60歳からの眼差し(2)

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

眼鏡使用

2010年09月24日 | 日記
先回の自動車運転免許更新の時、今までの眼鏡等の使用条件が外れて裸眼でOKになった。
20歳で免許を取った時からメガネの条件が付いていたが、45年ぶりに近視が改善したのである。

小中学校で1.5あった視力は、高校に入った頃から急速に悪くなり始めた。そして席替えで後ろ
の席になった時に、とうとう黒板の字が見えなくなってメガネを買って貰った。その後たちまちメガネ
が合わなくなって度が進んでいく。掛け始めた頃は珍しさも手伝って、常時メガネを掛けていたが、
運動の時などのわずらわしさもあって次第にうっとうしく思うようになり、教室以外ではほとんど外す
ようになり、ぼんやりした視界のまま裸眼で生活するようになった。多分それが良かったのであろう。
それ以降「度」が進むことは無くなった。以来黒板の字を見る時、車を運転する時、映画を見る時
(字幕が読めないから)以外はほとんどメガネは掛けたことはない。

ではなぜ今回近視が良くなったのか?年を取って来たから老眼寄りにズレたのか?そうではない。
今でも新聞や本はメガネなしで30センチ以内で読んでいる。今思うに半年前に「視力回復法」
という本を買って、多少でも目の運動と訓練をやったことが良かったのではないかと思っている。
「近視はメガネを掛けるから悪くなる」、これは私の持論である。それが証拠にメガネを使わない人
で0.3以下の人を知らない。私の周りにも近視の人は多い。今日はその本に書いてあったことを
要約してみることにする。

今近視は眼科では健康保険も適用される病気である。しかし保険診療で視力の測定とメガネ
の処方は点数になるが視力の回復は点数にならない。したがって医者は視力の回復を図っても
お金にはならない。だからそんなバカなことはしない。メガネ屋は視力を回復されたらメガネが売れ
なくなる。だから行けば必ず「目にあったメガネを使わないと、ますます視力が落ちますよ」と言う。
そして度が進む都度メガネを買い変えることになる。メガネ屋の思う壷である。目が悪くなるのは
メガネを掛けるからである。メガネをかけなければそれ以上に「度」は進まない。これは真実である。
だから私のようにはっきり見えなくても「良し」とするか、それとも回復訓練をやれば良いのである。

日本人は近視が病気と言う認識が無い。しかし近視は病気なのである。だから合併症がある。
緑内障、網膜剥離、白内障は近視の合併症である。近年失明原因のトップが緑内障になった。
それは近視が多くなったことに起因すると言われている。目の構造を例えて言えば、眼球は眼底
から水風船をつるしたようなものだという。いつも近くばかりを見ていたり、うつむいて物を見ていると
次第に眼球がラグビーボールのように延びてくる。1㎜~2㎜と伸びると、やがて網膜はく離の原因
になる。また眼球が伸びることで屈折率が狂ってくる。現代人は近くばかりを見て生活するから、
ピントを合わせる筋肉ばかりを使い、眼球を動かす筋肉は使わなくなるから筋肉のバランスが悪く
なる。そして眼軸を正常な位置に保てなくなる。そんな風に、近視とは眼球を動かす筋肉障害、
それから血流、栄養障害、そして脳の機能低下など、そんなことが原因の病気なのである。
糖尿病患者は病気だから薬を処方してもらう。そのまま食事療法をしなければますます悪くなり、
最後はインシュリン注射である。近視も病気だからメガネという薬を処方される。さらに悪くなると
ますます強い薬(度の強いメガネ)を処方される。メガネにしてもコンタクトにしても、レーシックに
しても対処療法であって、近視の病的な状態の原因は何ら改善されていないのである。

今、メガネを掛けている人の視力低下をストップさせ改善するには、まず遠く用(屋外)と近く用
(室内、パソコン)の二つのメガネを持つことだそうだ。遠く用は0.7、近く用は0.3位に度数を
合わせて目の負担を半減させておく。そうすれば目や脳は自力で焦点を合わせようとするから、
自然と調子が良くなり、0.7のメガネで0.9や1.0が見えてくる。それからは訓練次第で視力
は改善してくる。そして都度軽いメガネに変えていけば、0.1の人でも裸眼で1.0までは改善
するらしい。(訓練法は多種あるので、ここでは書かない。興味のある人は本を読んでください)

