お母さんとの想い出箱

OCNブログ人から引越ししました。
書きたいことはたくさんあるけど、時間がない…
でも、お母さんとの想い出は永遠

ビニールハウス

2013-05-26 23:10:30 | インポート

平屋の鉄道官舎の家の前や後ろには

畑を作るスペースが必ずありましたね

大抵は縁側や南向きの窓の先に

洗濯物を干す場所と畑を作るための土地がありました

駅によって家から離れた場所にも

其々の職員の家庭に管理を任せた畑や室があり

直別時代は全部がフルにそろってました

家の南側、縁側の先には子供目線でとても広いスペースがあって

パパが作ってくれたブランコがあったり

レオが鎖につながれずに暮らすスペースがあったり

イチゴ畑を何畦か作ったり

ダリヤやグラジオラスみたいな大きな花が咲いていたり

あまり野菜は植えてなかったけど

或る年ビニールハウスを作ってたこともあったね

私はあのムーッとする匂いとじんわいとした暑さが大好きで

ビニールハウスに何度も入った

トマトを主に作ってたね

トマトとビニールと土の混ざった匂い

今でも思い出すけど入ってみたいです

あの当時パパが骨組みを建て

折りたたまれて売られていたビニールを広げて

パパとお母さんと二人で貼ってたね

一年しか持たないビニールは

次の年にまた張り替えるけど

どこかに穴が開いたり雨水が溜ったり

でも夏の朝の採れたてトマトが懐かしい

ちゃんとドアの形になっている入り口から

中に入ると小さな宇宙みたいでワクワクした

若い日のお母さんはビニールハウスで野菜を作り

その傍らで木の柱に竹竿を渡した物干しに洗濯物を干し

とても忙しそうだったけど

自然の中でとても生き生きと働いてた

あの頃はみんなが野菜や花のように生き生きと元気で

枯れることを知らず成長に向かっている毎日だったね

今年の春はまだまだ寒くて

うちのフルーツトマトの苗も

大きくなれなくて可哀そうです

手柴をたててビニールを張り巡らして

守ってあげようかと思ったりしたよ

お母さんは花や野菜を大切にし

動物を可愛がり家族を愛し

自然を愛でる人でした

私もそんな人になりたいと思うけど

もう遅いかな?


