日本の先生たちって実はこんなこと考えながら一生懸命やってるんだぞ!ってこと、
そして社会全体として、日本人全体として、皆さんひとりひとりに「教育」ってものを考えてもらいたくて、


これを読んでくれた皆さんが、自分が受けてきた教育を考え直して、
ひとりの大人として、自分の子供にどう向き合うか、そして社会全体として教育をどう捉えるべきか。
そういうことをたくさん考えてもらえる社会になったらなーって思っています。


教育に携わる者として、自分も学習し続ける。
それが大学院で学ぼうと思ったモチベーションの1つ。
みなさんは、学んでますか?
人生、毎日が学びの連続です。
年度初めで忙しい中ですが、そんな中でも学びを大切に。頑張りましょう!!



明日は卒業式。明日よ来るな。

2021年02月28日 | 教育
明日はいよいよ卒業式です。
いよいよ来ちゃったな、という感じです。
3年前、彼らが入学したその日から、この日が来るのは分かってたのに、やっぱり、やっぱり寂しい。
卒業式前夜の、担任の寂しさをここに綴ってみます。
きっと教員をやってる人なら共感してくれるはず。
教員ではない人も「あのとき、自分の担任の先生もこんな気持ちだったのかな?」って想像しながら読んでみてください。


私は今の高校3年生が入学するのと一緒に今の学校に赴任しました。
1、2、3年と、ほぼメンバーが変わらないクラスの担任として、自分なりに3年間一生懸命やってきたつもりです。


で、今の学校に赴任することが決まってから引っ越しをしたんですね。
つまり今の生活が始まった3年前から、ずっと今のクラスの生徒たちと一緒だったんです。
平日はもちろんのこと、休日だって1日たりとも彼らのことを考えない事はなかった。
だからこの家での3年間は、今のクラスでの3年間なわけで、
ちょっと大げさだけど、この家にいることイコール、今のクラスの担任であることなのです。
だからこの家にいるのに、彼らの担任じゃなくなるってのも信じられないんです。


学校にいれば、朝のホームルーム、帰りのホームルーム、保健室からの連絡、
他の先生から聞く授業の様子、廊下で他の先生に話している姿すれ違うときの表情、今悩んでること、
提出物が出なかったり、服装で注意されていたり、やんちゃして怪我しないかハラハラしたり、
どれだけ心配したか分かりません、どれだけ悩んだか分かりません。


いつも元気に挨拶してくれて、良いことがあれば報告してくれて、こっちが元気ない時には心配してくれて、
他愛ない話で盛り上がり、くだらないことで笑い合い、
一緒に真剣に将来のことを考え、進路に悩み、成績で悩み、二人三脚で彼らの向かっていく方向を一緒に考えてきて、
そんな毎日の日課が、明日でなくなってしまう。


率直に言います。本当に本当に寂しい。寂しすぎる。
卒業と言うのはめでたいものなはずなのに。


3年間かけて大切にしていきた、自分の中の全てを持っていかれる感じです。


やっぱりクラスっていうのは、ホームルームと言うだけあって、ホームなんですよ。家族みたいなもんなんです。
そこに自分のクラスの生徒たちがいて、自分のクラスにしかない、自分とそのクラスの生徒たちだからこそ出せる雰囲気があって、だからこそホームルームなんです。
そのホームルームも、明日で最後。
きっと、明日彼らが帰った後の教室は、ものすごく寂しさで、空虚感で溢れているんだろうなぁ。


クラス運営には正解はありません。
だけどこの3年間、自分の中で後悔しないように、常に彼らに対して誠実でいようと心がけてきました。


私のクラス運営が生徒たちにとって良いものであったかどうかは、明日のホームルームの生徒たちの表情で答え合わせをすることになります。
彼らがどんな表情で私の話を聞いてくれるのか。どんな表情で最後のクラス写真を撮影するのか。


もう、36人全員が揃うのは、明日が最後。
36人全員に向けて話が出来るのも、明日が最後。
準備は万端。後はこの思いを明日の感情に乗せて彼らに届けるだけ。


明日は特別な日。
だけど決して特別な話をするわけではない。
今までの学校生活を一つ一つ丁寧に思い出しながら、今まで伝えてきたことの延長を、明日もしっかりと伝え切るだけ。
それが彼らの今後の指針になるかどうかは、実はもう決まっている。
今までに彼らと信頼関係を築けていれば、彼らの心には、必ず響く。


