ミニバスで郊外のゴンパ見学へ行った
<ミニバス・スタンド付近>
先にティクセ・ゴンパへ行き、レーへ戻りながらシェイとチョグラムサルへ寄った
<ティクセ・ゴンパとその周辺>
道路を挟んだ奥に緑と小川がある
郊外のゴンパ見学は交通アクセスが全体的に悪い
他は泊りがけで行くか、車をチャーターするしかないようだ
費用と日数もかかるので他はパス
特に遺跡に執着しないので、見学はこの程度で良いでしょ
<シェイとその周辺>
道路手前に池がある
釣りが出来ないか確認したが、浅すぎて出来そうもなかった
荒涼とした山肌と緑地が対照的だ
レーには1週間ぐらい滞在する予定だったが、4日ほどで切り上げた
次の行先はマクロード・ガンジだが、予定に余裕が出来たので、シェリナガル経由を検討した
が、イラン行きの日程が決まってたので、強行せず断念した
つぶやき・・・・
AM5時にローカルバスでレーを発ちマナリーへ向かう日
早朝まだ暗い中、宿を出、バス・スタンドに向かって歩いてたら、1匹の野良犬が寄ってきて吠え出した
持ってた袋にはバナナ・パンなど食物が入ってる、目当てはこれだ
そうこうする内に犬の数が増えだし10数匹に囲まれてしまった
立往生してると、後ろから車が近づいて横で停まった
助かった
1匹目の野良犬が近づいてきた時に、食物を投げ捨てればよかったと後で強く反省した
深夜2時ごろマナリーを出たミニバスはレーに夜9時ごろ着いた
乗ってたバスは大分遅れ、3台中最後に到着した為、客引きやタクシーが殆どいない
宿を交渉する余地もなく、夜も遅いので、同じバスに乗ってた日本人女性と共に、とりあえず宿を取った
<レーで最初に目に付いたのがこのモスク、チベット系の町だと思ってたが意外にイスラム系も多い>
翌朝早速、WiFi付きの宿に移った、シーズン中なので宿代は500ルピーで高かったがロケーションはいい
相変わらずWiFiの繋がりは悪い
<次に目に付いたのが、丘の上の旧レー王宮>
WiFi付き宿は少ないと聞いてたが、幾つか宿をあたったところ、WiFiは殆ど付いてた
但し庭だけでしか使えないとか、条件付が多いようだ
<メイン・バザール 通りは工事中でゆっくり歩けない>
チャング・スパ通りを上がるとオールド・マナリーのような町並みがある、欧米系ツーリストが多く、カフェやレストランが多い
更に奥に行くと安宿もあるらしい
<オールド・レーの路地坂を上った
先には王宮がある>
毎朝、朝食を欧米人が多いチャング・スパでとった
やはり朝食はパンと卵とコーヒーがいい
乾燥した道路、車が通るたびに砂埃が舞うなか、外テーブルで食事をしてるツーリストが多い
全体に観光依存が強く、ツーリスト向レストランは多いが、地元食堂が少ないのが残念だ
<王宮のある丘からの眺め>
素朴なレーを期待してたが、個人的には期待はずれが大きい
オールド・レーは活気がなく、地元民の生活を垣間見ることは少なかった
<街は坂が多いので遠くに屋根が見える>
つぶやき!