次に老眼について、
15年くらい前だろうか、娘が夏休みの自由研究でやっていた刺繍を、手伝ってやったことがある。
その時針先がぼけて旨く刺繍ができなかった。仕方なく度の少ない老眼鏡を買ってきて手伝った。
それが老眼の始まりである。しかし、その時もそれ以降に老眼鏡を使い続けることはしなかった。
だからなのか、いまだに裸眼で新聞も本も読んでいる。

本では老眼について、「目の老化は脳の老化が原因」と書いてある。メガネに頼ると自分の目と
脳で物を見ようとする意欲がどんどん落ちてくる。物は目ではなく脳で見ている。見たもの(入力し
た情報)に自分の考え(出力する情報)を加味して前頭葉に映像としている。ところが情報社会
では情報という人の考えを入力しているばかりで、自分の考えを出力(考える)という作業が減って
くる。見ることと考えることは一心同体。自分で考えることをしないと、脳も目も老化が進んでいく。
老眼を直すには新聞や本を明るい処でしっかり光を取り入れてから、見えるようになるまで遠くに
離す。そして少しずつ近づけて見えなくなったら、そこから折り返してまた遠ざけて行く。そんな繰り
返しのトレーニングをしていると徐々に近くで字が見えるようになるから、そこで軽い度数のメガネに
変えていく。そんな訓練法や眼球の運動や目の周りのマッサージ等の回復法が書いてあった。

目はカメラのように眼底で光を結んで映像にしているのではない。目から入ってきた情報を脳まで
運んで、そこで今までの経験知覚を加味して映像化しているのである。脳は1秒間に実に10億
ビットの情報を得ることができる。日本語の1文字は約5ビットであるから、およそ2億文字の情報が
どんどん飛び込んでくる。しかし無意識的に2億文字の情報が飛び込んで来ても、その中で自覚
できるのはせいぜい100ビットつまり20文字しかないのである。脳に入ってくる情報はほとんど自覚
されないし利用されていない。見るということに関しても同じで、私たちが「見ている」という自覚でき
るのは無意識に入ってくる情報の内ほんの微々たるものである。意識に乗らない無自覚な膨大な
情報を脳内視力を使って引き出せれば人生をより良いものにすることができる。本にはそんなことも
書いてあった。

私の姪(弟の子供)が、以前レーシックの手術を受けた。しかし2年も経つと又近視が進んできて
メガネを使うようになったらしい。レーシックも又対処療法で根本的な解決方法ではないのである。
その時姪が言っていたのだが「裸眼で景色を見ることができると、世界が変わったように思える」と。
風呂に入っても運動しても不便で、寝ても覚めてもメガネやコンタクトのことが着いて回る。そんな
わずらわしさから解放されるすがすがしさと、人間に本来備わっている視力を回復したことの喜び
があるようである。私は今は近視のメガネも老眼のメガネも持ち合わせているが、使ってはいない。
先ほど書いた「メガネに頼ると自分の目と脳で物を見ようとする意欲が落ちてくる」。さて、自分は
何時までメガネ(老眼鏡)を使わずに過ごすことができるのであろうか、これも私のアンチエイジング
でのチャレンジ目標にしてみたいと思っている。

続・パスタの店

2010年09月17日 | 日記
               

6月25日のブログで書いた、独立してパスタの店をやる友人の話。そろそろ具体的になってきた
たので、先日、オープン前の店に陣中見舞いを兼ねて行ってきた。
日暮里で京成電鉄に乗り換え、さらに高砂で北総線に乗り換え約30分、白井駅で下車する。
駅前は典型的な新興住宅地の雰囲気で、数棟のマンションと大型電機店の建物が有るぐらい。
昼間は人通りもほとんどなく閑散とした様子である。友人に駅まで車で迎えに来てもらって、まだ
内装工事中という店に案内してもらう。店まで車で10分弱、片側2車線の道路の両側は畑で、
所々に駐車場付きのお店が点在するだけ、まだまだ街としての体裁が整っていない感じである。
「昔、映画で見たメキシコの閑散とした田舎街に来たような感じだね?」と感想を言ってみる。
「このあたりは歩く人はほとんどいない。だから今度の店も全て車のお客さんになると思う。メイン
道路から中に入るから、フリーのお客さんは当てにできない。だから来てくれたお客さん一人一人
に満足してもらい、その人達を固定客にするしかないだろうと思っている」、そんな予測である。

