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監督日記

試合の本当の“速報”また私から見た部活動の様子をライブで発信いたします。

過去ログから5

2012-10-31 08:49:44 | 過去ログから
今日はハロウィンだそうで
過去にハロウィンについて書いた事があったので
ブログにアップしますね。

ハロウィーンだってさ(2007年に書いたもの)

今日は、ハロウィーンだそうですが、私は子供の頃からそんな習慣がなく育った為、
あまりピンときません。

しかし、ちょっと興味を覚えたので、ウィキペディアを使って調べてみました。

ハロウィーン (Halloween) は、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる、
英語圏の伝統行事。

諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、
Halloweenと呼ばれるようになった。

ケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたものとされている。
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、
精霊や魔女が出てくると信じられていた。

これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。

家族の墓地にお参りし、そこで蝋燭をつけるという地方もある。

墓地全体が、大きなランタンのように明々と輝く。

日本のお盆の迎え火、送り火にも似ているかもしれない。
ただ、これに合わせて欧米では、放火事件などが頻発する。

これに因み、31日の夜、蕪(かぶ)をくりぬいた中に蝋燭を立てて
「ジャック・オー・ランタン」(お化け蕪)を作り、
魔女やお化けに仮装した子供達が「トリック・オア・トリート
(Trick or treat. お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」
と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねる。

家庭では、蕪の菓子を作り、子供達は貰ったお菓子を持ち寄り、
ハロウィン・パーティーを開いたりする。

とまあ、こんな感じの行事です。日本ではいずれ仮装パーティーとかするようになるのですかねえ。

イベントが多いのにも困りものですが。
ちなみに植木と青木はいつも仮装しているように私には見えるのですが(笑)


※佳織は絶対仮装すると思うな(笑)
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過去ログから4

2012-08-09 08:53:09 | 過去ログから
「忘れられない夏」2009年の話 

2006年の話
8月3日(木)の午前中の診療時の事。

窓際でカルテを書いていると窓の外から
今年作った剣道部T-シャツを着た6年生1人が
3号館からこちらの建物に向かって歩いているのが見えた。

珍しく眼鏡をかけていて、右手には竹刀を左手にはかばんを持ち、
ゆっくりとこちらの方に歩いてくるのが見えた。

顔には笑みは無く、むしろ少し緊張しているように感じられた。

“ああ、いよいよ出発の時間かあ”ってその6年生を眺めてたら、
急に2年前の出来事が頭をよぎった。

忘れもしない2年前。2004年の茅ヶ崎デンタル。
デンタル直前での2名の緊急入院。

試合では怪我による部員2名の救急車搬送。
今考えてもあの夏の大会ほど予期せぬ出来事が多かった大会はない。

その6年生こそ救急車で最初に搬送された人物だった。
忘れもしない個人戦の1回戦それも1番目の試合。

尋常じゃない倒れ方をして、それっきり起き上がってこない。
観覧席から彼の元に辿り付くまでにどうか軽い怪我であって欲しいと願ったが、
彼の表情を見た瞬間にそれが無理な願いである事を悟ってしまった。

そして救急車前で彼のお父さんと初対面。
どちらとも何ともいえない空気が漂っていたのを今でも憶えている。

彼は当時、主将。
すべての重圧が一気に彼の足に圧し掛かってしまった。

“神はこの剣道部にまだ試練を与えるのか”と
これほどまでに神を呪ったことはこの年ほどない。

“早く、この場所から去りたい。”
“早く来年になりたい”と、もう一度、リセットして早く来年の大会に臨みたいと
試合中ずっと思っていた。

当然、彼はそれ以上に悔しかったと思う。
後で聞けば搬送中の救急車の中で悔しさを堪えきれず、大泣きしていたそうだ。

我々は、“彼のために”という合言葉を胸に女子団体は3位。
公式団体は優勝チームに“あわや”と云う所まで追い込み、
ベスト8という成績を収める事が出来き、一人抜けたとは言え、
彼の一年間の指導力がいかに素晴らしかったかという答えを導き出した。

打ち上げで当時1年生の部員が“今日チームが負けたのは僕のせいです。すいませんでした。”
とボソッと僕のところに来て言った言葉を今でも憶えている。

私は何を彼に言ったかどうかは今となっては思い出せないが、
何かしら奮起を促した事は憶えている。

打ち上げはすざましかった。主将の挨拶に“私はこの大会、全く活躍できませんでしたが、
他の部員が活躍してくれた事で私の一年が意味があった事を嬉しく思い、部員に感謝します。”
という言葉に思わずもらい涙をもらってしまった。

さらに2次会のカラオケはもっとすざましいものになった。
現役部員のほとんどが泣き、怪我をした彼のそばからくっつき離れないで
泣いている光景は今でも忘れられない。この光景こそが私にとってまさしく
“忘れられない夏”であった。

その時の1年生が今や6年生。
あの時の事、まだ憶えてますか?そしてあの気持ち忘れていませんか?

