
激動の幕末・勝海舟の下に、山岡鉄舟と言う本物の武士が居た!
(本名:山岡鉄太郎)
勝海舟の命を受け、単騎駿府(静岡)の官軍大将・西郷へ辿り着き、無血開城を直談判した。

※駿府会見場所の画像借用
官軍の中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大声で進んだ。
山岡鉄舟は身長188cmの大男で、声が大きく官軍兵は度胆を抜かれた!
◆西郷隆盛が山岡鉄舟に示した、江戸城無血開城の五条件

※残念ながら西郷隆盛像ではない!との曰くつき絵だが借用
一、江戸城を明け渡す。
一、城中の兵を向島に移す。
一、兵器を全て差し出す。
一、軍艦を全て引き渡す。
一、将軍慶喜を備前藩にあずける。
西郷が出した五条件の内、「将軍慶喜を備前藩へおあずけ」は徳川家家臣として西郷の武士道心に
訴え拒否。西郷も山岡の忠誠心に感動し、この条件を取り下げた。
薩摩藩邸での勝&西郷会談には、山岡鉄舟も立ち会った様である。

※会見場所薩摩藩邸跡の画像借用

話しは逸れますが、西郷ドンと大久保利通が並ぶ、若かりし頃唯一の画像(?)借用
◆西郷隆盛の「山岡鉄舟」評
「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人ですが、但しあんな始末に
困る人ならでは、お互い腹を開けて、共に天下の大事を誓い合うわけには参りません。
本当に無我無私の忠胆(ちゅうたん)なる人とは、山岡さんの如き人でしょう。」
明治維新後、西郷隆盛の推薦で明治5年から10年間、明治天皇・侍従として天皇教育に従事した。

※晩年の山岡鉄舟画像借用
◆浜名湖畔の臨済宗大本山「方広寺」に残る山岡鉄舟の書
山岡鉄舟は「剣・書・禅」の達人で、浜名湖畔方広寺に達筆の額・屏風が残る。

※画像借用
10年ほど昔、浜名湖畔の臨済宗大本山「方広寺」を観光した時に、額・屏風を見ました。


※深奥山の大額と屏風文字の画像借用
「書の心」は全くありませんが、躍動する字体にはビックリしました!
当時の「方広寺」館主の大僧侶も、山岡鉄舟の大達筆を知っていてお願いしたんでしょう。
何事に於いても達人だからこそ、こんな字が書けるんでしょうか?
騒乱状態の幕末、無名の「剣・書・禅」で凄い人物が、江戸無血開城&明治維新への扉開けた!
新時代には、この様な「異能」なる人物が、必ず躍り出てきます!
頑張れ、ニッポン!
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