メイン・バザールの外れの小さな店で、前から欲しかった薄手のダウン・ジャケットが、店員言い値の650ルピーで売ってた
交渉すれば少なくとも500ルピーまで下げられるだろう
デザイン・サイズ共に気に入ったが
すぐには売れないだろうと思い、後日(レーを発つ日)店へ行ったら、この店だけ閉まってた
非常に後悔してる、東京に戻っても偶に思い出す、残念だ
今冬、1番欲しい衣服は薄手で小さめのダウン、小柄な僕にはサイズもピッタシだった・・・
ハンピ(ホスペット)から夜バスでハイデラバードへ移動、翌朝着
この日の夜列車でデリーへ移動
ハイデラバードはイスラム色の強い都市だが、特に見るところは無いようだ
ハイデラバードのシンボル、チャール・ミーナール
周りの町並みはかなり古い
トラックにカメラを向けたら、清掃のオッチャンが俺も撮ってくれと構えてくれた
夜10時、デリーまでの2等3段寝台・約30時間の列車旅が始まった
2等寝台車は絶対に2段がいい、上下独立してるので他人が潜入する機会が少ないし、中で座っても天井に頭が付かない
実は、今回も2段寝台にしたつもりだがマドゥライの旅行代理店がごまかしたようだ
This is India
<写真はオールド・マナリーの街角>
マナリーが他のインドの町と違うのはビールがキンキンに冷えてることだ
日本人にとってはキンキンにうれしい
列車に30時間も乗ってるといろんな人が入ってくる、飲食の心配は全く無いが
様々な乞食が停車するたびに入れ替わり入ってくる、当たり前のように強引な乞食もいる
中には、部屋の掃除をしてくれたので列車側のサービスだと思ってたら、後で金を請求された
ごみは基本的には窓から投げ捨てるのが常識
慣れたもので、遠くの席からでも旨く投げる
列車はニューデリー駅ではなく別の主要駅に早朝着、近くのメトロ駅までリクシャで移動、それからニューデリーまで移動した
メイン・バザールの旅行代理店で今夜のマナリー行きツーリストバスを予約した
夕方、代理店にリクシャでピックアップに来てくれたが、バス停に着いたらリクシャの運賃を要求された
そのような説明は受けてないし、当然チケット代に含まれてると思ったから払わなかった
次に荷物預けると、1個につき20Rs言われたので、これも断って車内に持込んだ
僕の荷物は小型パソコン含めても7Kg以下なので車内や機内へ持ち込むことが容易だ
その後、席に着いたら追加で200Rsを要求された、1人バランスだとか?、当然事前説明を受けてない、頑なに断った
マナリーに早朝到着、予想してたバススタンドではなく町外れの空き地に到着した
オールド・マナリーへトゥクトゥクで移動、600Rsといわれた宿代を300Rsまで落とした
しかし部屋を入ってびっくり!300Rsは安すぎる、申し訳ないと思った
そこで朝食と夕食はこのGHのレストランでとることにした
<マナリーの女性は強い、左上の5~6人の男達は座って休んでた>
宿泊したGHにはアメリカ人が主のように居座ってた、日本で言われる沈没中だ
2Fのレストランに行くと必ず主がいる、当然アメリカ人だから陽気で気さくだ
人目もはばからず、いつもマリファナを吸ってる、ここマナリでは道端にマリファナが普通に雑草のように自生してる
<ニュー・マナリーのメインストリート>
長距離バスターミナルがある
オールドマナリーは欧米人向けの街だが、ここはローカルな店も多い
温泉のあるヴァシシュト
宿代が更に安いそうだ
オールド・マナリー 裏山の散策
日本の山路と似てる、こちらはヒマラヤスギだ
途中の村によりながら
釣り場を探しながら
この川で釣りをしたが激流で全くダメ、近くでは地元人が餌で釣ってた、ルアーでは流れが速すぎる
木材を運ぶ親子?に遭遇した
ハードロック・ヘビメタが大好きな60代の旅人
お金はないが、時間はある
だから1回の旅に少なくとも1カ月はかける
ローカルなふれ合いの旅を求めて
<記録>2012年4月から本格的な旅を始めました
東南アジア 2012年4月6日~5月9日
タイ→カンボジア→ベトナム→ラオス→タイ
中国 2012年6月26日~7月23日
上海→雲南省→桂林→杭州→上海
ネパール・北インド 2013年1月10日~2月7日
マレーシア→ネパール→北インド→マレーシア
番外・トルコツアー 2012年10月
沖縄・那覇1ヶ月滞在 2013年6月16日~7月16日
シルクロードの旅
2013年9月16日~10月23日
中国・新疆ウイグル地区→中央アジア(キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン)→トルコ・イスタンブールスリランカ・インド・イラン 2014年7月3日~8月19日
スリランカ→南インド→北インド(マナリ、レー、マクロード・ガンジ)→イラン
待望のイランギャルとの2ショット成功!
ハンピにはATMがない、バスでホスペットに行きそこでATMを利用した
川向こうにも別のハンピがある
農道を歩いていると、3人の子供たちにあった
女の子が頭の上で何か運んでる
先に行ってた子供たち
荷物を落としたようだ、中身は米のようだね、悲壮感は全くない、明るいね
奇妙な田園光景が広がる
オジーちゃん、直立で撮影に協力してくれた
岩石群の中に田園が横たわる、農家の営みを垣間見れる
家族でご飯かな!
田んぼと岩のコラボは続く
羊使いの小僧に遭遇、撮影協力有難う
黄金色の田んぼも一部ある
こちらのオバチャン?も立止ってくれた
デカ!
最後は女子の無垢な眼差しで~す