今読んでいるコフート心理学入門という本に、自分でも納得するできる記述があった。
それは「自己愛パーソナリティー障害」について書いてある内容である。以下まとめてみると、
「自己愛パーソナリティー障害」の持ち主には三つの要素が上げられる。一つが「誇大性」で、
自分をものすごく偉いと感じているということ。それから二つ目が、ほめてほしい、愛してほしい
という欲求がものすごく強いということ。つまり、自分のことをものすごく偉く感じていて「おれほど
偉い人間はいない」とか「私ほど美人はいない」と思ってしまう誇大的な状態であり、しかも、
相手がそんな自分を、ほめてくれなかったり、愛してくれないと、頭にくる状態になるようである。
そして三つ目が、相手の気持ちなど全然考えないという共感欠如な人。この三つがそろうと
自己愛も病的になってきて「自己愛パーソナリティ障害」と呼ばれる状況になるようである。
この記述を読んで、病的とまでいかないが、これにぴったり当てはまる人物を思いついた。
それは有る会社の経営者。彼は自分のことを三国志に登場してくるの「諸葛孔明」の如く、
目先の効く優秀な戦略家であると思っている。世の中の諸事情に明るく、頭脳明晰で、
先見性に富み、人間関係に厚く、自分ほど偉大な人間はいないと思っているようである。
しかも教養人でもある彼はそのあたりを露骨には見せず、口の端々に過去の武勇伝を語り、
自分の優秀性、先見性を匂わせながら語っている。それは意識してでなく、無意識の中で
語られるために本人に自覚はないようである。初対面の人や仕入先の人は彼の話を聞くと、
「すごいですね」、「さすがですね」と褒め言葉を言わざるを得ないほど、話は巧みである。
しかし毎日のように聞かされる社員は「あああ、また言っているよ」とシラケてしまい、ほとんど
反応しないままに話が終わるのをじっと耐えて待つだけである。そうすると、今度は自分の
偉大さが伝わっていないと思うのか、より「誇大性」をアップさせて迫って来るようである。
彼の社員に対する接し方は「使用人」という感覚で、身内との接し方とは一線を画している。
そして自己中心のスタンスは社員の気持ちを推し量ることができない共感欠如の人である。
仕事においても社員の意見を聞くことはなく、また組織的な会社運営を嫌い、個々の社員に
直接、一方通行な指示を行っているだけである。そんな優秀な人物が率いる会社がなぜ、
今まで発展しなかったのか?と誰でもがそう思うのだが、それは社員が「バカ」ばっかりであり、
そんな社員を雇い続ける自分は、懐の深い偉大な人間であるということになるようである。
「自己愛」、人は多かれ少なかれ自分を愛する気持ちをもっている。この自己愛は幼児期
からの発達過程で培われ、成熟し、バランスのとれた大人へと発展して行く。
コフート心理学のいう自己愛構造は自分を愛する気持ちに対して、それを相手がちゃんと
満たしてくれて始めて成熟するという。子供が落ち込み傷ついた時、親が「大丈夫、大丈夫」
「本当はお前は偉いんだから」と慰めてくれたり、何か達成した時に「良くできたね、偉い偉い」
「すごいなぁ~」とほめて、始めて子供の自己愛は満たされ、次のステップに進んでいけるという。
周りの人達から自己愛を満たされるような良い体験をたくさんしている子であれば、多少周りで
支えてくれる人がいなくてもそれほど不安にならなかったり、物事に対して多少の我慢ができる
子供に育っていくようである。しかし子供の頃からほめられる体験をしていなければ、自分だけが
偉いと思ったり、不安な気持ちを常に抱え、小心で、周りのだれにも相手にされない人間に
育っていき、非常にいびつな形で自己のイメージだけを肥大させることになってしまうようだ。
彼は生来の商売家に、姉2人兄1人の4人兄弟の末っ子として生まれた。父親は小学に行く
前に亡くしてしまったようである。そのため母親が商売に専念せざるを得なくなり、彼の面倒は
姉や従業員の女性が見ていたようである。そんな環境では親の愛情を充分に享受することが
できなかったのであろうことは、容易に推察できる。(片親で、子供4人で母の愛情も1/4)
「大丈夫、大丈夫、心配ないよ」、「わぁ~っ、良くできたねぇ~、偉い、偉い」、そんな言葉は
ほとんどかけてもらえなかったのかもしれない。そんな環境で育ったためだろう、彼の自己愛は
満たされないままに大人になっていった。彼の小心で猜疑心が強く、誇大性の強い性格は
その幼児期に培われたものであろう。そして60歳を越えてきた今でも、「どうだ、すごいだろう」
と子供時代に満たされなかったものを、追い続けているようである。
※「自己愛パーソナリティー障害」は「自己愛性人格障害」と書いてある本もある。
