建築士だからわかる〇〇教えます

有機肥料と完熟度 有機野菜をつくっている農家さんのお話し -part25-


毎週土曜日は【援農の日】

私が援農させていただく理由は、安心安全な食べ物を確保するための知識を得ること、安心安全な食べ物をつくる人たちとの人脈をつくることです。


先週の土曜日は本業の打ち合わせでしたので、有機農家さんにお願いしてお手伝いは日曜日に変更していただきました。

日曜日の作業は乾燥させた鶏糞を4トントラックでたい肥場まで運ぶ作業。

4トントラックいっぱいに積んだ鶏糞ですが完全に乾燥された鶏糞ですので重さ的には実質3トンくらいでしょうか。


その鶏糞を全部で8往復、3トン/回計算で約24トン分をたい肥場へ運びました。

たい肥場にはすでに馬糞や野菜粕、木材チップが数年おかれた状態で山と積まれています。
そこに乾燥鶏糞を運び入れます。そして重機でそれらを混ぜ合わせながら保管場所を決めていきます。

攪拌されたたい肥は今後約3年ほど寝かせて完全発酵させるそうです。
鶏糞だけでも24トンでしたので、堆肥の総量は100トン以上にもなるのでしょうか?
しかしニオイはほとんどありません。
 
まだ一年目という馬糞のたい肥だけは醤油に似たニオイがありましたが、そのほかのたい肥はほとんどニオイはありません。
かすかに匂うその香りも乾燥した草のような香りです。

それらを数年後になりますが畑に撒き、トラクターで撹拌していく。
畑を耕し、種を植え、雑草を抜き、収穫し、出荷するだけでなく、土づくりから植えるまでの作業など本当に日々お忙しくされていることを知りました。
 
数十年前の有機農法黎明期には有機質であればなんでも畑に入れれば良いという風潮もあったそうです。
しかしひとがなま物を食べるとお腹を壊すようにたい肥も完全発酵していないたい肥は野菜を腐らせてしまったり収量を極端に減らしてしまったりしたそうです。
有機たい肥は完熟させることがとても大切だといいます。


次の作業は人参の種を撒く事前の作業
人参を植える際には種を植える前に畑を整形し、種を植える土の硬さを調整するために何度も畑を機械で行き来します。
人参の種は小さいため見えるか見えないかの深さに種植えがよいそうです。
雨が降っても流されず、芽が出やすいように植えることはとても難しいそうです。

私もそのお手伝いもさせていただきました。機械をまっすく動かすだけでもひと苦労です。
それを今回は約5000㎡、約5反の畑に行いました。私は余計な力が入ってしまったせいか腕の筋肉がパンパンです。


そして今週は先週攪拌したたい肥の確認作業を行いました。たい肥に手を入れてみると温度的には何度くらいでしょう、4~50度くらいでしょうか?発酵熱で熱くなっていました。


その後の昼食時には昔の八百屋さんの話を聞かせていただきました。
昭和4~50年頃には大手のスーパーマーケットなどはまだなく、野菜は八百屋さんで購入するのが当たり前の時代。
まちの八百屋さんは不揃いの野菜でも店主の差配によりどのようにでもできた、と言います。
形のよいものは通常の価格で、形の悪いものは籠でいくらと安く販売したり、まちで貧困で困っている方に安く提供したりしていたそうです。

4~50年ほど前は食べて行くだけで精一杯の家庭も多かったと、昔を思い出しながら話を続けます。
そして昔の八百屋さんにしても肉屋さんや魚屋さんにしても情けがあった、と続けました。

その後、大手スーパーが出現し、野菜も品質や大きさ、形など細かく指定され、そのスーパーに合った野菜でなくては売れない時代もあったとのこと。
いまでは大手スーパーがどこのまちにもできて小さな八百屋さんはひとたまりもなく潰れてしまったところも多いといいます。

最近というわけでもないでしょうけれども貧困家庭の話題がとりだたされることがありますね。
しかし残念ながら昔の商店街にはあった情けが今の大手スーパーなどにはなくなってしまった、と農家さんは言います。
大手スーパーでは形の不揃いな野菜を安く販売する、貧困家庭に安く提供するなんてお店は聞いたことがない、と。

その代わり子ども食堂とかが新たに出てきたり、公園で食事を提供してくれる機会なども増えてきましたね。

昔の商店街ではどこそこの家庭は〇〇の事情だからと、そっと手を差し伸べてくれる情けがあったと話は続きました。
「これ持って言ってやれ」とぶっきらぼうにいう店主。子どもたちのためにきちんと叱ってくれる店主。

私は残念ながらその時代の記憶はほとんどありません。しかし子どもの頃に国道沿いの肉屋さんで買い物するたびにコロッケをもらったり、トラックで野菜を売りに来ていたおじさんに可愛がっていただいた思い出があります。私の父は私が生まれるほんのひと月前にひとを助けようとして亡くなっています。当時としては片親世帯はとても珍しく、なぜかご近所のみなさんは私の父がいないことをみな知っていたように思います。母はそのような状況をどのように感じていたのか私には想像できませんが、学校の先生や商店街の店主、まちの消防団のお兄さんに優しくしていただいた記憶があります。


昔がよくて、現在がだめということではありません。ただ、なにかしら大切なものが昔にはあったようにも思い、その大切なものを現代にも生かせないかな、という思いもあります。

私は本業が建築の設計ですので、建築の分野でその大切なものはなんなのか、を考えていきたいと思いました。

ひと・すまい・くらし一級建築士事務所

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コメント一覧

hitosumai
@dankainogenki @dankainogenkiさん
コメントありがとうございます。下肥のことと思います。
昔は大切な肥料と聞いたことがあります。

一方、現代人は添加物などの多い食事をしておりますので現代人の人糞は土にどのような影響を与えるのでしょうね。
どなたか研究されている方がおられると面白いと思うのですが。

コメントありがとうございます!!
dankainogenki
昔、田舎暮らしの時は、畑に深く穴掘りして、
汚水(下)を流して土をかぶせて畝にしてました。
半年たてば、肥料になっているので、野菜を植えてました。
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