今日道新の日曜版の特集で
美川憲一の『釧路の夜』がとりあげられていたの
流行っていた当時は私は子供だったから
大人の夜の世界のこの歌の意味がよく解らなかった
そして末広町も北大通りから見る程度
それも昼間だけ
だから歌詞から受ける印象は
幣舞橋を渡るバスの中から釧路川を見下ろして
ここで大人の世界があるんだと想像してみたり
当時は商工会館と呼ばれた現キャッスルホテルで
親戚の結婚式がある時
川の対岸に広がるネオン街を観ながら
私の知らない世界になんだかワクワクするものを感じたりしてた
パパの親戚はほとんど大楽毛で
知人の伯母さんの一家だけが幣舞橋の向こう側に住んでたけど
お母さんの姉の柴田伯母さんの家は桜ヶ丘だし
友達の藤田さんのおばさんも益浦の方だったし
佐々木のおじいちゃん達が眠っていたのは定光寺だから
幣舞橋を渡ることも多かった
それに昔は買い物は北大通りでしてたから
丸三鶴屋、北村、山下書店、マルカツ瀬戸物屋さん、中山茶紙店、木原洋服店、
ハコダテ屋帽子店、くしろデパート、オリエンタルデパート、足立・中田・秋田河靴店…
思い出せるのはこんな名前のところだけど
駅前の北大通り13丁目から幣舞橋の手前まで
お母さんに連れられて歩いて買い物したよね
駅の西側の国鉄の物資部や市場やパルコで出来ない買い物を
北大通りでしたんだよね
幣舞橋を渡らなくても目と鼻の先の場所まで行ってたんだよね
小さい時はいつもお母さんと一緒だった
当たり前にお母さんは私の後にいた
遊びに行く時も、買い物に行く時も、誰かの結婚式に出る時も
お洒落してきれいにしていたお母さんがいた
あの頃のお母さんの年をとっくに越えてる今の私だけど
感覚はあの幼い日に大人のお母さんをきれいだと感じ
『釧路の夜』に出てくる可哀そうな女性に比べて
昼間の太陽の光があるところで暮らしているから
幸せなんだと思っていたよ
大人の世界はよく解らなくても
パパと喧嘩することがあっても
お母さんは幸せな方の大人の女性だと感じてた
はたして私は?
大丈夫だよお母さん
お母さんが守ってくれたまま大人になって
そのまま幸せだよ…心配いらないよ
寂しいのはお母さんがいないことだけ
パパが年をとったことだけ…
まだまだもっともっと幸せになるから見ていてよ