goo blog サービス終了のお知らせ 

ネタバレ

見た映画について。大体旧作。格安DVD物多し。ネタバレ多し。

心跳回憶

2006-02-04 21:03:13 | Weblog
会社で春節前の大掃除をやっていた連中が小汚いショッピングバッグに怪しげなVCDが詰まっているのを見つけて、「これどうしましょう」と相談してきたのであった。持ち主が名乗り出ないので、恐らく既に転勤してしまった人が置き忘れて行ったものであろうと決めつけ、「欲しい奴は勝手に持って行け。余ったら捨てよう」と言う指示を出したのでした。これはその中の一枚。私が勝手に持って帰りました。

原題は「ときめきメモリアル」。有名ゲームの映画化作品であります。97年の映画で、香港製造怪しげな紙袋入りVCDにしては映りが良かった。画面がモザイク状に壊れることもなく、止まることもなく、最後まで見れたので満足しました。中国語字幕が出ますが、台詞は日本語そのままなので、見やすい映画です。

映画自体は良くある話で、どおってことないのですが、舞台の山口県のとある海岸の町はきれいだったな。ああいうところでのんびり暮らせたら幸せなのではなかろうか、と思います。

この映画の売りは(もし売りになるものがあるとして・・・)、豪華女優陣であります。高校の四大美女として有名な仲良し四人組は矢田亜希子、榎本加奈子、山口沙耶加、中山エミリなんですね。それに藤崎詩織役で吹石一恵がデビューしています。当時の年齢では矢田19歳、榎本、山口、中山17歳(現役女子高生だね)、吹石15歳、と言うことですから、まさにアイドル映画だったわけです。香港版VCDのパッケージでは中山エミリが主演のように書いてあったが、当時から彼女はスターだったのでしょうか。三井住友ビザカードのコマーシャルの人、と言う印象しか私は無いのだが・・・。エミリと並んで主役としてクレジットされているのは、池内博之です。不良役が多いもみ上げの長いスポーツ刈のあんちゃんですね。ただ、ストーリー上の主役は岡田義徳だった。岡田君と榎本はかつて「音無可憐さん」で共演していたのを覚えている。今や「野ブタ」の学校の冴えない古典の先生になってしまったが、10年くらい前には結構アイドルだったのであった。榎本と山口が共演していた「可愛いだけじゃだめかしら」とか言うドラマも見たなぁ。シルヴィ・バルタンの音楽がとてもよかった。懐かしいなぁ。

しかし、何より新鮮だったのは、矢田亜希子のセーラー服だ!それなりに若いのだからいいんだけど、どうしてもコスプレっぽいんだよなぁ。他の3人は高校生っぽく見えるのだけど、矢田の場合高校生のイメージないから、卒業後3年くらいたったOGが久しぶりに昔の制服見てみました、と言う感じになる。矢田は「やまとなでしこ」とか「僕の生きる道」とか「貞子」のイメージが強く、もっと最近大人役でデビューした人かと思っていたのでね。結構芸歴長いんだ。その矢田も押尾何とかと言うやくざな奴と結婚するらしいし、榎本は大魔神の子供産んだと言うし、10年前の女子高生も人生の年輪を重ねているわけです。

自分と同年代の役者が老けたのに頑張っているのを見ると勇気付けられるけど、自分より随分年下の役者がそれなりに年取ったのを見ると、何だかがっくり来る。あんなに若かったあの子がもうお母さんかぁ、みたいな感じだね。だから、最近お気に入りの栄倉ナナちゃんのような子が結婚とか出産などと言うニュースを聞く時には私は既に寝たきり老人と化しているのだろうなぁ、と思い一人で憂鬱になっています。

荒野の決闘

2006-01-31 18:16:16 | Weblog
「My Darling Clementine」であります。ガッツさんじゃないけど、OK牧場です。46年のジョン・フォード監督作品です。傑作です。

何がいいって、やっぱりドク・ホリディがいいっすね。ビクター・マチュアと言う役者ですが、ヘンリー・フォンダよりずっとかっこよかったよ。ただし、ハンカチが汚そうで嫌だった。ホテルの部屋に飾った医師免許の額のガラスに映った自分の顔が嫌でショットグラスを投げつけるのが切なかったぞ、ドク。

ヘンリー・フォンダと言う人は結構間抜B

第三の男

2006-01-30 21:35:02 | Weblog
ずっ観たいと思っていた映画でしたが、遂に観ました。期待通りの面白さでした。監督キャロル・リード、原作・脚本グレアム・グリーン、撮影ロバート・クラスカー、音楽アントン・カラスというスタッフが超一流で、出演者もそれぞれ素晴らしい。オーソン・ウェルズが余りに有名ですが、狂言回し役のジョゼフ・コットンも間抜けだけど実直な役柄を渋く演じていたし、ヒロインのアリダ・ヴァリが馬鹿女役を見事に演じていました。