店は幹線道路沿いにある「魚魚屋」という回転寿司の店を左に入り、その裏手の建物である。
その奥は梨畑が続いている。建物の外観は2階建てのアパートの様で、1階の両側に焼き鳥屋と
居酒屋があり、その真中の木目模様の引き戸の入口が彼の店である。店の雰囲気からすると
寿司屋である。入り口を入ると左がカウンターになっていて、右は8畳の畳の部屋になっている。
その畳部屋は当面は使わず、スタート時はカウンター(6人掛け)だけを使って営業していくという。
正面は衝立で仕切られ、中は厨房になっている。壁紙は貼り変え、カウンターは木目の新しい
ものにしたから、後は厨房機器と食器類が入れば一様の準備は整うのだと言う。

今回開業に当たって国民金融公庫から150万円の融資を受けたそうである。そのお金の返済
が来年4月から月額3万円ほど。家賃が月6万円で合わせて9万円が完全な固定費になる。
開店までの経費明細を聞いて見た。
家賃(9月、10月分)が12万円、 敷金権利金等で22万円、 内装費は34万円、
厨房機器(中古)21万円、 食器その他で30万円。 合計約120万円程度になるそうだ。
融資の残り30万円は当面の運転資金に回すようである。食材の調達については、麺は元勤め
ていた会社から、トマト等の野菜は地元で無農薬栽培をしている農家から、魚介類は岩手県の
八戸から、ベーコンは北海道からと、食材は彼なりのこだわりで集めたそうである。仕入は買掛け
にせず、全て現金決済にするそうである。

あまり、お金がかけられないから人は雇わない。奥さんも腱鞘炎がひどいので、基本的には1人で
運営する。メニューもパンフレットも手作り、店内装飾も手作り品や100円ショップで買ったものを
工夫して飾っている。駐車場の脇の空き地に3種のハーブを植え、できれば使いたいそうである。
サラリーマンを辞め、全て自分のお金とリスクでやるわけであるから、「極力お金は掛けたくない」
それが彼の頭の中にある最優先事項であった。だから家賃の安い所を選択する。そうすると当然
立地は悪く、人通りのない場所になる。店内装飾も素人がやるから、どうしてもあかぬけしない。

果してこんな辺鄙な場所で、いかにも素人ぽい店で商売が成立するか?これが私の持つ不安で
ある。当然彼にもこれと似たような気持ちは有るようである。しかし57歳になった今、大きな負担
は負いたくない、だからやるとすればこの選択しかなかった。あとは自分の料理に対するこだわりや
思いを表現して、一人でも多くのお客さんの支持を得る。焦らず丁寧に丁寧にやっていけばきっと
お客さんに理解してもらえる。そういうことを信じてやっていくしかない。彼はそう思って、不安になる
自分の気持ちを奮い立たせているそうである。

彼は周りの人に色んなことを言われるそうである。しかしそれを聞いていたら自分が迷うだけで、前
に進めなくなってしまうと言う。だから自分が納得できる事をやるようにしたそうだ。多分そうであろう。
周りは責任が無いから勝手なことを言う。そして彼が失敗したら「だろ~、だから言ったじゃないか」
多分そう言うだろう。だから当初は彼が思い描いた通りにやることが、一番いいのだろうと思う。

私は、この立地条件で営業が成り立つまでの固定客を集めるには、相当な力がいるだろうと思う。
友人知人の口コミだけでなく、駅前や宅訪でのビラ配り、集客するための努力は立地の良い処に
比べ倍の努力がいるように思う。当然最初から旨く行くはずはなく、営業すれば色んな問題が見え
てくるはずである。自分の思い描いていたことと現実とのギャップ、そんな壁にぶち当った時に、彼が
どう対処するかでその後の展開が変わってくるように思う。その時に人(顧客や専門家)の意見を
素直に聞くことができれば良いのだろう。9月29日から、親しい人達を招待して実地訓練を始め、
いよいよ10月5日から営業開始である。ぜひ成功して欲しいものだと、心から願っている。

