先回の自動車運転免許更新の時、今までの眼鏡等の使用条件が外れて裸眼でOKになった。
20歳で免許を取った時からメガネの条件が付いていたが、45年ぶりに近視が改善したのである。
小中学校で1.5あった視力は、高校に入った頃から急速に悪くなり始めた。そして席替えで後ろ
の席になった時に、とうとう黒板の字が見えなくなってメガネを買って貰った。その後たちまちメガネ
が合わなくなって度が進んでいく。掛け始めた頃は珍しさも手伝って、常時メガネを掛けていたが、
運動の時などのわずらわしさもあって次第にうっとうしく思うようになり、教室以外ではほとんど外す
ようになり、ぼんやりした視界のまま裸眼で生活するようになった。多分それが良かったのであろう。
それ以降「度」が進むことは無くなった。以来黒板の字を見る時、車を運転する時、映画を見る時
(字幕が読めないから)以外はほとんどメガネは掛けたことはない。
ではなぜ今回近視が良くなったのか?年を取って来たから老眼寄りにズレたのか?そうではない。
今でも新聞や本はメガネなしで30センチ以内で読んでいる。今思うに半年前に「視力回復法」
という本を買って、多少でも目の運動と訓練をやったことが良かったのではないかと思っている。
「近視はメガネを掛けるから悪くなる」、これは私の持論である。それが証拠にメガネを使わない人
で0.3以下の人を知らない。私の周りにも近視の人は多い。今日はその本に書いてあったことを
要約してみることにする。
今近視は眼科では健康保険も適用される病気である。しかし保険診療で視力の測定とメガネ
の処方は点数になるが視力の回復は点数にならない。したがって医者は視力の回復を図っても
お金にはならない。だからそんなバカなことはしない。メガネ屋は視力を回復されたらメガネが売れ
なくなる。だから行けば必ず「目にあったメガネを使わないと、ますます視力が落ちますよ」と言う。
そして度が進む都度メガネを買い変えることになる。メガネ屋の思う壷である。目が悪くなるのは
メガネを掛けるからである。メガネをかけなければそれ以上に「度」は進まない。これは真実である。
だから私のようにはっきり見えなくても「良し」とするか、それとも回復訓練をやれば良いのである。
日本人は近視が病気と言う認識が無い。しかし近視は病気なのである。だから合併症がある。
緑内障、網膜剥離、白内障は近視の合併症である。近年失明原因のトップが緑内障になった。
それは近視が多くなったことに起因すると言われている。目の構造を例えて言えば、眼球は眼底
から水風船をつるしたようなものだという。いつも近くばかりを見ていたり、うつむいて物を見ていると
次第に眼球がラグビーボールのように延びてくる。1㎜~2㎜と伸びると、やがて網膜はく離の原因
になる。また眼球が伸びることで屈折率が狂ってくる。現代人は近くばかりを見て生活するから、
ピントを合わせる筋肉ばかりを使い、眼球を動かす筋肉は使わなくなるから筋肉のバランスが悪く
なる。そして眼軸を正常な位置に保てなくなる。そんな風に、近視とは眼球を動かす筋肉障害、
それから血流、栄養障害、そして脳の機能低下など、そんなことが原因の病気なのである。
糖尿病患者は病気だから薬を処方してもらう。そのまま食事療法をしなければますます悪くなり、
最後はインシュリン注射である。近視も病気だからメガネという薬を処方される。さらに悪くなると
ますます強い薬(度の強いメガネ)を処方される。メガネにしてもコンタクトにしても、レーシックに
しても対処療法であって、近視の病的な状態の原因は何ら改善されていないのである。
今、メガネを掛けている人の視力低下をストップさせ改善するには、まず遠く用(屋外)と近く用
(室内、パソコン)の二つのメガネを持つことだそうだ。遠く用は0.7、近く用は0.3位に度数を
合わせて目の負担を半減させておく。そうすれば目や脳は自力で焦点を合わせようとするから、
自然と調子が良くなり、0.7のメガネで0.9や1.0が見えてくる。それからは訓練次第で視力
は改善してくる。そして都度軽いメガネに変えていけば、0.1の人でも裸眼で1.0までは改善
するらしい。(訓練法は多種あるので、ここでは書かない。興味のある人は本を読んでください)
次に老眼について、
15年くらい前だろうか、娘が夏休みの自由研究でやっていた刺繍を、手伝ってやったことがある。
その時針先がぼけて旨く刺繍ができなかった。仕方なく度の少ない老眼鏡を買ってきて手伝った。
それが老眼の始まりである。しかし、その時もそれ以降に老眼鏡を使い続けることはしなかった。
だからなのか、いまだに裸眼で新聞も本も読んでいる。
本では老眼について、「目の老化は脳の老化が原因」と書いてある。メガネに頼ると自分の目と
脳で物を見ようとする意欲がどんどん落ちてくる。物は目ではなく脳で見ている。見たもの(入力し
