鉄道官舎に住んで居るころは
お母さんは毎日のように洗濯をして
朝、外の物干し竿に整然と干して
午後3時を目安に取り込むというスタイルで
布団も同様で
午前中の空気の湿気が抜ける頃の
ちょうど日が高くなる頃に干し始めて
やはり午後3時を目安に取り込むというスタイルで
布団のダニを座敷箒で掃き落とすようにして
決して布団たたきでバンバン叩くようなことはしませんでした
綿がちぎれてしまったり
浮き出てきたダニを塗りこんでしまうことになるという情報を知っていて
その頃お母さんに聞いた説明をその当時の私は正しい事と理解して
現在もその時のお母さんの教えを守り
洗濯物を取り込む時間は多少遅くなることはあっても
布団はせっかく干したことが台無しになるような
時間と動作はしないようにしています
今ベランダのあちこちから布団をバンバン、パンパン叩く音が聞こえてくると
バカじゃないのか?! と薄ら笑いを浮かべてしまいます
とにかく若い頃のお母さんは
家族が清潔に快適に過ごすことに一生懸命で
誰も褒めてもくれない当たり前のことを
さらっと軽くこなしていましたが
私はちゃんとお母さんが私たちのために
一生懸命なことを感じていました
私は中学時代が終わる頃には
ある意味今でいうオタク風になっていて
中学3年の夏までは部活の練習で家から出る時間があったけど
高校時代はお家大好きで
昼寝も大好き
お母さんも大好き
オタクと違うのは自分の趣味で費やす時間が占めるのではなく
家族と過ごせる家が好きだったこと
中学3年の夏休みは終業式の前日に
体育の時間にくるぶしのところを骨折し
入院こそしなかったものの夏休みはギブスを付けて
ずっと家から出られず
高校2年の時は膝の靭帯を損傷し
これまた夏休み前でギブスの夏休みを過ごすことになり
夏休みは家にいるのが当たり前のようになり
そのうち家が大好き
お母さんや非番のパパと過ごす時間が
とても満ち足りた気分になり
まるで赤ん坊に戻ったようなやすらぎを感じていました
午前中は少し暑いと思いながら
窓の外に洗濯物がそよいでいるのを見ながら
建前上勉強机に向かう形で
その当時好きだった室生犀星や井上靖の本を読み
だんだんお腹が空いて来て
その頃の実家のお昼ごはんは麺類と決まっており
(それはパパが好きだったから)
パパが居ないときはスパゲティーになることもあったけど
それを食べて高校野球に夢中になる合間に
昼のメロドラマや徹子の部屋や遠山の金さん系のドラマを観て
『3時のあなた』が入る頃には眠くなり
お母さんが取り込んだ布団を積んだところに寄りかかって
お日様の匂いを嗅ぎながら眠ることが日課(?)で楽しみでした
でも大抵お母さんに見つかり
「お姉ちゃん、せっかく干したのに布団がつぶれるから嫌だね。」と叱られ
気が付くと布団から離されて
畳の上に横になっていて
私の上にはタオルケットが掛けられていて
そこからもお日様の匂いがして
本当に安らぎの時間とはこれなのだと感じていました
後日大人になってからその気分を詩に書きました
レースのカーテンがそよいでその窓辺に
ハンモックに入った赤ちゃんの私が眠り
傍らにはお母さんが微笑みながら子守唄を歌ってくれている
そんな光景が夢か現かわからない狭間に浮かんでいる
とても心地よいものでした
そしてフワフワ漂うように眠っていると
台所から晩御飯の匂いがして
窓の外はすっかり黄昏時にさしかかっていて
「そろそろ起きなさいよ。」とお母さんの声がするのです
あの頃の幸せ度と言ったら数字にできないものです
やがて来るお母さんとの別れも知らず
お母さんにすべて託して守られて
気分は生まれたての赤ちゃんでした
お母さんの愛はまさしくお日様の匂いでそよ風の心地よさに他なりません
実際肌身で感じていた頃も
そして過ぎた思い出に浸る今も
私がお婆さんになっても同じ気持ちに帰れる時間でしょう、きっと