下に、店の場所を添付しました。お近くの方がいらっしゃったら、ぜひ食べに行ってあげてください。

          

       手作りホームページ  http://www.nama-spaghetti.com/access.html

男というもの

2010年09月10日 | 日記
以前、会社に来ていた包装資材会社のある営業マンがこんなことを言っていた。
営業であるから、クレームが有れば真っ先に得意先に謝りに行く。当然こちらのミスだから頭を低く
していなければならない。まず最初に得意先の担当者に、迷惑をかけた旨を丁重にお詫びする。
担当者からは「なぜ、こんなミスが起ったのだ?」と詰問される。だから事の顛末を説明し始める。
ある程度話しをすると、「言い訳するんじゃないよ!」と感情をむき出しにして怒り出す人がいる。
そういう人に限って、今回のクレームで自分がどれほど迷惑をこうむったかを、しつこく喋り始める。
これでもか、これでもかと言う感じで、こちらは弱い立場だから黙って聞いているしか仕方がない。
10分、20分、ただひたすら頭を下げて耐えている。内心「大したクレームではないのに、それに
説明しろというから説明したのに、それを言い訳をするなとは何だ!」と思いつつも我慢する。
相手もひとしきり感情を吐き出すとスッキリするのか、「今後気をつけろ!」でセレモニーは終わる。

こんなことを繰り返していると、人(特に男性)に対して、ある種の共通性に思い至るそうである。
人も猿山の猿といっしょで、ボス猿が順位の低いオスに対してマウント行為(擬似セックスで、強い
方が弱い相手の上に乗る)をするように、得意先の担当者も俺の方がお前より順位が上なのだ
ということを知らしめる為に、クレームをきっかけにして、服従のスタンスを取らせているのだ、と言う。
得意先であり、しかもクレームである。絶対不利な条件の下で、相手が感情をむき出しで怒って
くるからといって感情で応じるわけにいかない。相手を恫喝したり、恐怖感を植え付けていくことで
自分の立場を有利にし、相手をコントロールしようとする手法、そんな人を見ると、程度の低さを
感じてしまうと言う。

男社会はどうしても上意下達になってしまう。自分を少しでも上位に置くことが自分を有利にする
最上の手段だと思うようである。組織が明確になっている会社であれば、係長より課長、課長より
部長と言うように序列が決まり秩序ができる。しかし中小零細企業とか取引関係とかでは、その
あたりの序列があいまいだから、しばしば感情をむき出しにして機先を制すとか、大声で叱るとかで
自分の地位を高めようとする人が多いのも確かである。これはオスとしての本能なのであろう。

また、男社会において手柄を立てることは「権威」付けのためには必要なことである。だから事ある
ごとに自己自慢をする人間が多い。会議の席で、飲み屋の席で、自慢話のオンパレードである。
自分がいかに優秀であるか、それを直接、間接に言いつのるのが男である。鳥のオスがメスに向か
って羽を広げて、自分の素晴らしさをアピールするかのように自己顕示していくのである。
「どうだ、俺ってすごいだろう」、そんな文言が言葉の端々に隠れているようである。しかし、それを
言いつのる人ほど大したことのないのが一般的である。大抵は事あるごとに毒にも薬にもならない
意見を言い。それが成功すれば「だろう~俺がアドバイスしたから旨く行ったんだ」と言うことになり、
失敗すれば「だから俺が言ったろう。俺の言うことを聞いていればよかったのに・・」ということになる。
成功は自分の手柄、失敗は人の所為。これもまた悲しい男の性(さが)である。

自己保身、これも男性社会のなかの嫌な習性である。先日イトーヨーカ堂のうなぎの偽装事件が
報道されていた。輸入元ヨーカ堂で輸入されたうなぎに、日本では禁止されている添加物が出た。
当然販売できず、商品は滞り、その在庫量は億単位で残ってしまう。本来なら輸出業者に返品
するか、契約上無理であれば廃棄処分すべきであろう。ヨーカ堂の担当マネージャーはその処理を
取引業者の日洋(セブンイレブンの弁当ベンダーの会社)に依頼、日洋はその処理を高山
シーフードにまる投げした。高山シーフードはヨーカ堂の名前が出ないように、段ボールを入れ替え、
輸入元を改ざんして流通させた事件である。マネーロンダリングと同じで、うなぎロンダリングである。

