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井上内親王を祀る御霊神社本宮へ

五條に行くならどうしてもお参りに行きたいと思っていた神社があります。
3月23日 御霊神社本宮
御祭神は井上内親王です。
第四十九代光仁天皇の皇后で聖武天皇の皇女にて称徳天皇の異母姉です。
宝亀元年(七七〇年)白壁王が即位され光仁天皇となられると同時に
井上内親王は皇后になられ翌年には御子の他戸親王も皇太子となられました。

ところが宝亀三年(七七二年)天皇を呪詛したと疑いをかけられ皇后位を剥奪され、他戸親王も皇太子を廃され、大和国宇智郡(五條市)に幽閉されました。
のち宝亀六年(七七五年)四月二十七日、母子ともに薨去されました。
当時は、連座制といって一族の罪となり服毒させられました。

まるで韓国ドラマでしか見なかったようなことが、
実際には、日本の皇室でもあったのです。
NHK大河ドラマ「ヒカル君へ」の中で藤原氏一族の政権への執着を
見ることができますが、奈良時代に起きた出来事です。

光仁天皇の第一皇子で渡来氏族の高野新笠を母とする山部親王(後の桓武天皇)を擁立する藤原百川の策謀によるものと伝えられています。
冤罪だったのでしょう。

薨去後、都に天変地異が相次ぎ疫病が流行した為、母子の祟りと恐れた天皇は諸国の国分寺の僧侶六百人に金剛般若経の読経をさせ、墳墓を改葬して山陵とし、吉野皇太后の追号を贈り、手篤く慰霊されたそうです。

当時の人々の考えです。
無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨みの心が怨霊となって災いを起こすと恐れました。
しかしその怨霊を丁重にお祀りすれば御霊となり守護してくれる神になるという風に考えるようになりました。
勝手な考えですね。

無実だったにも関わらず処刑された高貴な天皇家の母子。
位の高い人ほど堕ちたときの悔しさ苦しさは壮絶なものがあります。
死後、人々に思われ崇められることで、
この地での自分の役割を果たさなければならない使命を感じるのでしょう。

人は必ず間違いを犯します。
犯した時に赦しをこう姿勢は行動で示さなければなりません。
どんなことがあっても人を許せる自分になれるよう
修行しなければなりません。

たとえ地位や名誉があっても
死後はみんな同じ、残るのは魂だけです。
生きていた時の執着をとり、自分の人生を見つめ、
感謝して元の世界に戻っていける自分になりたいと思いました。

藤原氏おおこした政権争いのデータ、伊上内親王のデータも
全て自分の中にあるデーやなのです。







御祭神
井上内親王(いかみないしんのう)
聖武天皇の皇女・光仁天皇の皇后・後、廃皇后・宇智群没官の宅に流罪・逝去(母子同日暗殺される)。
南脇社殿 : 他戸親王(おさべしんのう)
井上内親王御子・皇太子・後、廃皇太子・宇智群没官の宅に流罪・逝去
北脇社殿 : 早良親王(さわらしんのう)
他戸親王の異母兄弟・桓武天皇の御弟・皇太子・後に長岡遷都にからみ配流。
別宮 : 火雷神(ほのいかづちのかみ)
井上内親王配流の途中御誕生。雷神になられる。御山町に鎮座。
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