5年前から製麺会社の営業をしていた友人が、この8月20日で会社を辞めて独立するという。
菓子メーカー、菓子問屋、菓子メーカー、製麺会社と中小の営業を渡り歩いて4社目であった。
彼は56歳、正義感が強く一本気な性格である。相手がだれであろうと、理不尽さや身勝手さ
が許せない性分である。だから、何処の会社でも、いつもオーナーの理不尽さについて行けず、
しだいに疎遠になり、疎んじられ、疎外され始め、最終的には自らが身を引くことになってしまう。
元々オーナーとは理不尽な存在である。自分に対して従順でない社員は可愛くないのである。
「いやなら辞めてもらって結構だ」「おれが嫌いなものは嫌いなのだ」「好き嫌いに理由なぞ無い」
オーナーと相性が良ければいいのだが、オーナーを受け入れられないと次第に態度に出てしまう。
本当は「さすがですねぇ」「すごいですね」と、おだてていれば済むのだが、彼にはそれができない。
そのあたり私と共通するところがあるのか、昔から気が合って今も仲良く付き合ってもらっている。
彼は今回辞めるにあたって「もう人に仕えるのはまっぴら、まだ気力と体力がある内に、これから
10年食っていける商売をやって行きたい」ということで、個人でパスタの店をやることにしたらしい。
彼の実家は島根で仕出し屋をやっていた。今はお兄さんが家業を引き継いでやっているそうだ。
そんなことから飲食業をやりたいというのは彼のDNAの中にあり、昔からの夢でもあったようである。
日頃から「食」に対しては一家言ある方で、自分で料理も作るし、昔は蕎麦打ちまでやっていた。
彼はこの5年間、麺屋の営業として日々多くの店を廻り、流行る店とダメな店を見て来たという。
そして自分が何時かは独立することを前提に、どうすれば失敗しないかを研究してきたそうだ。
だからどんなコンセプトで、どんなメニューで、どんな感じの店作りをするかのプランは持っている。
もともと中小企業のサラリーマンで転職を重ね、マンションのローンも残っているからお金はない。
今回使うお金は100万円と決めている。だから立地の良い店は望むべくもない。自宅の近くで、
裏通りで充分、家賃も7、8万円が理想的。従業員は雇わず一人でやるからカウンターが良い。
太麺のパスタで量も多くし具もたっぷり使って、コンソメスープ付きで1食1000円以下にしたい。
季節季節で旬の食材を使い、「これは旨い」と自信のあるメニューだけをお客さんに出していく。
そんなことを丁寧に積み重ねて行けば、どんな辺鄙な場所でも、お客さんは付いてきてくれる。
これから辞めるまでの2ヶ月の間に店舗を探し、知り合いの大工に内装を頼み、メニューを考え、
材料の仕入ルートを確保して、9月にはオープンしたい。そんなプランを話してくれた。
彼は一週間前、「RAILWAYS」という映画を見に行ったという。
この映画、主人公(中井貴一)は家電メーカーに勤めるサラリーマン。ある日故郷島根で一人で
暮らす母親が倒れたとの知らせが入る。その時、久しぶりに帰省した故郷で「俺はこんな人生を
送りたかったのか…?」と自問自答し、子供の頃に夢見た、電車の運転士になる決意をする…。
そんなたわいもないストーリーであるが、彼にとっては自分の故郷が舞台になった映画である。自分
が生まれ育ってきた美しい田園風景、小さい頃から乗っていた一畑電鉄の古い2両編成の電車。
懐かしさがこみあげ涙したという。この映画のテーマは「自分の夢と向き合い、あきらめない」である。
ちょうど彼の今の心境と合致することになった。オーナーの身勝手さ、理不尽さにじっと耐えてきた。
「生活のためには我慢しなければいけないのか?」、そんな自問自答を繰り返してきたのである。
この6月27日彼の息子が結婚式を挙げる。娘はすでに結婚している。「これで、俺の役目もひと