た情報)に自分の考え(出力する情報)を加味して前頭葉に映像としている。ところが情報社会
では情報という人の考えを入力しているばかりで、自分の考えを出力(考える)という作業が減って
くる。見ることと考えることは一心同体。自分で考えることをしないと、脳も目も老化が進んでいく。
老眼を直すには新聞や本を明るい処でしっかり光を取り入れてから、見えるようになるまで遠くに
離す。そして少しずつ近づけて見えなくなったら、そこから折り返してまた遠ざけて行く。そんな繰り
返しのトレーニングをしていると徐々に近くで字が見えるようになるから、そこで軽い度数のメガネに
変えていく。そんな訓練法や眼球の運動や目の周りのマッサージ等の回復法が書いてあった。
目はカメラのように眼底で光を結んで映像にしているのではない。目から入ってきた情報を脳まで
運んで、そこで今までの経験知覚を加味して映像化しているのである。脳は1秒間に実に10億
ビットの情報を得ることができる。日本語の1文字は約5ビットであるから、およそ2億文字の情報が
どんどん飛び込んでくる。しかし無意識的に2億文字の情報が飛び込んで来ても、その中で自覚
できるのはせいぜい100ビットつまり20文字しかないのである。脳に入ってくる情報はほとんど自覚
されないし利用されていない。見るということに関しても同じで、私たちが「見ている」という自覚でき
るのは無意識に入ってくる情報の内ほんの微々たるものである。意識に乗らない無自覚な膨大な
情報を脳内視力を使って引き出せれば人生をより良いものにすることができる。本にはそんなことも
書いてあった。
私の姪(弟の子供)が、以前レーシックの手術を受けた。しかし2年も経つと又近視が進んできて
メガネを使うようになったらしい。レーシックも又対処療法で根本的な解決方法ではないのである。
その時姪が言っていたのだが「裸眼で景色を見ることができると、世界が変わったように思える」と。
風呂に入っても運動しても不便で、寝ても覚めてもメガネやコンタクトのことが着いて回る。そんな
わずらわしさから解放されるすがすがしさと、人間に本来備わっている視力を回復したことの喜び
があるようである。私は今は近視のメガネも老眼のメガネも持ち合わせているが、使ってはいない。
先ほど書いた「メガネに頼ると自分の目と脳で物を見ようとする意欲が落ちてくる」。さて、自分は
何時までメガネ(老眼鏡)を使わずに過ごすことができるのであろうか、これも私のアンチエイジング
でのチャレンジ目標にしてみたいと思っている。
20歳で免許を取った時からメガネの条件が付いていたが、45年ぶりに近視が改善したのである。
小中学校で1.5あった視力は、高校に入った頃から急速に悪くなり始めた。そして席替えで後ろ
の席になった時に、とうとう黒板の字が見えなくなってメガネを買って貰った。その後たちまちメガネ
が合わなくなって度が進んでいく。掛け始めた頃は珍しさも手伝って、常時メガネを掛けていたが、
運動の時などのわずらわしさもあって次第にうっとうしく思うようになり、教室以外ではほとんど外す
ようになり、ぼんやりした視界のまま裸眼で生活するようになった。多分それが良かったのであろう。
それ以降「度」が進むことは無くなった。以来黒板の字を見る時、車を運転する時、映画を見る時
(字幕が読めないから)以外はほとんどメガネは掛けたことはない。
ではなぜ今回近視が良くなったのか?年を取って来たから老眼寄りにズレたのか?そうではない。
今でも新聞や本はメガネなしで30センチ以内で読んでいる。今思うに半年前に「視力回復法」
という本を買って、多少でも目の運動と訓練をやったことが良かったのではないかと思っている。
「近視はメガネを掛けるから悪くなる」、これは私の持論である。それが証拠にメガネを使わない人
で0.3以下の人を知らない。私の周りにも近視の人は多い。今日はその本に書いてあったことを
要約してみることにする。
今近視は眼科では健康保険も適用される病気である。しかし保険診療で視力の測定とメガネ
の処方は点数になるが視力の回復は点数にならない。したがって医者は視力の回復を図っても
お金にはならない。だからそんなバカなことはしない。メガネ屋は視力を回復されたらメガネが売れ
なくなる。だから行けば必ず「目にあったメガネを使わないと、ますます視力が落ちますよ」と言う。
そして度が進む都度メガネを買い変えることになる。メガネ屋の思う壷である。目が悪くなるのは
メガネを掛けるからである。メガネをかけなければそれ以上に「度」は進まない。これは真実である。
だから私のようにはっきり見えなくても「良し」とするか、それとも回復訓練をやれば良いのである。
日本人は近視が病気と言う認識が無い。しかし近視は病気なのである。だから合併症がある。
緑内障、網膜剥離、白内障は近視の合併症である。近年失明原因のトップが緑内障になった。
それは近視が多くなったことに起因すると言われている。目の構造を例えて言えば、眼球は眼底
