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何遠亭

未だ之を思わざるなり、
夫れ何の遠きことか之有らん
          孔子の論語より

小田和正~大好きな君に~20051220・21 レインボーホールそのいち

2005年12月27日 15時19分58秒 | 音楽
年末ライブ5連チャン、先ずは小田さんのツアーレインボーホール2DAYS。
しかも12月21日はこのツアーのファイナル。始まる前は、「小田さんに沢山逢える~」と、
ワクワクしていたのに、あっという間でした。
オープニングの映像も、これが見納めかと思うとちょっと切なくなりました。
ステージに上がってそのまま花道の中央へ向う小田さん。
溢れる歓声が、『まっ白』が始まると共に手拍子に変わる。
そして『ラブストーリーは突然に』のイントロで、弾けるように花道を駆け回る。
この花道も、回を重ねる毎に進化していた。客席後方のスタンドにも長く伸びている。
まるで、小田さんの気持ちがそのまま形になったかのよう。
余りの全力疾走に、時々歌が途切れる。でも、その度に『どうも有難う』と叫ぶ。
このツアーで、どれ位この声を聞いただろう。その度に、「こちらこそ有難う」って思った。
最終日には、全国から集まった『見知った顔』を見つけて、
『こいつらはきっと俺の葬式にも来るんだろうな』と。でも、嬉しそうでした。

『ダラダラやろうと思っていたのに、ついつい力が入ってしまった』という
中盤のアコースティックコーナー。いつも書き込まれているメモを拡げては、『まいっか』と
仕舞い込んでしまう。
20日は言葉の聞き違いというか、勘違いについて話してくれた。
『フクチャン』という漫画の、お爺さんの話したある言葉の意味が、
今でも今ひとつ理解出来ないとか、「僕らがいた」という歌について
「”誰の為にでも泣く(ホントは"無く")”なんて小田さんは優しい」というファンレターを貰ったとか。
21日は、ずっと話そうとして辞めてしまっていた話をしてくれた。
小さい頃、隣の雑貨屋のちーちゃんというお兄さんとよく遊んでいて、
おなかが空くと、ちーちゃんのお母さんが御飯を作ってくれた。
でも、ある日突然雑貨屋をたたんで、食堂を始めたそうな。
それからは、御飯を食べるとお金を払わなくちゃいけなくなってしまった・・・と。
それが和正少年にはトラウマになってしまったらしく、以来、食べ物屋が苦手?だそう。
『別にお金払うのが嫌な訳じゃないんですよ。』
食べ物屋に限らず、御当地紀行でよく『金とんのか・・・じゃあ辞めましょう(笑)』って、
よく言ってますけどね。
このコーナーでは『やさしさにさようなら』が聴けて、嬉しかったです。
その後のキーボード弾き語りでは、20日には当時の思いをそのまま歌にしたという
『ひとりで生きてゆければ』。こんな歌詞だったんだと改めて感じました。
21日は『Let it be』『生まれ来る子供達のために』。

『たしかなこと』色々あって、開演前のスポンサーの映像が流れなくなりましたが、
この2日間には久々に復活。21日の本篇では『彼らに感謝を込めて』とスタッフの映像が流れました。
みんな生き生きした表情で、羨ましかったです。
御当地紀行は、東海地区の総集篇。初期の頃の小田さん、やっぱ若い
おかしかったのは、津の商店街でTV収録をしている所をさりげなく歩き、それが
ちゃんと番組に映っていた事。後ろ姿だったけど、見つけた人は凄いです。
小田さんお気に入りの明治村。ここで野外ライブやったらお客さんもきっと集まると
思うんだけどな。
『そうかな』発売日にも名古屋でライブがありました。この時はCDショップを遠くから調査(笑)
撮影したCDショップは私も覗いていたので、もしかしたらニアミス出来たかもと思うと
ちょっと残念でした。
犬山城で『この川(木曽川)が効いてるね』と、天守閣からの眺めに感動する小田さん。
そういえば、雨に煙る岐阜城天守閣で、ゾウさんギター抱えてミニライブもしてましたね。(笑)
今回も前回同様、熱田神宮で甘酒をすすって来られたようです。
とっても美味しそうでした。でも、きしめんも美味しいですよ
名古屋・栄のビルにくっついている観覧車にも搭乗。
今なら並ばなくても乗り放題のようですね(笑)
でも『見るべきものは何もありません』って。
夏の野外ライブの地・オープンエアパークも祭りの後という感じでした。
いつか、あの夢の時間をもう一度・・・

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