何遠亭

未だ之を思わざるなり、
夫れ何の遠きことか之有らん
          孔子の論語より

桜井賢と秩父路SLの旅 20050909(FRI)-10(SAT)そのご

2005年09月13日 16時37分00秒 | THE ALFEE
会食も和やかに進み、間もなく20時。
お手洗いに行ったら「早く席に戻ってくださぁい」と声が掛かる。
化粧直しする余裕も無く(普段から殆どしないが)、バタバタと席に戻る。
司会の棚瀬さんが再び桜井さんを紹介すると、先程と同じように再登場~
もしかして”そのよん”に書いた登場シーンがこの時だったかも知れません・・・
というのは、全く同じルートを通ったものですから・・・またまた目で追いかける私
そして同様に壇上に上がる時につまづく桜井さん
『今日はずっとみんなに笑われて、ちょっと凹んでます』って云ってたけど、そうさせるのは貴方です

ちなみにこの日の衣装は、シャリ感のあるシルバーのスーツに、濃い目のブルーのシャツに、
白・ブルー・黒・グレーの模様の入ったネクタイ。そして、袖口からそっと覗く金の時計・・・。
と、写真で確認そうです挨拶の後、写真撮影の時間が頂けたのです
壇上からだけだと思っていたら、棚瀬さんに先導されてテーブルの間を抜けて移動。
それまで目で追いかけていた私達は、「先ずはここでお願いします」と棚瀬さんが示した場所に、
「ひええっ」それは、私達のすぐ後ろでした
椅子に横座りになって、兎に角無我夢中でシャッターを押す・・・が、近過ぎてシャッターが切れないっ。
隣の方と「カメラのファインダー越しに見るのが勿体無いですよね」と喋りつつ、
ちょっと後ずさり気味になりながら、兎に角押しまくりました。
出来た写真を見ると、桜井さんは、フラッシュにおののいたのか、ポーズらしいポーズは余りしてなくて。
そういえば、『俺、どうしてればいいの?』って云ってたような・・・。
「桜井さ~ん!!」という声援の中、「がきデカ!!」って声を聞いて、すかさず『ぶっとばす
生で聞けた~云われてみた~いっ(バカでスミマセン)
その後、左側の壁際と壇上の手前に行って、撮影時間は終了。

みんながカメラをしまうのを待って、次のコーナー。”Talk about of荒川村”へ。
桜井さん曰く『一時間目の授業・社会』は、"桜井賢が語る荒川村の歴史と自然"(だったかな?)
壇上に着いて資料を見るけれど・・・困った挙句、サングラスの上から老眼鏡を無理矢理
『みんなだって、あと数年だよ』・・・まぁね・・・

『みなさん、景色とか全然見てなかったと思いますが・・・』そんな事無いですってば。
先ず荒川村が4月に秩父市荒川になった事から始まり、『橋の上で立ち○○した』とか
思い出話を織り交ぜ、荒川を語ってくれました。
三峰神社には、ロープウェイに乗るお金が無かった為、登って行ったとか。
(ちなみに私は三峰口からバスで行った事があります。雪が沢山積もってる頃で、荘厳な雰囲気でした
だけど、有名な”秩父夜祭”には行った事が無いそう。
というのは、ご実家がお店だったので連れて行って貰えず、自分で行ける年頃(中学)に
なったらなったで『あんなの行くかよ』って反抗して行かず、高校からは東京に出てしまったので。
それから、ご家族の話もちょこっと。
おじいさんであり、桜井太伝冶商店の創始者でもある太伝冶さんは、
ちゃぶ台をひっくり返すような厳格な方で、お酒もよく飲まれたみたいです。
それを見て育ったお父さんはお酒は余り飲まれないけれど・・・
『孫に出ちゃったんですねぇ(笑)特に兄貴はとんでもない奴です』って。
でも、桜井さんが『それならここで飲むぞ!!』って云った時、いいよ~って反応に驚いて、
『みんなは俺が飲んでるの見てないから。棚瀬には「悪魔!!」って云われました。』って・・・どんなん?

この日のSLの旅を通しても、桜井さん兄弟っていいなぁと思いました。
荒川村もよくネタにされるけど、このおおらかな自然の中で育ったから、
桜井さんってあんなに優しいんだなって、私は改めて感じました



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