最後の夏です。
忘れられない夏パート2が今始まる。

※デンタルは何があるかわからない。
2006年優勝写真
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過去ログから3

2012-08-08 17:07:58 | 過去ログから
その男最強につき

面を外した瞬間、周りから“ふぅー”という音が彼の耳に聴こえてきた。
その瞬間、彼は大きなショックを受けた。

それは溯る(さかのぼる)事、5年前の話。

意気揚々と愛知から上京してきたその青年は、子供頃から慣れ親しんだ
剣道を大学でも行うべく、剣道部の門を叩いた。

クラブガイダンスも終わり、あらかじめ防具を東京に持って来ていた彼は、
最初の練習から自信満々で参加した。

練習が終わり、面を外した時に、彼の耳に期待外れの様な声に
近い溜息が聴こえて来たそうだ。

正直、ショックだった。

決して強豪校ではなかったが、曲がりなりにも、中・高校と主将を経験し、
チームの中心人物としてその存在を遺憾(いかん)なく発揮していた彼だったが、
その思いとは全く違う反応が起きたのだった。

実はこれには少々裏話がある。
“忘れられない夏”に書いたように我々は2004年夏のデンタルで
まさかの大事故に見舞われた。

あの夏は戦力が整い、手ごたえのあるチーム編成が出来ていた。
無論、優勝も狙えるチームだった。

とくにそのチームの大黒柱(6年生)の存在が大きく、
彼をチームの中心としてオーダーを組んでいた。

それがあの事故で歯車が大きく崩れたのだった。

翌年、その後釜に入ったのが彼だった。
さすがに18歳、大学で6年間揉まれた人間と比較するのが正直、酷な話である。

しかし、彼はあきらめなかった。練習後または空いた時間を見つけては
体力やスピードをつけるべく、家の周辺を走った。

いわゆる自主トレだ。素振りもした。ただ、先輩たちに見返してやると云う気持ち
一つで。

そんな思いから始まった彼だったが、気付けばいつの間にやら剣道部史上(おそらく)、
最高の勝数を上げてくれた。

39戦26勝6敗7引 勝率0.813

今回も大活躍。
予選リーグ5戦全勝。

彼のおかげで無事予選通過出来た。
いなかったらゾッとする。

彼はこの剣道部でも存在感を遺憾なく発揮した。

この記録を抜く男は出るのか?
しばらくは“最強の男”と呼ばせてもらおう。

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過去ログから1

2012-06-13 08:23:10 | 過去ログから
雨ばっか降って嫌な天気が続きますね。
この天候一か月は続くそうなので、あきらめて
楽しく行きましょう♪

ちなみにもうすぐ関東医歯薬獣の写真をアップしますので
少々お待ち下さい。(もうすぐだから)

さて日曜日に高橋(旧石塚)先生主催の
女子会が行われると聴きました。

“俺は誘われてないなあ”って言ったら
“女子だけですから”と切り返されました(笑)
(毎年このセリフ言って毎年このセリフで切り返されている。)

世代が変わっても彼女らの共通の話題の中の一つに必ず監督が
いるのだから参加しても良いのかと勝手に思ってました(笑)

日曜日10数名の女子が御茶ノ水に集います。
盛会な会になる事を期待しております。

さて主催される高橋先生ですが、今年第二子がお生まれに
なられました。

おめでとうございます。

産後なのでしばらくは大人しくするのかと思いきや
仕事を開始し、新歓も来たり、そして女子会を開いたりと
相も変わらず精力的な日々を送っていますね。

ホント偉いね。

そんな高橋先生の事を書いたブログがあります。
こんな人柄だとわかってくれると嬉しいです。
どうぞお読みください。

高橋先生(2008)


いつもは一次会で帰られるのに、今回は二次会まで付き合ってくれました。
ありがとうございます。
今回はじっくり話せましたね。

何かふと、先生の学生の頃を思い出しました。
男に負けたくない一心で初心者なのにがむしゃらに剣道をしてましたね。
女性には失礼な表現ですが、先生の剣道は猪突猛進で我々に常に強気で
ぶつかってきました。

剣道が強くなるためと聞けば、日曜日に難波先生の通う道場に行っては稽古をし、
朝練をやっていると聞けば、お兄さんの所属する東京医科歯科大で練習したり
と本当に男勝りの練習量でした。

その練習量が身を結んだのが、彼女が5年生の時のデンタル。
あれよあれよと勝ち続け、女子団体3位を収める事が出来ました。
快進撃はさらに続き、6年でも2年連続の3位を収める事が出来ました。
この3位になった時のオーダーは、メンバー3人とも初心者からスタート
した部員3人という快挙つきです。

弐段、参段、四段がそろっている今の女子部員とは違うんですよ。
意味合いや価値が。

今は、剣道から歯科治療にシフトして、一児の母親でありながら、
週5日の診療日。それも朝9時から夜10時まで診療しているそうです。
“今そんなに出来るモチベーションって何?”って聞いたら
“男に負けたくないから”って答えが返ってきました。

脱帽です。
剣道は卒業してから7年してないって言ってました。
またやりませんか?
とりあえず、いつか私の腕の中でぐったりして倒れた、
かかり稽古でもして(笑)

またのお越しをお待ちしております。


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