区切り着く」そんな心境になったのであろう。「後は我々夫婦の生活とローンだけ、もう我慢するの
は止めた」、心の堰は切れ、思い描いていた夢があふれ出て、いよいよ実行することになった。
そんなことを語ってくれる彼の目はキラキラと輝いているように思えた。今までと違ってハツラツとして
体全体に精気があるれているように感じる。「自分でも不思議なのだが、不安は全く無いですよ」
失敗しても100万円、成功するイメージだけ持ってやって行きたい。そんな風に語ってくれる。
今まで私の周りでも飲食業にチャレンジした人は何人もいた。しかし誰も長くは続かなかった。
はたして彼のパスタ屋は旨く行くのだろうかと不安である。裏通りの小さな店のカウンターで一人で
やるパスタ屋がどんなものか、私の中ではイメージできない。彼は不特定多数のお客さんを相手に
商売するのではなく、下町の飲み屋のように、常連さん相手で成り立つパスタ屋にして行くと言う。
どちらにしても会社を辞めることは決定し、矢は放たれた。後は成功を祈るばかりである。
今までの彼はどんなに営業で努力しても、それはオーナーからすれば「当たり前」のことであり、少し
でも成績が悪ければ、「なにやってんだ!どうするんだよ!」と叱責され、プレッシャーをかけてくる。
今回そんなストレスの溜まる環境から脱し、自分が計画し、自分が決め、自分で実行していける。
彼にとっては「自由」を手に入れたような気分なのであろう。しかしそこに大きなリスクも伴ってくる。
「子供も巣立った、後は自己責任」、そんな状況が彼を生き生きさせ、奮い立たせるのだろう。
「自分の夢と向きあって、あきらめない。うらやましいね」と言うと、「いやこれは夢ではないんですよ。
どうして生きて行くか、現実そのものなんです」と彼は言う。確かにそうである。余裕や打算でやる
のではなく、生活を賭けてやる仕事である。それだけ気合が入っていれば成功するかもしれない。
今はそんな風に思っている。
菓子メーカー、菓子問屋、菓子メーカー、製麺会社と中小の営業を渡り歩いて4社目であった。
彼は56歳、正義感が強く一本気な性格である。相手がだれであろうと、理不尽さや身勝手さ
が許せない性分である。だから、何処の会社でも、いつもオーナーの理不尽さについて行けず、
しだいに疎遠になり、疎んじられ、疎外され始め、最終的には自らが身を引くことになってしまう。
元々オーナーとは理不尽な存在である。自分に対して従順でない社員は可愛くないのである。
「いやなら辞めてもらって結構だ」「おれが嫌いなものは嫌いなのだ」「好き嫌いに理由なぞ無い」
オーナーと相性が良ければいいのだが、オーナーを受け入れられないと次第に態度に出てしまう。
本当は「さすがですねぇ」「すごいですね」と、おだてていれば済むのだが、彼にはそれができない。
そのあたり私と共通するところがあるのか、昔から気が合って今も仲良く付き合ってもらっている。
彼は今回辞めるにあたって「もう人に仕えるのはまっぴら、まだ気力と体力がある内に、これから
10年食っていける商売をやって行きたい」ということで、個人でパスタの店をやることにしたらしい。
彼の実家は島根で仕出し屋をやっていた。今はお兄さんが家業を引き継いでやっているそうだ。
そんなことから飲食業をやりたいというのは彼のDNAの中にあり、昔からの夢でもあったようである。
日頃から「食」に対しては一家言ある方で、自分で料理も作るし、昔は蕎麦打ちまでやっていた。
彼はこの5年間、麺屋の営業として日々多くの店を廻り、流行る店とダメな店を見て来たという。
そして自分が何時かは独立することを前提に、どうすれば失敗しないかを研究してきたそうだ。
だからどんなコンセプトで、どんなメニューで、どんな感じの店作りをするかのプランは持っている。
