お母さんとの想い出箱

OCNブログ人から引越ししました。
書きたいことはたくさんあるけど、時間がない…
でも、お母さんとの想い出は永遠

釧路の夜

2013-02-24 19:00:35 | インポート

今日道新の日曜版の特集で

美川憲一の『釧路の夜』がとりあげられていたの

流行っていた当時は私は子供だったから

大人の夜の世界のこの歌の意味がよく解らなかった

そして末広町も北大通りから見る程度

それも昼間だけ

だから歌詞から受ける印象は

幣舞橋を渡るバスの中から釧路川を見下ろして

ここで大人の世界があるんだと想像してみたり

当時は商工会館と呼ばれた現キャッスルホテルで

親戚の結婚式がある時

川の対岸に広がるネオン街を観ながら

私の知らない世界になんだかワクワクするものを感じたりしてた

パパの親戚はほとんど大楽毛で

知人の伯母さんの一家だけが幣舞橋の向こう側に住んでたけど

お母さんの姉の柴田伯母さんの家は桜ヶ丘だし

友達の藤田さんのおばさんも益浦の方だったし

佐々木のおじいちゃん達が眠っていたのは定光寺だから

幣舞橋を渡ることも多かった

それに昔は買い物は北大通りでしてたから

丸三鶴屋、北村、山下書店、マルカツ瀬戸物屋さん、中山茶紙店、木原洋服店、

ハコダテ屋帽子店、くしろデパート、オリエンタルデパート、足立・中田・秋田河靴店…

思い出せるのはこんな名前のところだけど

駅前の北大通り13丁目から幣舞橋の手前まで

お母さんに連れられて歩いて買い物したよね

駅の西側の国鉄の物資部や市場やパルコで出来ない買い物を

北大通りでしたんだよね

幣舞橋を渡らなくても目と鼻の先の場所まで行ってたんだよね

小さい時はいつもお母さんと一緒だった

当たり前にお母さんは私の後にいた

遊びに行く時も、買い物に行く時も、誰かの結婚式に出る時も

お洒落してきれいにしていたお母さんがいた

あの頃のお母さんの年をとっくに越えてる今の私だけど

感覚はあの幼い日に大人のお母さんをきれいだと感じ

『釧路の夜』に出てくる可哀そうな女性に比べて

昼間の太陽の光があるところで暮らしているから

幸せなんだと思っていたよ

大人の世界はよく解らなくても

パパと喧嘩することがあっても

お母さんは幸せな方の大人の女性だと感じてた

はたして私は?

大丈夫だよお母さん

お母さんが守ってくれたまま大人になって

そのまま幸せだよ…心配いらないよ

寂しいのはお母さんがいないことだけ

パパが年をとったことだけ…

まだまだもっともっと幸せになるから見ていてよ


今日を『桜榮忌』と名付けます

2013-02-18 22:42:11 | インポート

信じられないってのが一番ふさわしい表現

まさか私のお母さんが

私に黙って違う世界に行ってしまうとは…ってね

出来れば

ほんと出来れば

手を握り「お別れだよ」って言われて

「死んじゃ嫌だ!」「死んじゃダメ!」って

引き止めたかった

なのに2年前の今日お母さんは

朝明けやらぬうちに

人知れず

誰にも何も言わずに

独りぼっちでこの世から旅立った

寂しがり屋のお母さん

家族が大好きはお母さん

どんなに無念だったのかと

今でもとても残念で悔しいです

でも2年前は胸が焼け焦げるほど

辛くて苦しくてのた打ち回るほどだったのが

今は海の凪が穏やかになるように

私の荒れ狂っていた心がシーンとするくらい

とても静かになっています

そして

ずっと想像していた天の険しい階段を上ってゆく後姿のお母さんは

もう離れず私の心にしっかりと留まっています

受け入れなければならないことと

整理しても良いことが

知らないうちに理解できていたと

今日しみじみ分りました

陽とお父さんだけが欠席だったけど

パパと私と真由美とシオとアーやんとマイと和さん

そしてお母さん

私たちは10人のチーム

お母さんを入れて8人で

一つの節目の三年忌を迎えたのです

私はお母さんの今日の日に名前をつけました

『桜榮忌』です

どうです?お母さん

気に入ってくれましたか?

花が大好きだったお母さん

パステルカラーの似合うお母さん

なかでも桜の花は

お母さんのイメージなんです

私がそちらへ行くまでは

『桜榮忌』には日常よりももっとお母さんを強く感じてみたいと思います

        平成25年2月17日


直別の道

2013-02-11 19:29:02 | インポート

お母さんが生きていた頃から

私は朝ドラを一週間分土曜の9時半から観ながら

朝ごはんを食べます

それが私の定番の休日のスタートですよね?