実は、卒業生の担任は、もう3回目なんです。
少しは慣れるかと思ったけれど、全くそんな事はなく。
明日の卒業式に向けて昨日からそわそわしっぱなし。
明日なんか来なければいいのにって、そう思ってる自分がいる。
本当なら36人全員の袖を引っ張って、
「お前ら卒業すんなよ!みんなでもう1年やろうぜ!」って引き留めたいくらい。


それだけ3年間積み重ねてきたものが大きかったってこと。
こういう感情でいられるのは、良いことだと思う。
ちゃんと、生徒に対して全力で向かい合ってきたからこその感情。
今日だけはそんな自分を褒めてあげたい。そして明日の自分にエールを送ってあげたい。


明日は、とびきりの笑顔で送り出さなきゃね。
だって、笑顔は大事なんだろ?いつもお前が言ってるじゃないか!
明日は、彼らの門出を心から祝福しなくちゃね。
だって、前を向いて進むことの大切さ、いつもお前が説いていたじゃないか!


でも、明日は涙まじりの、ぐっちゃぐちゃな笑顔になっちゃうかな。

センター試験から共通テストに変わって、変わったのか?

2021年01月24日 | 教育
本当に久しぶりに投稿します。
先日、共通テストが実施されました。





今日は、センター試験が共通テストになって変わったことについて、
今年高校3年生を教えた現場の教員目線で、数学のことをメインに書いていこうと思います。


ここでアンテナの高い皆さんから、こんな声が聞こえてきそうです。
「え、記述式じゃなくなったんでしょ?なら、変わってないんじゃないの??」
そうです。記述の問題は消えました。
でも、でも、数学はとても大きく変わりました。
じゃあ、何が変わったのか。


実は昨日、Yahooでこんな記事を見つけました。
大学入学共通テスト、思考力は測れたのか?予備校講師が検証
読んでみると、確かにそうです。
でもこれは問題を解いてみた人向けの解説になっているので、
私はもう少し噛み砕いて、問題を解いてない人にも雰囲気が伝わるように書いてみます。


まず、共通テストになって変わったことの1つが、数学ⅠAの解答時間です。
センターでは60分だった時間が70分になりました。
そして問題のページ数が8ページほど増えました。
私も解こうと思って問題を印刷したのですが、まず第一声が
「え?厚くね??」でした。笑
数学で問題文が8ページも多くなるのは相当なプレッシャーがかかります。


分量が増えた原因は何か?なぜ8ページも増えたのか??
それはひとえに、数学の要素が薄まったからです。
矛盾しているように聞こえますよね。
え、量が増えたのに数学が薄くなったの??と。
そうなんです。薄まってしまいました。私はとても悲しい。。。


つまり、こういうことです。
今までのセンター試験は
「y=○○○○で与えられる関数を考える。」
共通テストは
「太郎さんと花子さんが話をしている
 太郎 この関数ってさ、○○だよね
 花子 つまり、ここをこうしたらこうなるよね
 太郎 えっ、ということはもしこうしたらこうなるのかな??
 花子 私はちょっと違う、こういう方法で考えてみたよ」


一部、こんな感じの問題が入っているのです。
その結果、何が起きているのか。
今までのセンター数学では
「条件Aが与えられて、そこから解答を導くために、どの式をどう変形してどんな形にすればよいか」
を考える力が問われていたのに、共通テストでは
「条件Aが与えられてるけど、Bって考え方を使うとどうなる?一方でCって考え方を使うとどうなる?」
と、誘導に乗りさえすれば解けてしまう問題が出てきています。


数学の教員としては、、、
「そこが数学の一番面白いところじゃろがーい!!」と発狂したくなります。


さらにさらに、センター数学の解答といえば、答えが2ケタなら、「アイ」みたいな形で、
2ケタともマークする問題が普通でしたよね。
そういう問題も少なくなりました。
特に1つの大問の一番最後の問題が、
「○○という条件の下で考えると、どうなるか。以下の中から選べ。」
とかなってると、
「おおおーい!ちょっとまてーーい!!」と憤慨する気持ちを抑えきれません。


いやいや、数学の快感ってさ、答えが出ることにあるじゃん?
それを選択式にするって・・・


あ、ちょいと余談ですけど、今回の共通テストの平均点、
数学ⅠAが58点、数学ⅡBが60点くらいになりそうな見込みです。昨年並み。
つまり、平均点はセンターと変わってない。


だけど、試験当日の予備校の反応は、そうではありませんでした。
数学、難化!とした予備校が多かった。
これが自己採点を集計していくうちに、上方修正して、例年並みに。


