『部内教会・布教所の設立』
【部内教会】
1、初日出(はつひので)分教会《福山市今津町361-7》
大正13年12月24日、御調宣教所の部内として梅林宣教所が設立されたが、昭和5年5月、初代所長が出直し、或る事情で事情教会に。
昭和9年、廣中宣教所の部内へ所属変更され、復興の運びとなる。
後任所長には、廣中の教師で長年役員を務めた村上卯太郎の孫、村上卯一が選ばれ、昭和9年10月26日、理のお . . . 本文を読む
【元一日】 第3章
明治43年、9月9日
天理教北大教会 尾道分教会 鷺島支教会 廣中宣教所設立
《設置場所》 広島県御調郡中庄村294番地
初代所長 岡本 スノ
役員 村上 卯太郎
田頭 槌平
村上 岩吉
宮地 卯助
信徒数 113戸
明治44年3月13日 設立奉告祭執行
宣教所設立後も教勢は島内を中 . . . 本文を読む
【元一日】 第2章
その後も岩松を中心とした中庄の信仰は、地道にではあるが発展していった。
しかし、岩松の家族五人の生活は「赤貧洗うが如し」の日々が続き、そういった家族姿に岩松自身の心が耐えられなくなったのか・・・、また支講元として多数の信徒の先達として、自分の信仰に一つの限界を感じたのか・・・
明治35年、岩松は岡本スノに信徒の世話を依頼して、再び大阪へ働きに出たのであっ . . . 本文を読む
【元一日】第1章
明治20年 大阪で入信した柏原岩松は、明治22年 故郷の中庄(因島)に帰り布教を始めた。
一方、明治21年に心臓の病から入信した岡本スノは、天地組25番講に席をおき鷺島を中心に布教していた。
この二人の布教師による二つの道が、やがて一つの道となり、
廣中分教会の設立へと向かっていったのである・・・
明治20年、大阪で働いていた柏原 . . . 本文を読む