先週は今放送中の『純と愛』で

武田鉄也が演じる主人公の父親が亡くなりました

それがただのドラマのワンシーンでは済まない

とても重いもので

シオもかなりインパクトが強いと言っていました

なんかとてもリアルで

登場人物の心境が手に取るように伝わって来て

余韻が残ってしまうほどでした

特に主人公の純が言っていたセリフ

「こんなに早く親と別れる日がくるとは…」って気持ち

まさしく私の気持ちと同じです

まさか私のお母さんに関してこんなにも突然

二度と会えなくなる日が来るなんて…

今でもその気持ちは変わりません

そしてね道新の死亡者の欄に

直別の箱崎さんのオジサンのそれが載っていて

月日は当たり前に平等に大事な人との別れを連れてくるのだと実感しました

ただやはり自分だけは特別だという思いは消えていませんが…

そして住所の記載に

『停車場通り』とありました

駅からまっすぐのびる道

当時は名前がありませんでしたよね

駅から国道38号線を渡りすぐ左に藤井さんの家

右には綿貫商店

少し進むと右側に公園と稲岡さんの家

左側に郵便局

更に進むと右側に小幡さんと小形さんの家

左側に大和田さんの家

そして進むと左側はキナシ別との間にある山と牛の放牧場

左側には木立に囲まれた小川の溜り

そして左側には並木があって奥には直別小学校

左の先には三部落会館と北電の宿舎

今でも瞼の裏には蘇ります

入学式でお母さんに手を引かれて

小学校までの道初めて歩きました

ずいぶん遠くに感じた長い道のりでしたが

今から20年くらい前に

真由美とアーやん

私と陽とシオで

ドライブした時

なんだかとても駅から小学校まで近くてびっくりしました

子供目線はいろいろなものを大きく感じていたんです

お母さんの存在もとても大きくて

お母さんが死んだら私も生きて行けない

小学校の頃は本気でそう思っていました

大きく感じたお母さんの身長も

いつの間にか抜き去ってしまい生意気な私になりましたが

でも心の大きさは子供の頃のままで

お母さんを頼りに思い寄りかかっていた日々が

急になくなってしまい途方にくれたままです

私は弱いです

大きなお母さんの心をいつまでも覚えています

いつも「お母さん」って呼びかけながら…


地震でした

2013-02-03 19:52:17 | インポート

今日は節分で

節分のお母さんの想い出を書こうと思っていたのに

釧路は震度5強だったんです

急きょ予定変更で

地震のことお母さんに報告します

昨夜の11時17分に十勝沖の震源で

札幌もかなり揺れて私の所は震度4位かな?

すぐに釧路に電話すると

釧路沖や東方沖地震を彷彿するような

混乱になっていました

家の中が物が落ちて割れたり壊れたり

散乱した状態で

お母さんの部屋もカラオケのテープや

箪笥の上のフランス人形や

お母さんが作った椿のアートフラワーのケースも

積み上げていた本も

下に落ちたり壊れたり

アーやんが片付けてくれたって

そしてパパのところへみんなが一番先に駆け付けたけど

パパの部屋もマニアックな本が崩れて

それでもパパは無傷だったって…

ところが今朝真由美から電話

今のシャンデリアが配線のところから破損して

伸びた配線を戻しても点灯しないそう

外の煙突のブロックも崩れてしまったって…

それでねシャンデリアはもう本体の生産が終わって

部品も無い状態なんだって

パパに伝えると

「想い出(お母さんとの)のものだから直して」と

聞く耳を貸さずにむくれてしまったんだって

最後に昔よく行っていたモアおのでらのご主人が

修理ができないと言っていたのを伝えて

渋々納得したらしいけど…

でもお母さんとパパが一生の成果として建てた家

思い入れが強かったものね

私は覚えてるシャンデリアはパパとお母さんのこだわりだったね

パパが駄々をこねるのも分らないではないかな

シャンデリアの下にお母さんの影

これはセットで想い出って思うパパの気持ちがわかる

本当は埋め込み式のシーリングライトだったのを

ミサワホームなのに設計変更させて

シャンデリアをつけてもらったんだよね

私が覚えてるよ、ずっと

パパとお母さんの気持ちを…

節分の事は来週書くね

節分が来ればお母さんとこの世でお別れした日が近づく…

でも節分はお母さんの想い出がいっぱあるの