今死んだら世の役には何も立ってません!!
何か恩返しができる人間に成長しないとね・・・
海外 感動 「貧しい村を救ったひとりの日本人…そして彼は長老となった」 日本とガーナの「歴史的な絆」【海外が仰天する日本の力】
【武辺寛則】知って欲しい こんな若者がいたことを『世界と日本の知られざる絆』
武辺寛則さんの話しです#偉人
更新日: 2015年05月01日
hiko30さん
http://matome.naver.jp/odai/2140426454997701001
ドバイ経由(11時間)3時間待ちでガーナはここから8時間ほどです
ガーナで黄熱病の研究をし研究室には銅像も建てられているあの野口英世よりも有名な日本人として
現地で語り継がれている人物です。
ボランティアのサイトに武辺寛則さんの功績が書かれていました。
意志ある所、道は通じる - JICAボランティア
http://www.jica.go.jp/volunteer/outline/story/ghana/
長崎県出身の 武辺寛則 (たけべ ひろのり)さんは、大学を卒業後に商社へ就職。25歳の時に会社を退職し、
少年時代からの夢をかなえるために、青年海外協力隊に参加した。
そして1986年12月、ガーナの首都アクラから西に120km離れた、アチュワ村へ
1986年(昭和61年)12月、25歳のときにアフリカの秘境・ガーナのアチュワ村にひとりの青年海外協力隊員として派遣
出典【ガーナ・アチュワ村を救った日本人「武辺寛則(たけべひろのり)」について】ありえへん
∞世界「世界と日本の知られざる絆~知られざる波瀾万丈な日本人~」-7月1日(火)18時57分~ | サッポコ
ガーナでの活動①養鶏
ガーナでの活動②パイナップル栽培
養鶏に力を入れ活動を始めました。
始めは日本から来た若者にアチュワ村の人達は警戒し、全く信用をしてもらえませんでした。
次に長期的にアチュワ村の収入を向上させる為に、少ないながらももともとパイナップルの栽培をしていたこともあり、
パイナップルファームを拡大するプロジェクトを立ち上げました。
当時は何人かが栽培していただけでした。
意志ある所 道は通じる
1年間に3回もマラリアに感染して生死の境をさまよったが生還すれば畑を耕す日々を送った。
すると以前はサボっていた村人達が真面目に手伝うようになった。
ところが真っ先に行った日本の大使館に断られてしまった
20カ国の大使館を回って、縁もゆかりもない他の国の大使館がやっと援助をしてくれることになりました
それから半年後耕作面積は以前の50倍に増え、そして現在は年に5,000㌧の収穫量を誇っている
電気も水道も引かれ村の生活は向上したのだった。
村人は彼を忘れないようにパイナップルを高く掲げた記念碑を村の中心に建てたのだった。
長老になり貧しい村を救い27歳で亡くなった武辺寛則
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