アンジェリーナジョリーの選択

2013-05-19 20:15:34 | インポート

アンジェリーナジョリーってアメリカの女優が

子供たちのお母さんとして元気でいることを選択して

乳房を切除しました

私はそのニュースを知り

乳がんの手術をしたお母さんを思い出しました

最初中沢医院へ行き

普通におっぱいに出来物でもできたのではないかと

私と一緒に受診しましたね

でも大きな病院で検査を受けるように言われて

検査の結果は乳がんの第二ステージだった

私はショックで

西港の岸壁へ一人で向かい

車の中で声を上げて泣きました

私のお母さんのおっぱいが無くなる…

もうイコールお母さんの命が無くなるような気持ちでした

マザコンの私は

私がのんでいたおっぱいが無くなる…それは

想い出がむしりとられるような気分だったんです

家に帰ってからも泣いてばかりいて

サト君に「アンタが泣いてたら母さん辛いだろ」って叱られました

でも気丈に立ち向かうお母さんは

それまでの私のお母さんに対するイメージを

完全に塗り替えてくれました

とても前向きで手術後もリハビリに励み

痛む腕を動かし

活動的に日常生活にも趣味にも生き生きと取り組んでいました

人前で歌なんか歌うはずのなかったお母さんが

カラオケ同好会に入りビックリしましたっけ

私はお母さんを心から尊敬しました

パパの慌てぶりとそれまでの自分の過ちでもただすかのような

家事を引き受ける姿も忘れられません

それまでも愛妻家ではあったけど

少し自己中な面のある愛し方で

お母さんを心から思いやると言うより

愛情の押し売り感のある感じだったけど

お母さんが大病をして以来

一心に奉仕する姿は微笑ましいものでした

あの頃が病気は辛いものであったけど

お母さんにとっては幸せだったよね

私も形成手術はむりでも

当時は珍しかったヌーブラのパッと入りみたいのを取り寄せたりしたけど

結局お母さんは正々堂々と胸のハンデを隠しませんでしたね

手術の前の晩病院のお風呂に入るお母さんのおっぱい

真由美は見られたけど

私は無理でした

お母さんの納棺の時も

パパや真由美は触ったり見たりしてたのに

とうとう私は見ることができませんでした

もう最後なのに…

私のおっぱいが無いのが悲しくて見られませんでした

お母さん私は親不孝ですね

でも私の中のお母さんは私がのんだおっぱいを失くさず持っているのです

お母さん大切なお母さん

心にそう思うだけで

ガンの時も命を落とす時も何もできなかった自分が悔しいです

大切ものなのにもっと忘れないように失くさないようにできなかった自分が

残念でたまりません

お母さんごめんなさい

もう一度昔に戻りお母さんの子供をやり直したいです

強く冷静におおらかに相手を思いやり守る私になりたかったです


母の日です

2013-05-12 19:10:10 | インポート

今年も辛い日がやってきました

お母さんの居ない母の日は3度目になりました

最初は何だか悔しくて

他人を羨むのを通り越し

楽しそうな母の日関連のCMを見るたび腹が立つほどでした

今はだんだん空しく感じて

お母さんが元気だったころの母の日は

まるで想像の世界のような気がして

自分がお母さんに接した記憶がおぼろげな感じになりました

子供の頃はカーネーションと『お手伝い券』を贈りましたね

自分の分身がそうしていたとしか思えませんが

確かにワクワクしていたような記憶もあります

今思えば

お母さんは私が幼い頃から

何だか儚げな守らなければならない存在に思えていたようです

お母さんの存在を当たり前に思う半面

力いっぱい頼ってはいけないと感じて気を遣っていた気がします

それだけ大切な存在だったわけで

なぜもっとそれを具体的に行動しなかったのか

やっぱり後悔でいっぱいです

今でも毎日思い出すお母さん

写真に向かい

眠る前は「おやすみなさい」と話しかけ

仕事に出る前も「行ってまいります」と言います

実際に声は聞こえないけれど

お母さんに届いていると信じています

サト君のお母さんが居なくなって2度目の母の日になりました

この世にお母さんと呼べる人が一人もいないんだと思い知る日で

母の日は本当に辛くて淋しいです…


お母さんの口調

2013-05-06 20:13:02 | インポート

 

連休中

お母さんが元気だったらきっと叱られたかもしれない

毎日遅く起きていました

というか朝方5時とか6時とかに寝ていました

以前も朝方に布団に入ると

お母さんが耳元にきて

何か言っている声で目が覚めて

本当に話している声で間違いないと思っていたのですが

そんなはずはない…と思う気持ちもありました

そんな折テレビで朝方や遅い時間に寝ると

幻聴が起こると言うのです

幻聴…でもお母さんの声なのです

たまにパパの声がする時もあります

眠りに落ちる瞬間なんです

てっきり私はお母さんが耳元に来て

「ダメだよ、こんな遅くに寝ていたら」と言われた気がしてました

お母さんが亡くなってしばらくした頃

寝つきが悪くて

怖い夢をみそうで

サスケを抱きしめながら

恐る恐ると寝ていると

シンバルを鳴らされたような音がして

心臓までドキドキすることがありました

だってそりゃあそうですよ

人生で一番ショックで大きな悲しみを知った後なんですから

心が傷ついて

少し病気なくらいだったんですよね

毎晩毎晩シンバルのような音が耳から聞こえて胸に反響する感じで

辛いものでしたよ

でも最近シンバルはなくなりました

でも

お母さんの声は聞こえます

お母さんの口癖の一つで

きくのおばあちゃんの口癖を引き継いでいたんですね

「殆ど」と言う言葉

「ほとんと」と言ってましたよね

秋田弁のおばあちゃんに育てられて

お母さん自体は訛りはホトンドなかったけど

「ほとんと」だけは今も聞こえてくる感じ

もう一度鼻にかかるお母さんの声が聞きたいです