ここからは私の推測である。
ヨーカ堂の一介のマネージャーが億単位の不良品を勝手に処理するはずがない。(輸入に当って
当然稟議書が回って、社内的にオーソライズされているから、自分でリスクを背負う必要が無い)
だからマネージャーは不良在庫の処理について上司に相談したはずである。上司も自分の判断で
億の単位の決済はできない。さらに上の上司にと持ちあがったはずである。どこまで持ち上ったか?
常務まで?社長まで?、多分どこかの時点でコメントが有り、折り返してくる。「何とかしろよ!」と。
その言葉が今度は順次降りて、マネージャーにまで返ってきた。どうしようも無くなったマネージャー
は親しい取引業者に、「なんとかしてくれよ」と依頼する。これが今回の発端であろう。こういう風に
一旦は闇に葬られたと思ったものが、表ざたになってしまった。さあ今度は責任逃れが始まる。

警察の捜査は高山シーズードから日洋、日洋からヨーカ堂と手繰り寄せられていく。そして本丸の
ヨーカ堂での責任問題になる。当然マネージャーやその上の上司に事情聴取はあったはずである。
多分上司は「私は何とかしろとは言ったが、改ざんしろとは言っていない」と言い張るであろう。
これが、このような場合の逃げの妙手である。いわゆるトカゲのしっぽ切りと言うやつである。かくして
今回の事件では本丸のヨーカ堂側は元マネージャーが起訴されただけで終わりそうである。

猿山の覇権争いではないが、その群れの中で生き延び自分の威光を反映させるには、それ相当
の力がいる。野生の世界でオスにとっての最大の武器は「強さ」なのであろう。しかし社会的動物
である人間の社会ではもう少し複雑で学力、知識、創造力、はたまたコミュニュケーションスキル、
リーダーシップに加え、意欲や忍耐力まで、その総合力が問われてくる。長い間サラリーマン世界
を歩いて来て、今になって思うことだが、根拠のない虚栄心や自己顕示、策略や姑息な生き方、
そんなことをいくら駆使してみても、所詮その場だけのものである。
出世栄達が一番の目標でないのであれば、自分が納得できる判断や行動を貫いていけることが、
最も楽な生き方のように思える。そのためには、逃げないこと、ごまかさないこと、そのための勇気、
そんなことが一番大切なように思うのである。

気象変動

2010年09月03日 | 日記
通勤の今朝も8時を過ぎてくると、気温がぐんぐんと上がって行く。そして、うっすらと額に汗を掻く。
私は寒さで体を縮こまらせて小さくなっている冬より、汗をダラダラかいても夏の方が好きであった。
しかし、今年の夏を経験すると、宗旨替えをしなければいけない。連日最高気温が35度を越し、
熱帯夜(最低気温が25度以上)も続く。東京都心の熱帯夜日数は94年の47日を突破して、
最多記録を更新中というニュースがあった。例年はクーラーなしで寝られた日が何日か有ったが、
今年の夏は熱中症が気になって、クーラーなしでは寝られなくなってしまった。今まで嫌いだった
冬の寒さが今は懐かしい感じにさえなってくる。やはり温暖化は確実に進行しているのであろう。

例年の気温との比較以外にも、自分の身近なところで温暖化を感じさせるものはいくつかある。
所沢に引っ越してきて27年になるが、越して来た当初は蝉の声は珍しく、蝉が鳴くと息子が
網を持って走り出していた。それが今では昼夜関係なく蝉が鳴きまくる。庭木のあちらこちらに、
蝉の抜け殻がぶら下がっていて、道を歩いても、蝉の死骸がごろごろと転がっているのである。
さすがにこの時期はあぶら蝉からツクツクボウシに代わってきたが、蝉は異常に多くなっている。
北海道から持ち帰り、ここ十数年可憐な花を付けていたスズランが今年はとうとう枯れてしまった。
家の庭にシュロの樹が自生している。何処から種が飛んできたのか、ほっておいたら何時の間にか
3本にも増えている。シュロはヤシ科の常緑高木で日本では九州地方の南部に自生とあるから、
所沢も九州南部地方並みに高温になったのであろう。他にも桜の開花が早くなり、紅葉が遅く
なり、冬はほとんど雪が降らなくなった。こんな現象を見ると日本の気候は温帯から亜熱帯地方
へと変化していることが解る。