たいていのドイツ人は英語を解するものと思いますが、アメリカ人やイギリス人はドイツ語がわからないんだ、と言うのも当たり前のようで、考えてみると随分不思議です。ホリー君はウィーンに来て、日本人がNYに来たのと似たような状態になっている。ざまあ観ろ、と思う反面、それでも次々と英語を喋る人が現れるから、たいして困らないのが悔しいですね。ヒロインのアンナはチェコ生まれですが、英語が母国語のように上手。東欧訛りも余り感じられません。不自然です、あれは。

印象に残ったのは、地下下水道の立派さでした。あんな立派な地下世界が広がっているとは驚きました。今ではきっと観光ルートになっているのでしょうが、機会があったら探検してみたいです。

オーソン・ウェルズは物凄い存在感でした。最初に顔がライトに浮かび上がる瞬間の表情は非常に有名ですが、まるで歌舞伎役者が見得を切っているようでした。誰かに似ているなぁ、と思いながら観ていたのですが、竹中直人と上川隆也の両方にちょっとずつ似ているような気がした。あんまり白人っぽくない顔だよね、この人。

ラストシーンはしびれました。小説では手に手を取って去っていくらしいですが、映画のほうがそんな陳腐な展開の3千倍は優れていると思います。遠近法の世界のヴァニッシングポイントから決然と歩いてきた女がそのままカメラの前を通り過ぎていく。煙草をくゆらしながら待っている男はあくまで間抜けに捨て去られる。こんなにかっこいいラストシーンはそうは見れないです。

観覧車の場面も緊張感があってよかった。上空でドアを開けちゃうところがやばかったです。友達だからなぁ。ハリーはあの時点で滅びを予感したに違いないけど、ガキの頃からの友達だと、非情になりきれないんだね。

アンナという女は馬鹿だけど、筋を通し抜いたので偉い。揺らぐところが無かったです。余程ハリーと言う男が好きだったのでしょうが、普通もっと自分の利益のことを重視すると思われるのに、それより男を助ける方を選ぶのです。したたかなようで、捨て鉢なところもあって、とても魅力的でした。

画面が時々斜めになる映画ですが、あれはわざとやっていたらしい。撮影のクラスカーさんの巧みな技らしいです。サスペンス・ミステリーだからね。いい雰囲気が出ていました。さすがに世の中の人みんなが誉めるだけの映画です。観て良かった。

心の旅路

2006-01-29 19:25:12 | Weblog
原題「Random Harvest」です。訳しても日本語にならない題です。「心の旅路」と言うのはいいタイトルだと思います。昔の映画会社の人はこういうの上手だったんだな。1942年のアメリカ映画ということですが、舞台はイギリスでした。第一次大戦後のお話です。この間観た「哀愁」と同じマーヴィン・ルロイという監督の作品なので、雰囲気は似ています。読んだことは無いけど、ハーレクインロマンスと言うシリーズはこんな感じなのでは無かろうか、と思わせるような、そんな映画でした。

記憶喪失の男を女が執念深く追いかけるお話です。勿論最後はハッピーエンドなので安心して見れます。一度失った記憶を取り戻したんだけども、取り戻すまでの間の記憶を失ってしまうと言うことが本当にあるのかどうだかわかりませんが、この映画ではそれが設定のすべてですので、観る者は大変もどかしい思いをするのであります。途中どう見てもこっちのほうが若くていいんじゃないの、と思われるキティという姪っ子が主人公のじいさん(ロナルド・コールマンと言う役者はこの時51歳ですよ。とてもラブストーリーの主役を張る年ではない)を好きになって結婚目前まで行くのですが、本能的に彼の秘密を嗅ぎ当て、身を引くのです。この辺が韓国ドラマと違うところだね。韓国ドラマだとここからドロドロの三角関係に突入するはずですが、昔のハッピーなアメリカ映画はちゃんと身を引くのです。

エンディング間近のパブから煙草屋あたりの展開はとても良い。早く思い出せよ、じいさん、と声援を送りたくなります。ポーラ(グリア・ガーソン。この映画の時38歳だけど、とても若く見えました。きれいです。)は昔泊まったホテルに泊まっておりましたが、そこの女将から記憶を取り戻したじいさんが尋ねてきた話を聞いて、懐かしい昔住んでいた家に急ぐのでした。じいさんは唯一の手がかりである昔の家の鍵を玄関のドアに鎖しますが、何とまぁ、この家は住む人が変わっても全然鍵の交換はしてないようで、開いてしまうのです。そこに「Smithy」と声をかけるポーラ。いいエンディングでした。