その典型的な性格の人物はヒットラーだそうである。
それは「自己愛パーソナリティー障害」について書いてある内容である。以下まとめてみると、
「自己愛パーソナリティー障害」の持ち主には三つの要素が上げられる。一つが「誇大性」で、
自分をものすごく偉いと感じているということ。それから二つ目が、ほめてほしい、愛してほしい
という欲求がものすごく強いということ。つまり、自分のことをものすごく偉く感じていて「おれほど
偉い人間はいない」とか「私ほど美人はいない」と思ってしまう誇大的な状態であり、しかも、
相手がそんな自分を、ほめてくれなかったり、愛してくれないと、頭にくる状態になるようである。
そして三つ目が、相手の気持ちなど全然考えないという共感欠如な人。この三つがそろうと
自己愛も病的になってきて「自己愛パーソナリティ障害」と呼ばれる状況になるようである。
この記述を読んで、病的とまでいかないが、これにぴったり当てはまる人物を思いついた。
それは有る会社の経営者。彼は自分のことを三国志に登場してくるの「諸葛孔明」の如く、
目先の効く優秀な戦略家であると思っている。世の中の諸事情に明るく、頭脳明晰で、
先見性に富み、人間関係に厚く、自分ほど偉大な人間はいないと思っているようである。
しかも教養人でもある彼はそのあたりを露骨には見せず、口の端々に過去の武勇伝を語り、
自分の優秀性、先見性を匂わせながら語っている。それは意識してでなく、無意識の中で
語られるために本人に自覚はないようである。初対面の人や仕入先の人は彼の話を聞くと、
「すごいですね」、「さすがですね」と褒め言葉を言わざるを得ないほど、話は巧みである。
しかし毎日のように聞かされる社員は「あああ、また言っているよ」とシラケてしまい、ほとんど
反応しないままに話が終わるのをじっと耐えて待つだけである。そうすると、今度は自分の
偉大さが伝わっていないと思うのか、より「誇大性」をアップさせて迫って来るようである。
彼の社員に対する接し方は「使用人」という感覚で、身内との接し方とは一線を画している。
そして自己中心のスタンスは社員の気持ちを推し量ることができない共感欠如の人である。
仕事においても社員の意見を聞くことはなく、また組織的な会社運営を嫌い、個々の社員に
直接、一方通行な指示を行っているだけである。そんな優秀な人物が率いる会社がなぜ、
今まで発展しなかったのか?と誰でもがそう思うのだが、それは社員が「バカ」ばっかりであり、
そんな社員を雇い続ける自分は、懐の深い偉大な人間であるということになるようである。
「自己愛」、人は多かれ少なかれ自分を愛する気持ちをもっている。この自己愛は幼児期
からの発達過程で培われ、成熟し、バランスのとれた大人へと発展して行く。
コフート心理学のいう自己愛構造は自分を愛する気持ちに対して、それを相手がちゃんと
満たしてくれて始めて成熟するという。子供が落ち込み傷ついた時、親が「大丈夫、大丈夫」
「本当はお前は偉いんだから」と慰めてくれたり、何か達成した時に「良くできたね、偉い偉い」
「すごいなぁ~」とほめて、始めて子供の自己愛は満たされ、次のステップに進んでいけるという。
周りの人達から自己愛を満たされるような良い体験をたくさんしている子であれば、多少周りで
支えてくれる人がいなくてもそれほど不安にならなかったり、物事に対して多少の我慢ができる
子供に育っていくようである。しかし子供の頃からほめられる体験をしていなければ、自分だけが
偉いと思ったり、不安な気持ちを常に抱え、小心で、周りのだれにも相手にされない人間に
育っていき、非常にいびつな形で自己のイメージだけを肥大させることになってしまうようだ。
彼は生来の商売家に、姉2人兄1人の4人兄弟の末っ子として生まれた。父親は小学に行く
前に亡くしてしまったようである。そのため母親が商売に専念せざるを得なくなり、彼の面倒は
姉や従業員の女性が見ていたようである。そんな環境では親の愛情を充分に享受することが
できなかったのであろうことは、容易に推察できる。(片親で、子供4人で母の愛情も1/4)
「大丈夫、大丈夫、心配ないよ」、「わぁ~っ、良くできたねぇ~、偉い、偉い」、そんな言葉は
ほとんどかけてもらえなかったのかもしれない。そんな環境で育ったためだろう、彼の自己愛は
満たされないままに大人になっていった。彼の小心で猜疑心が強く、誇大性の強い性格は
その幼児期に培われたものであろう。そして60歳を越えてきた今でも、「どうだ、すごいだろう」
と子供時代に満たされなかったものを、追い続けているようである。
※「自己愛パーソナリティー障害」は「自己愛性人格障害」と書いてある本もある。
その典型的な性格の人物はヒットラーだそうである。