もともと中小企業のサラリーマンで転職を重ね、マンションのローンも残っているからお金はない。
今回使うお金は100万円と決めている。だから立地の良い店は望むべくもない。自宅の近くで、
裏通りで充分、家賃も7、8万円が理想的。従業員は雇わず一人でやるからカウンターが良い。
太麺のパスタで量も多くし具もたっぷり使って、コンソメスープ付きで1食1000円以下にしたい。
季節季節で旬の食材を使い、「これは旨い」と自信のあるメニューだけをお客さんに出していく。
そんなことを丁寧に積み重ねて行けば、どんな辺鄙な場所でも、お客さんは付いてきてくれる。
これから辞めるまでの2ヶ月の間に店舗を探し、知り合いの大工に内装を頼み、メニューを考え、
材料の仕入ルートを確保して、9月にはオープンしたい。そんなプランを話してくれた。
彼は一週間前、「RAILWAYS」という映画を見に行ったという。
この映画、主人公(中井貴一)は家電メーカーに勤めるサラリーマン。ある日故郷島根で一人で
暮らす母親が倒れたとの知らせが入る。その時、久しぶりに帰省した故郷で「俺はこんな人生を
送りたかったのか…?」と自問自答し、子供の頃に夢見た、電車の運転士になる決意をする…。
そんなたわいもないストーリーであるが、彼にとっては自分の故郷が舞台になった映画である。自分
が生まれ育ってきた美しい田園風景、小さい頃から乗っていた一畑電鉄の古い2両編成の電車。
懐かしさがこみあげ涙したという。この映画のテーマは「自分の夢と向き合い、あきらめない」である。
ちょうど彼の今の心境と合致することになった。オーナーの身勝手さ、理不尽さにじっと耐えてきた。
「生活のためには我慢しなければいけないのか?」、そんな自問自答を繰り返してきたのである。
この6月27日彼の息子が結婚式を挙げる。娘はすでに結婚している。「これで、俺の役目もひと
区切り着く」そんな心境になったのであろう。「後は我々夫婦の生活とローンだけ、もう我慢するの
は止めた」、心の堰は切れ、思い描いていた夢があふれ出て、いよいよ実行することになった。
そんなことを語ってくれる彼の目はキラキラと輝いているように思えた。今までと違ってハツラツとして
体全体に精気があるれているように感じる。「自分でも不思議なのだが、不安は全く無いですよ」
失敗しても100万円、成功するイメージだけ持ってやって行きたい。そんな風に語ってくれる。
今まで私の周りでも飲食業にチャレンジした人は何人もいた。しかし誰も長くは続かなかった。
はたして彼のパスタ屋は旨く行くのだろうかと不安である。裏通りの小さな店のカウンターで一人で
やるパスタ屋がどんなものか、私の中ではイメージできない。彼は不特定多数のお客さんを相手に
商売するのではなく、下町の飲み屋のように、常連さん相手で成り立つパスタ屋にして行くと言う。
どちらにしても会社を辞めることは決定し、矢は放たれた。後は成功を祈るばかりである。
今までの彼はどんなに営業で努力しても、それはオーナーからすれば「当たり前」のことであり、少し
でも成績が悪ければ、「なにやってんだ!どうするんだよ!」と叱責され、プレッシャーをかけてくる。
今回そんなストレスの溜まる環境から脱し、自分が計画し、自分が決め、自分で実行していける。
彼にとっては「自由」を手に入れたような気分なのであろう。しかしそこに大きなリスクも伴ってくる。
「子供も巣立った、後は自己責任」、そんな状況が彼を生き生きさせ、奮い立たせるのだろう。
「自分の夢と向きあって、あきらめない。うらやましいね」と言うと、「いやこれは夢ではないんですよ。
どうして生きて行くか、現実そのものなんです」と彼は言う。確かにそうである。余裕や打算でやる
のではなく、生活を賭けてやる仕事である。それだけ気合が入っていれば成功するかもしれない。
今はそんな風に思っている。