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別冊「バビル2世」マガジン

「バビル2世」のコミックス&アニメその他を中心に、オールドファンがあれこれ語ります。

罪と罰「鉄人28号 白昼の残月」

2008-06-10 22:33:17 | アニメ作品
注・ネタバレを含みます。気になる方は、鑑賞後にどうぞ。


「鉄人28号」が、あまたあるロボットものの中でも特異なのは、「いいも悪いもリモコン次第」という点だと断言してしまっても、さして反論は出ないと思う。
これこそは、他の作家の追随を許さない横山光輝の独壇場である。
ようするに鉄人は「ただのマシン」である。操る人間の属性が善であるか、悪であるかによって、その姿はまったく違うものになる。
後年のロボットアニメを見渡してみても、主役ロボット(や、乗り物)が敵の手に渡って主人公達を攻撃する作品など、ほぼ皆無である。
瞬間風速的に特定エピソードの中に現れることはあっても、それが重要な基本設定などということはあり得ない。

こうした設定は、他の横山作品でもしばしば登場する。それを最も突き詰めたのが、実は「バビル2世」における「3つのしもべ」ではないか。
彼らは、敵であるヨミのテレパシーにも従ってしまう。だからバビル2世は、ヨミが近くにいる場所では、危なっかしくて3つのしもべを使えない。なんせヨミにかかれば、ポセイドンもロプロスも一気に「大量破壊兵器」「殺戮兵器」に変身してしまうのだ。
(F市でポセイドンのレーザー光線に焼かれた自衛隊員、あわれ)

もともとは作者自身が、「これじゃバビル2世が強すぎる。ヨミは独り身なのに、バビル2世は3つもしもべを持っていてズルイ。ということで、ヨミも操れることにしよう」と考えた末のことらしいが、こんな設定をさっさと実行してしまう横山光輝はつくづく凄い。
はっきり言って、並の作家ならまず出来ないと思う。心情的に出来ない。主人公の大切な大切な存在を、敵でも味方でもない、油断のならないものにしてしまうなど、とてもじゃないが辛すぎる。
だからこそ東映動画版アニメでは、最終回(第26話のこと)になってやっと「3つのしもべの反逆シーン」が出てくる。
純真な子供達にとって、ポセイドンやロプロス、何よりロデムが、ご主人様に襲いかかるシーンなんてものすごいショックだ。
でも、横山光輝はやってのけた、涼しい顔で。この、全てを突き放したような冷徹な視点こそ、「バビル2世」のハードボイルドな世界観の底を流れるものである。

鉄人は、ただの機械である。そこに「なんらかの絆」を感じ取るのは、操縦する人間の心情が投影されたものに過ぎない。私は、「鉄人28号」の原作を読むたびにそう感じてしまう。
金田正太郎少年にとっては、「敵の手に渡ってしまえば、こいつも敵」というマシンである。中坊どころか小坊のくせに、このひたすらなクールさはどうだろう。バビル2世にそっくりだ。
バビル2世もまた、忠実なはずのしもべがヨミに操られても、結構平然としている。さすがに「ロデム、お前までが」とは言ったけれど、別にココロが傷ついたふうでもない。
(だから、3つのしもべを「友」と表現している「その名は101」の1シーンには、少し違和感があった)

前置きが長すぎた。
この「鉄人28号 白昼の残月」は、横山作品のエッセンスを余すところなく料理した「今川風味」の鉄人料理である。
(今川焼き、なんていうオヤジギャグはやめとく)
鉄人は、それ自体が善も悪もないただのマシン─それを敷衍して、鉄人自身の「罪と罰」を描きだしていく。
鉄人28号は、そもそもが「大量破壊兵器」であるという暗い出自を持つ。どんなに格好良くても強くても、所詮は軍隊のために作られたマシンである。
大いなる「罪」には、必ず「罰」が伴う。罪を贖うことなしに、前へ進むことは許されない。

主人公の金田正太郎少年にもまた、「罪」がある。後から来て、異母兄の存在意義を全て奪った。鉄人操縦者の資格はもちろん、おそらくは父親の愛情さえも。
(バビル2世とヨミ、そっくりではないか)

ショウタロウもしかり。南方の孤島に取り残されて10年。日本に帰り着くために、ベラネード財団に擦り寄り、鉄人の情報を、ひいては日本そのものを「売った」。
母親の月枝に至っては、愛する男ために次々と罪を重ねる。息子に対して「おめおめと生きて帰ってくるとは!」と罵倒し、皇国の母っぷりを見せつける。

しかし、彼ら全てに「罰」が待っている。
正太郎の心に、生涯消えぬ懺悔の思いを。
月枝は、本心では息子を待ちこがれていたのに、結局先立たれてしまうことになる。だから、心の迷宮に逃げ込む。
そしてショウタロウは、父親たち─ある意味、戦争を引き起こした者たち─の罪を贖うために天空へ飛び立つ。

罪と罰。これは今川監督作品に共通する思想であると思う。あのGR・OVA版の最終話も「罪と罰~すべてはビッグファイアのために」だった。
人類の歴史は、愚かしい罪の連続である。それに目を背けては、決して前へは進めない。そう語っているようだ。

作品中、ショウタロウが「こんな日本が大嫌いなんだ」と叫ぶシーンがある。偽傷痍軍人が物乞いをしている場面で、腹立たしげにそう叫ぶのである。
実は、04年制作のTV版でも何度か出てきたセリフである(らしい)。
何となく今はやりのアニメ「コードギアス・反逆のルルーシュ」っぽい感じというか、「属国・日本論」的空気を感じさせるセリフにも思える。が、それは読みが浅すぎるだろう。
そうではなく、自らの「罪」を見つめようとしない「日本」が大嫌いなのだ、と今川監督は叫んでいるのではないか。

善でもなく、悪でもない。ただ、それはそこに存在するのみ。だからこそ、それを操る者たちの有り様が、常に厳しく問われるべきだ。
日本という国家がかつて犯した「罪」、そしてそれに対する「罰」。それを、鉄人28号という架空の巨大ロボットにまつわる物語として描き、素晴らしい娯楽作品に昇華してみせた今川監督の手腕はさすがであると思う。
そして、それを可能にしたのは、「いいも悪いもリモコン次第」という巨大ロボットを生み出した横山光輝である。

横山光輝の掌の上で、ひたすら遊ばせてもらっている。
今川泰宏本人は、多分そんな風に自覚していることだろう。

(※文中敬称略)


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