から水風船をつるしたようなものだという。いつも近くばかりを見ていたり、うつむいて物を見ていると
次第に眼球がラグビーボールのように延びてくる。1㎜~2㎜と伸びると、やがて網膜はく離の原因
になる。また眼球が伸びることで屈折率が狂ってくる。現代人は近くばかりを見て生活するから、
ピントを合わせる筋肉ばかりを使い、眼球を動かす筋肉は使わなくなるから筋肉のバランスが悪く
なる。そして眼軸を正常な位置に保てなくなる。そんな風に、近視とは眼球を動かす筋肉障害、
それから血流、栄養障害、そして脳の機能低下など、そんなことが原因の病気なのである。
糖尿病患者は病気だから薬を処方してもらう。そのまま食事療法をしなければますます悪くなり、
最後はインシュリン注射である。近視も病気だからメガネという薬を処方される。さらに悪くなると
ますます強い薬(度の強いメガネ)を処方される。メガネにしてもコンタクトにしても、レーシックに
しても対処療法であって、近視の病的な状態の原因は何ら改善されていないのである。
今、メガネを掛けている人の視力低下をストップさせ改善するには、まず遠く用(屋外)と近く用
(室内、パソコン)の二つのメガネを持つことだそうだ。遠く用は0.7、近く用は0.3位に度数を
合わせて目の負担を半減させておく。そうすれば目や脳は自力で焦点を合わせようとするから、
自然と調子が良くなり、0.7のメガネで0.9や1.0が見えてくる。それからは訓練次第で視力
は改善してくる。そして都度軽いメガネに変えていけば、0.1の人でも裸眼で1.0までは改善
するらしい。(訓練法は多種あるので、ここでは書かない。興味のある人は本を読んでください)
次に老眼について、
15年くらい前だろうか、娘が夏休みの自由研究でやっていた刺繍を、手伝ってやったことがある。
その時針先がぼけて旨く刺繍ができなかった。仕方なく度の少ない老眼鏡を買ってきて手伝った。
それが老眼の始まりである。しかし、その時もそれ以降に老眼鏡を使い続けることはしなかった。
だからなのか、いまだに裸眼で新聞も本も読んでいる。
本では老眼について、「目の老化は脳の老化が原因」と書いてある。メガネに頼ると自分の目と
脳で物を見ようとする意欲がどんどん落ちてくる。物は目ではなく脳で見ている。見たもの(入力し
た情報)に自分の考え(出力する情報)を加味して前頭葉に映像としている。ところが情報社会
では情報という人の考えを入力しているばかりで、自分の考えを出力(考える)という作業が減って
くる。見ることと考えることは一心同体。自分で考えることをしないと、脳も目も老化が進んでいく。
老眼を直すには新聞や本を明るい処でしっかり光を取り入れてから、見えるようになるまで遠くに
離す。そして少しずつ近づけて見えなくなったら、そこから折り返してまた遠ざけて行く。そんな繰り
返しのトレーニングをしていると徐々に近くで字が見えるようになるから、そこで軽い度数のメガネに
変えていく。そんな訓練法や眼球の運動や目の周りのマッサージ等の回復法が書いてあった。
目はカメラのように眼底で光を結んで映像にしているのではない。目から入ってきた情報を脳まで
運んで、そこで今までの経験知覚を加味して映像化しているのである。脳は1秒間に実に10億
ビットの情報を得ることができる。日本語の1文字は約5ビットであるから、およそ2億文字の情報が
どんどん飛び込んでくる。しかし無意識的に2億文字の情報が飛び込んで来ても、その中で自覚
できるのはせいぜい100ビットつまり20文字しかないのである。脳に入ってくる情報はほとんど自覚
されないし利用されていない。見るということに関しても同じで、私たちが「見ている」という自覚でき
るのは無意識に入ってくる情報の内ほんの微々たるものである。意識に乗らない無自覚な膨大な
情報を脳内視力を使って引き出せれば人生をより良いものにすることができる。本にはそんなことも
書いてあった。
私の姪(弟の子供)が、以前レーシックの手術を受けた。しかし2年も経つと又近視が進んできて
メガネを使うようになったらしい。レーシックも又対処療法で根本的な解決方法ではないのである。
その時姪が言っていたのだが「裸眼で景色を見ることができると、世界が変わったように思える」と。
風呂に入っても運動しても不便で、寝ても覚めてもメガネやコンタクトのことが着いて回る。そんな
わずらわしさから解放されるすがすがしさと、人間に本来備わっている視力を回復したことの喜び
があるようである。私は今は近視のメガネも老眼のメガネも持ち合わせているが、使ってはいない。
先ほど書いた「メガネに頼ると自分の目と脳で物を見ようとする意欲が落ちてくる」。さて、自分は
何時までメガネ(老眼鏡)を使わずに過ごすことができるのであろうか、これも私のアンチエイジング
でのチャレンジ目標にしてみたいと思っている。