お母さんとの想い出箱

OCNブログ人から引越ししました。
書きたいことはたくさんあるけど、時間がない…
でも、お母さんとの想い出は永遠

サスケがもうすぐそちらへ着きます

2011-10-30 15:21:31 | インポート

お母さん

サスケの四十九日が11月1日です

もう天国へ旅立ってゆくらしいです

今はまだ私の近くにいるのがわかります

人間の都合で勝手に思い込んでいるだけかもしれないけどね

お墓にはお母さんと一緒に入れたけど

いよいよ天国のお母さんの元へと走ってゆきます

お母さんも待っていてくれてるよね?

可愛がってくれたものね

レオがお母さんのところにいると思いますが

サスケも仲間に入れてくださいね

今更ながら私の大切なものが

どんどん天に昇って行ったんですね

サト君のお母さんも11月16日が四十九日です

みんなの天国での毎日が穏やかで優しいものでありますよう

心から祈っています


お母さんやっぱりね…

2011-10-23 20:19:59 | インポート

昨日TSUTAYAへ行って

来年の細木和子さんの占い本を

ちょっとだけ見てみました

来年の事が書かれている中に

今年のことについても書かれていて

案の定『大殺界』でした

うすうす判っていましたが

ハッキリ判るとそれはそれでショックで

しかもこの運気は来年の3月まで…云々…と

書かれていたようですが

私は2011年、平成23年だけ限定して捉え

早くこの年が去ってしまえ!!

これ以上何かあったら許さない!!

って思ってます

思えば

お正月過ぎに

道端に落ちていたお財布を拾った時のことを

思い出します

中身は現金が3万円くらい入っていました

若い女性のものと思われ

クレジットカードや保険証や

ショップのポイントカードなども入っていたのを

届けた交番で知りました

普通に届けて当たり前で

それをどうこうしようとは思いませんでした

そうお母さんにも教えられて生きてきたしね

でも私だって人間です

年末からお正月にかけて出費していたから

全く何も迷わなかったと言ったら嘘になります

でも勿論交番へ行き

拾得物ルールで落とし主が現れないとき

期限が過ぎたら私のものになるとか

持ち主は法律で私に対してお礼をする義務があるとか

警官が話してくれたけど

私は権利を一切放棄する旨書類に書いてきました

雪道ががキラキラ光る晴天の日でした

帰宅してすぐお母さんに電話しました

「きっといいことがあるよ」と

私は

お財布を届けた事が当たり前ではなく

善行の誉れのように思っていたんです

お母さんは

「それはいいことしたね」と

やはり当然のことをそれなりに褒めてくれましたね

私はその時から信じていたんです

サスケの病気も良くなり

お母さんにも私にもきっと良いことばかりが訪れると…

お母さんが亡くなってから

その時のこと思い出して

「いい事どころか、お母さんにも私にも悪いことしかないじゃない」

と口に出して不満をぶつけたこともありました

でも本音です

お母さんにとっていいことって何だったんだろう?

それは『元気で生きていること』に違いありません

私のこの一年

お母さんの事だけでも辛かったのに

サスケも

お姑さんも

大切なものを3つも失ってしまいました

これが『大殺界』の運気に入った私の定めだったとしたら?

パンドラの箱を開けた気分です

お母さん見ていてね

このメガトン級の試練を乗り越えて見せます

そしてその分をたっぷり取り返します

とにかく何年か後にお母さんに再会するまで

『手土産』をたっぷり抱えて行きますからね

待っていてください


お母さん

2011-10-10 00:51:50 | インポート

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母という字の

やさしさ

むずかしさ

なつかしさ

     サトウ ハチロー

私が結婚する前

行きつけのカネボウ化粧品の景品でもらったカップ

この詩と巣の中で母鳥がひな鳥を守っている絵が描かれています

私が結婚した後も

実家に戻るとお母さんがこのカップに飲み物を入れてくれましたね

お母さんの葬儀が終わって実家を後にする日

持ち帰りました

そしてしみじみ眺めて泣きました

「お母さん」と呼んでみたりしました

私にとってお母さんがいなくなったことだけでも充分つらい2011年でしたが

先月14日お母さんも可愛がってくれたサスケが

またしても私のもとから去り

そしてそれから2週間たって

サト君のお母さんも帰らぬ旅に出てしまいました

本当になんていう年でしょうか?!

怒りさえ覚えてしまいます

私が辛かった時に支えてくれたサト君

あなたにも辛いことが訪れて

私はどうしていいか分らない気持ちでした

そして改めて

私にはもう「お母さん」と呼べる人が

一人もいなくなってしまいました…

まさゑお母さんごめんなさい

ずっと元気でいてくれると勝手に思い込んで

孝行することを後回しにして

それを実行することができなくなってしまいました…

嘘じゃないんです

いつも家の中に閉じこもっているから

近くの公園を手始めに

きれいな景色のところへたくさん連れて行ってあげようと思っていました

若い時からケチンボに生きて

貯金して借金しないで生きてきていたら

今頃はまさゑお母さんも然り

榮子お母さんにも孝行のかけらぐらいはできていたはず…

まさに『不徳のいたすところ』です

後悔したところで人生は一度きりやり直しはなし

悔しいです…

来年の母の日はまた辛いかと思うとやりきれないです

とにかく2011年は箒で掃いて飛ばしてやりたい!

こんな年はあと2か月だって我慢できないです

パパは絶対長生きしてと毎日祈っているけど

悪魔に対するセキュリティーをさらに強化します

負けませんよ絶対に!!