ここからは仮説ですが、もし選択式の問題でまぐれ当たりがたくさんあったとしたら・・・
まぐれ当たりした人がいれば、難しくてもその分、平均点上がるよね・・・
ということで、数えてみました。
数学ⅠAの、選択肢を選ぶ問題の数。なんとその数16問!!(しかも選択問題を除く部分だけで!!)
全くわからなかったとしても、正解できる確率が3分の1から6分の1くらいあるわけです!!
そしてその問題たちに割り振られている配点、34点!!(しかも選択問題を除く部分60点の部分だけで!!)
うーーーーむ。笑


去年、一昨年と、試行テストが行われ、
「共通テストになったら、こういう問題が出るよー!」
という予告のもと、各出版社が予想問題を出してくれており、
我々はその問題集などをもとに対策を練ってきました。


でもね、そういう問題を演習する中で、見えてきたもの。
「これが数学を通して身につけてほしい力なのか??」という疑念。
一緒に高3の数学を教えている先生とよく会話になりました。
「なんだかさ、数学っぽくないよね。これって。」
「これで身につく力ってさ、俺らが描いてるイメージと違うよね。」
「問題を完答した時にさ、なんか拍子抜けする問題が多いよね。」
「こういう問題の対策をしていて、本当に数学の力がつくんだろうか・・・」


共通テストの問題、出ている題材は確かに生活の中から数学的に捉えられる題材です。
時間をかけてじっくり研究したら面白いかもしれません。
数学の授業を3時間とか4時間使って考える価値があるし、自由研究的にしたら力はつく。これは間違いない。
だけどそれを、60分とか70分とかで無理やり誘導をつけて、
「はい、こういう風に考えてねー!」
ってしたら、ただ単に、その誘導に乗れるかどうかの勝負。


数学的に深く考える力は、この試験ではセンター試験よりはるかに測れない。
だって、数学的に捉える所は出題者任せ。
必要とされるのは、情報処理速度。そして問題文の意図を読む力。


ピッチとストライドの関係の問題なんて、単位を考えれば解けちゃうものもあるし、
とりあえず選択式だから、わからなかったらテキトーにマークしてしまえるし。
今後、どう数学を指導していくべきかも含めて、考えさせられる。。。


とにかく、数学好きにとっては、ものすごくそそられない問題です。笑
リンク貼っておくので、よろしければご覧になってください!!
→共通テストの問題(東進のページに飛びます)

褒め言葉のバリエーション

2020年10月11日 | 教育
みなさん、突然ですが、人を褒めていますか??
人を褒めると、いいことだらけですよ。
自分も、相手も、清々しい気持ちになる。
相手の良い所を認めることで、自分の心も磨かれます。


社会人サークルでスポーツをしていて、
「誉め言葉のバリエーションがすごいっすね!」
と褒められたことがあります。
今までバリエーションを意識したことはなかったのですが、この言葉は嬉しかった。
普段から人の良いところを見つけて、それを正直に伝えることを大切にしてきたから、それを認められたような気がして。


誉め言葉で一般的に言われるのは、「さしすせそ」
知ってる人も多いでしょう。知らない人はちょっと考えてみてくださいね。


はい、答え合わせいきまーす!

さすが!
しらなかった!
すごい!
センスいい!
そうなんですね!


どうでしたか?
この言葉たち、普段の生活の中で使っていますか?
私は毎日学校で使っている自信があります。
生徒たちはちょっと恥ずかしそうに、照れながら受け止めてくれます。


「せんせーって、なんでそんなに褒めてくれるんですか?」
と生徒からも聞かれることがあります。いつもこう返します。
「そう?思ってることを言ってるだけだよ。」


そうなんです。思ってもない褒め言葉を発しても逆効果。
生徒たちはそういうところ、敏感ですからね。
アンテナを高くして、良い所をたくさん見つけようとしているから、誉め言葉の効果があるんです。


そして、応用編。
「さしすせそ」が基本ですが、そこに強い感情を込められると、さしすせそより効果的です。
「すごーい!」より「うわ!まじか!!」
「そうなんだ!」より「ええっ!そんなことできちゃうの!?」
「さすが!」より「いやいや、それはずるいって!」


褒める時は、その感動をありのままに表現することがコツです。
誉め言葉に加えて、感情プラス表情。


そうなんです。ポイントはここ。
私の場合は厳密にいうとバリエーションが豊かというより、感情表現が豊か。
語彙力があるわけではありません。
ただそれを、本当に感動したり感心したりする感情に乗せているだけなのです。


褒めるコツは、感動すること。感心すること。
どんな人にも、自分よりすごい所が必ずあります。
どれだけ見ようとしていますか?
どれだけ心をときめかせていますか?
そのアンテナを張れれば、あなたも褒め上手になれるはずです!