3年がたちました。都は干ばつです。
時間の経過とともに皆が少しずつ変化しており、
(以前と変わりなく)牛車から民の姿を覗き見た道長には立派な髭があり、
まひろも(貴族の女性らしく)市女笠をかぶっています。
賢子も成長してかわいい盛りです。
帝の雨乞いも不発で晴明に頼るというのは自然な流れですが、
ドラマは晴明の自在さ、言い換えるなら都合の良さを最大限に活用します。
実はもう80代の晴明は身体が持たないと渋り、
道長が自分の寿命を10年差し出すというと承知します。
この掛け金の上げ方が巧みで、重くあります。
かくして晴明の祈祷で雨が降る一方で、晴明はボロボロになり一気に老け込みます。
雨を降らせるにはそれほどの力が必要なのか、
なので晴明の道長の寿命さえ祈祷に費やしたのか、
そもそも晴明は他人の寿命さえ奪うことができるのか、
ならば晴明が若く見えたはそのせいか、想像が膨らみます。
枕草子が次々と書き写されることでドラマの一線を退いたききょうに代わり、
和泉式部ことあかねが登場します。
暑いなら薄着にすればいいし、いっそ裸がいいとか、朝まで親王が放してくれないとか、
なんとも奔放な性格ですが、この人も百人一首の「あらざらむ」の作者です。
だから、枕草子についても「別に」だし、
和歌の会で講師を務めるまひろが古今の詩歌の教養を踏まえてと大仰な指導すると、
あかねは途端に思うままに歌えばよいと反発します。
「あらざらむ」も死ぬ前にもう一度逢いたい(一晩過ごしたい)という真っ直ぐな歌だし、
なんとも大物ライバルの登場です。
前回、まひろが「源氏物語」を書き始めたかと思ったのは先を急ぎすぎ。
それでもカササギの話は評判で、物語作者を探していた道長の耳にも入ります。
なんという運命。
晴明の言う道長を照らす光となる存在が、
まさしくあの時、心の中に浮かんだ(はずの)まひろであったとは。
上手いなあ。
というわけで、今回の秀逸は、
今回の帝の雨乞いにしても自然な説明セリフならお任せあれな道綱と実資のコンビでも、
祈祷の声が美しい晴明がもともとラテンロックバンドのボーカルであったことでも、
越前には帰らなかった乙丸夫妻の仲良し水瓶運びでも、
意外なほど教育ママになったまひろと予想通りの甘々ジジになった為時でも、
どんなにジジが遊んでくれても母にかまってほしい賢子のまだ難しい年ごろでも、
女に学問はいらぬという父と弟に反発して一気に書いた
男になりたい女と女になりたい男のカササギの物語でも、
隆家の急接近に道長の優しさを心配してしまう行成のただの嫉妬でも、
久しぶりの道長の昔仲間4人の宴会に鳥串が並び誰が言い始めたか「鳥貴族」でも、
敦康親王とは遊ぶ帝が「定子に似てきた」と素直に喜んでいることを
そのままに受け容れている彰子の闇の深さでも、
今この時しかないとばかりに帝に直言する倫子を見て、
きちんと手続きを踏んで帝と接している道長がハラハラする中、
改めて言い放った「殿はいつも私の気持ちはわかりませぬゆえ」が示唆する、
倫子が道長を愛するゆえに気づいている、自分よりずっと道長と心が近い誰かの存在。
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