『露/つゆ』
アカペラ 7:11~https://twitcasting.tv/hoppinomi/movie/793141983#
アカペラ 1:44~https://twitcasting.tv/hoppinomi/movie/793215376#
作詩:金子みすゞ
作曲:ほっぴの未来予想図
誰にもいはずにおきませう。
朝のお庭のすみつこで、
花がほろりと泣いたこと。
もしも噂がひろがつて
蜂のお耳へはいつたら、
わるいことでもしたやうに、
密をかへしに行くでせう。
『金子みすゞ童謡全集』(JURA出版局)
akaneの 金子みすゞの旅メモリアル
http://akane.world.coocan.jp/misuzu/memorial/index.htm
253 露 つゆ
Ⅱ 上190 129
誰(だれ)にも言わずに/おきましょう。
朝のお庭の すみっこ(隅っこ)で、
花がほろりと 泣いたこと。
もしも噂(うわさ)が ひろがって、
蜂のお耳へ はいったら、
わるい(悪い)ことでも したように、
蜜(みつ)をかえし(返し)に/ゆくでしょう。
植物(花)昆虫(蜂) いう おく なく ひろがる はいる かえす ゆく
ほっぴの未来予想図
金子みすゞ『露(つゆ)』
誰にもいはずにおきませう。
朝のお庭のすみつこで、
花がほろりと泣いたこと。
もしも噂がひろがつて
蜂のお耳へはいつたら、
わるいことでもしたやうに、
密をかへしに行くでせう。
えるとろんの会話
ろん: みすゞさんは久しぶりだね。
える: そうね。これは第二童謡集『空のかあさま』に収録されたものね。
ろん: 朝露を花の涙ととらえて広げたんだね。
える: みすゞさんの感性ね。
ろん:
える:
露(つゆ)
誰にもいはずにおきませう。
朝のお庭のすみつこで、
花がほろりと泣いたこと。
もしも噂がひろがつて
蜂のお耳へはいつたら、
わるいことでもしたやうに、
密をかへしに行くでせう。
『金子みすゞ童謡全集』(JURA出版局)
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。
みすゞが童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。
4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされます。
児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の熱意により再び世に送り出され、
今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
アカペラ 7:11~https://twitcasting.tv/hoppinomi/movie/793141983#
アカペラ 1:44~https://twitcasting.tv/hoppinomi/movie/793215376#
作詩:金子みすゞ
作曲:ほっぴの未来予想図
誰にもいはずにおきませう。
朝のお庭のすみつこで、
花がほろりと泣いたこと。
もしも噂がひろがつて
蜂のお耳へはいつたら、
わるいことでもしたやうに、
密をかへしに行くでせう。
『金子みすゞ童謡全集』(JURA出版局)
akaneの 金子みすゞの旅メモリアル
http://akane.world.coocan.jp/misuzu/memorial/index.htm
253 露 つゆ
Ⅱ 上190 129
誰(だれ)にも言わずに/おきましょう。
朝のお庭の すみっこ(隅っこ)で、
花がほろりと 泣いたこと。
もしも噂(うわさ)が ひろがって、
蜂のお耳へ はいったら、
わるい(悪い)ことでも したように、
蜜(みつ)をかえし(返し)に/ゆくでしょう。
植物(花)昆虫(蜂) いう おく なく ひろがる はいる かえす ゆく
ほっぴの未来予想図
金子みすゞ『露(つゆ)』
誰にもいはずにおきませう。
朝のお庭のすみつこで、
花がほろりと泣いたこと。
もしも噂がひろがつて
蜂のお耳へはいつたら、
わるいことでもしたやうに、
密をかへしに行くでせう。
えるとろんの会話
ろん: みすゞさんは久しぶりだね。
える: そうね。これは第二童謡集『空のかあさま』に収録されたものね。
ろん: 朝露を花の涙ととらえて広げたんだね。
える: みすゞさんの感性ね。
ろん:
える:
露(つゆ)
誰にもいはずにおきませう。
朝のお庭のすみつこで、
花がほろりと泣いたこと。
もしも噂がひろがつて
蜂のお耳へはいつたら、
わるいことでもしたやうに、
密をかへしに行くでせう。
『金子みすゞ童謡全集』(JURA出版局)
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。
みすゞが童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。
4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされます。
児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の熱意により再び世に送り出され、
今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。