ひろひろブログ

日々のくらしの出来事や感じたことなどを取り止めもなく書いています。

政策勉強会

2016-02-29 23:42:05 | 日記
昨日は1月から参加している政策勉強会の集まりがあった。
今回は北陸新幹線の敦賀以西ルートと。それに伴う湖西線の並行在来線化の問題。
これは結果いかんによっては地域の浮沈に大きく関わってくる非常に重要な問題だ。
しかし、メンバー全員の違和感はこの問題に対して滋賀県の関係自治体がコメントを出さないことだ。そして、市議会で議論されないことだ。
これは市の将来に関わる重要な問題。しっかりと議会で議論し、市長を通して市民に説明し市民世論を盛り上げていく必要がある。
皆んなで考えるべき問題だ。
将来、市はどういう方向に向かうのか、どこに至るのか。そして、それに近づく為には何をすべきなのか。それが今、市議会が議論すべき最も大きなことだ。
そして、このことで市民の一体感も生まれるのではないのか。
皆んなで共に考え、共に市の将来を考えていくべきではないのか。

2016-02-29 00:07:37 | 日記
今乗っているトヨタのオーリスが今年9年目の車検を迎える。
9年目となるとそろそろディーラーからは買い換えたらどうだすか?という話が出ている。
買った頃は独身だったのが、いまや子どもが2人。
家族構成も全く違う。生活パターンが違えば車も変わる。
田舎で1人1台という地域。家内の車は小型のファミリーカーなので、自分は小さな車で良い。
ただ、政治関係の仕事などで出かけることも多いので走る車が良い。
個人的には昔からワーゲンに乗りたいと思っている。例の排気ガスソフトの問題からイメージがあまり良くないが、昔からの話だから乗りたいのは変わらない。
クロスポロがなかなかカッコ良くコンパクトで良いなと思っている。
さあ、しかしお許し(笑)がでるかどうかはまた別の話だ。

TODOリスト

2016-02-26 00:04:08 | 日記
仕事、副業、地区の役員、政治などなど日頃からいろんなことに携わっている。
充実はしていると思うが、逆に言えばやることが多すぎて管理が大変だ。すぐやるべきことが漏れてしまう。
対策として、最近TODOリストのアプリを使い始めた。todoistというアプリでiPhoneやandroid、Windows、Macとさまざまな環境で使える優れものである。また複数の環境で情報が自動連携されるのも良い。
パソコンで入れたタスクをiPhoneでちょっと確認というのもよくやる。
これを使い始めてから、かなり漏れが減った。
良い出会いに感謝である。

将来の街に向けての思い

2016-02-23 00:19:33 | 日記
Uターンで地元に帰ってきてから、街づくりや地域活性化に向けていろいろとやりたい事が多く出来る限りアイデアを出しながら積極的に関わっている。
帰ってきた当時は、思いは強いものの何から手をつけて良いか分からずもどかしい日々を送っていたものだ。しかし、周りの人は見ていてくれたようで、いつの間にか若手の中で将来地域を担う中心的な立場になるだろうと思って頂けるようになってきた。
地域、そして市域、県域の活性化に向けていろいろやりたい事はたくさんある。アイデアを実現していくには将来のビジョンを明確にして、緻密な計画に基づいて行うことが必要だ。
当然、こういう問題は政治の力を使うことも重要なことだ。
いろんな人が自分に期待してくれるし、温かく見守って頂ける。いろんな人の力を借りて、皆んなで共に地域を良くしていきたいものである。

原発再稼働

2016-02-20 23:25:22 | 日記
原発の再稼働がなし崩し的に進められようとしている。既に九州電力の川内原発は再稼働されたし、関西電力の高浜原発も現在再稼働に向けて準備が進められている。
東日本大震災で福島第一原発が大規模な事故を起こし、現在でも収束の見込みは立っていない。
36万テラベクレルという膨大な放射性物質の流出は未だに続いており、とてもオリンピック招致の際に安倍総理が述べた「アンダーコントロール」には程遠い状態である。
そういった中、確実な安全策が講じられることもないままに再稼働させることには違和感を覚える。
設置地域の経済効果、原子力技術の維持目的などいろいろと理由はあるのだろうが、ひとたび事故があれば、多くの人命に関わる。
また放射性物質は目に見えず、半減期が例えばプルトニウム239のような2万4千年と非常に長いケースもある。そうすると一度事故が発生し土地が汚染されるとほぼ住めない場所にならざるを得ない。
また、高濃度の放射性廃棄物をどこに保管し誰が管理するかという問題もある。
さまざま問題を持つ原発について、改めて将来的に国家として原子力政策がどこを目指しているのか、安全性、事故の際のリスクや経済的損失などさまざまな視点から再度見直すべきではないかと考える。