約20年前、仕事の関係で、6、7、8、9月と1週間づつの日程で台湾に出張したことがある。
その時、台湾と日本の気温差を肌で感じた。台湾の6月の気温は日本の7月、台湾の7月は
日本の8月、そして台湾の8月は日本の8月の気温より、もう一段階パワーアップした感じの暑さ
だったように思う。台北の街に出ると太陽がギラギラと輝き、その熱が肌に突き刺さるようであった。
熱気が体を締め付け、ときに息苦しささえ感じることがあった。うる覚えであるが気温は連日40度
に迫っていたように思う。その時に台湾で感じた暑さが今年の東京の暑さと同程度のように思える。
20数年前の台湾の暑さが今は東京の暑さ、その当時の東京の暑さが今は札幌の暑さ、そんな
風に地球全体の気温が一段階北へずり上がったようになっている。

アル・ゴアの『不都合な真実』というドキュメンタリー映画で指摘された地球温暖化に関する問題。
南極や北極の氷が解け始め、フィンランドの氷河やシベリアの永久凍土が融け始めていると言う。
フィンランドの氷河が全部溶けると海面が70m上昇するという話もある。その最大の要因は化石
燃料の大量消費による二酸化炭素の放出にあるといわれている。今後この問題がどう推移して
いくのかはっきり分からないが、しかしこのまま進んで行けば、確実に人間の住む環境は悪化して
いくことは間違いないように思われる。この問題が地球サミットなどで話し合いが行われても、各国
の利害や思惑がからむと、なかなか前へ進むのは困難のようである。そうこうしているうちに手遅れ
になってしまい最悪の事態になってしまう可能性の方がつよいのではないだろうか。

昨年の暮れだったか、「2012年」という映画を見た。古代マヤ人が2012年に訪れるとしていた
世界の終末。それを2009年にインドの科学者が、数年後に地殻変動により世界が滅びる事を
察知する。それを知った先進国のトップにより極秘で人類の生き残りを模索する。そしてある計画
を実行し始める。それはノアの箱舟のような巨大な船を何隻も作り、その船に残しておくべきものを
積み、地球の大変動が治まるまで退避しようという計画である。当然船に乗せる物量は限られる。
まず種として保存しなければいけない動植物。それから世界各地の歴史的な美術品等をひそかに
偽物とすり替え運び入れる。それと各人種で選ばれた人々、そしてこの計画の実行に必要な資金を
提供した世界の大富豪ということになる。当然話しが漏れれば世界中がパニックになるから事は
極秘のうちに進んでいく。そしてとうとう予言の2012年12月をむかえることになる。

映画は世界中を大津波が襲い、パニックの果てに世界は破壊され、数隻の箱舟だけが大海原
に漂うところで終わる。今世界の人口は68億人と言われる。このまま温暖化や気候変動が顕著
になって行けば、おのずと人が住める環境は厳しくなり狭まって行くのであろう。そうなれば否応なく
生き残れる人と滅んでいく人の峻別をせざるを得なくなる。映画のように一部特権階級と大金持ち
の優先順位が高いのであれば、我々庶民はいずれ海の藻屑と消えることになるのかもしれない。
どちらにしても2012年よりは先の話なのであろうが、我々の次の世代、又その次の世代ではこの
問題はそうとうにリアルで切羽詰まったことになっているように思える。

もう猶予はなくなっているのだろう。だから、個人々の自主性にまかしていたのではらちが明かない。
CO2の排出規制のために、化石燃料の大幅な使用規制、そしてその代替エネルギーとして、当面
は原子力エネルギー(多少のリスクがあっても仕方がない)、将来的には太陽エネルギーで大半を
まかなうような目標設定をし、世界的な合意を取りつけ強制的に実行していくしかないように思う。
少し強引のようだが、これだけ暑いと世間も納得してくれるように思うのだが、どうであろう。