富士と女優

美しいものを見て感性を潤いたいな。

今日の富士山

2023-10-18 15:41:34 | Weblog

  

オクラの花🏵️

 

富士山検定
  模擬問題(歴史に関する問題)

  第1問 静岡県富士郡芝川町で発見された、縄文時代草創期のものと思われる
      遺跡は?

    ①登呂遺跡 ②浅間遺跡 ③大鹿窪遺跡 ④千居遺跡




   ……………………………………………………………………………………


    正解 ③の大鹿窪遺跡(オオシカクボイセキ)
    
    富士山のあゆみ
    旧石器・縄文・弥生・古墳時代
    氷河期の末期にあたる旧石器時代の遺跡から、富士山周辺に人々が
    活躍していたことを示す石器が見つかっている。
    しかし石器の多くは富士山の火山灰や溶岩の下に埋没していると
    考えられており、詳しい生活の様子は分かっていない。
    およそ1万2000年前からはじまる縄文・弥生時代は、富士山が数多くの
    噴火を繰り返していた時期と重なる。
    富士山周辺では、渓流や泉のほとり、丘陵、台地などを中心に竪穴住居
    などの縄文遺跡が数多く発見されており、古くから多くの人が定住して
    いたことがうかがえる。
    中でも、2002(平成14)年、静岡県富士郡芝川町で発見された「大鹿窪
    (オオシカクボ)遺跡」は、縄文時代草創期の大規模な定住集落として
    注目されている。集落には住居跡と考えられる竪穴状遺構や、石を集め
    て料理をした跡と思われる集石遺構、祭りをした跡と思われる配石遺構
    などが発見されており、ある期間人々が定住したと考えられている。
    また、山梨県富士吉田市の池之元(イケノモト)遺跡でも、縄文早期と
    いわれる今からおよそ8400年前の土器片が発見されている。
    このほか、富士山と縄文時代の人々との関わりを知る上で重要な遺跡と
    しては、静岡県富士宮市にある千居(センゴ)遺跡があげられる。
    これは1970(昭和45)年、富士山西麓の大石寺(タイセキジ)丘陵上
    の古富士泥流層から発掘された東西、南北ともに50メートルの縄文時
    代中期から後期にわたる大規模な遺跡である。
    巨石を富士山に向けて一直線に並べた配石遺跡が見つかっており、この
    時代から富士山を祀っていた様子がうかがえる。1975(昭和50)年、
    国の史跡に指定される。
    また、古墳時代の遺跡としては、静岡県富士市の浅間(センゲン)古墳
    が有名である。これは古墳時代中期と指定される前方後円墳で長さ
    およそ100メートル、後方部の幅がおよそ60メートルもある大規模
    なもの。1957(昭和32)年、国の史跡に指定されている。
    
〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著2006年発行から

  

 

 

 


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