可愛そうだったのは、すぐに死んでしまったと言うスミッシィとポーラの息子と、やっぱりキティだよな。偉かったのは、旦那が行方不明になって自分は産後の肥立ちが悪くて病気の上に息子が死んでしまったのに、都会に働きに出て有能な秘書になり、記憶を失った旦那の秘書にまんまとなってしまい、しかも旦那が記憶を取り戻すまでは自らは教えてあげないポーラです。この精神力は凄まじいものがあります。執念と言うか、怨念と言うか、これは生霊になるタイプですね。

よくわからなかったのは、最初のシーンだよなぁ。煙草屋で出会う二人なのですが、全くの赤の他人にあそこまで親切にしないよなぁ、普通。でも、手がかりが無いところがこの映画の味噌なので、そんな細かい所に疑問を持ってはいけないのでしょうね。

主人公二人がとてもアダルトな、渋い映画でありました。特にチャールズとキティの絡みは、恋人同士というよりも、じいさんと孫と言う感じで、やっぱりキティもその辺に違和感を感じて若い男の子のほうがいいな、と思ってしまった、と言うのが別れた本当の理由なのではないかと思います。めでたし、めでたし。

自転車泥棒

2006-01-28 17:35:51 | Weblog
ラストシーンが意外でした。と言うよりも、えっ、ここで終わっちゃうの、と言う感じです。無意識にハッピーエンドを期待していたからでしょうね。このエンディングはやるせないです。だからこそ、ネオ・レアリスモの映画と呼ばれているらしいことは、後から知りましたが。

自転車を泥棒された奴が、最後自ら自転車泥棒になろうとして、中途半端にやってしまったために失敗しちゃう映画です。しかも子供に見られちゃった。しかも子供に助けられちまった。しかも子供は親父を見捨てないんですね。しっかり手を握って、二度と離れ離れにならないようにしようとしていました。悲しいです。あのエンディングだと、この後ラッキーなことに盗まれた自転車が出てきた、と言うことにはならないだろうなぁ、と深く思わせます。とぼとぼと家に帰りついた父子はきっと母ちゃんに怒られることでしょう。それは当たり前ですが、次の日からどうやって暮らしていくのでしょうか。

でも、きっと大丈夫なのです。何故ならイタリアは教会がしっかり貧民に飯を食わせていたようですから。映画にもそういう教会が出てきましたが、お祈りさえしていれば、とりあえず食い物にはありつけそうです。それどころか、床屋さんもやってくれていました。家族ばらばらにいろんな教会を渡り歩けば、結構おなかいっぱい食べられるのではないか、と思われます。

戦後間も無い頃のイタリアが舞台ですが、それほど荒廃した感じは受けませんでしたね。日本と違ってさっさと降伏したから、空襲など受けずに街並みが残されていたせいですかね。人々も主人公のように貧しい奴はみすぼらしい格好をしていますが、羽振りのいい連中はバリっとした格好をしていました。しかもサッカー場は満員です。敗戦後の貧しいイタリアと言っても、敗戦後の日本と比べるとかなり生活はしやすそうに感じました。

しかし、主人公のアントニオさんは、自転車に鍵をかけなかったことが痛恨でした。そういう基礎的な行動ができないところが貧困生活に落ちぶれてしまった原因なんだろうなぁ。どこか抜けてる人なのです。何だかアントニオ一家の明日からの生活が心配ですが、きっと図太く生きるのでしょう。教会に通ったりしながら。

後、怪しい占い師のおばさんが出てきましたけど、まるで細木数子みたいだったな。あんないい加減な出任せ喋って生活が成り立つなんて、とてもいい商売です。細木のばあさんは、ホリエモン事件のおかげでもう落ちぶれてしまうのでしょうか。今日は年末のレコード大賞のビデオを見ていたら、プレゼンターとしてホリエモンが出てきたのでびっくりしました。来年は歌手デビューする、とかほざいておりましたな。まだあれから1ヶ月もたっていないのに、運命の変転ぶりはかくも凄まじい。奢れるものは久しからず。大丈夫かな、娑婆に出てからのホリエモンは。今の日本は戦後のイタリアと違って、教会行けば飯食わしてくれるほど、甘くないぞ。でも、ニック・リーソンのように「私はこうやって世間と庶民をだまくらかした」みたいな本を書けば印税で暮らしていけるか。目立った者の勝ちってことだね。