両親が居なくなった事は本人が考える事であり
親が心配する事ではないと思いますけど・・・・・
「私たちがいなくなったら、どうするの?」
40代引きこもり息子に対する母親の悲痛な想い
http://diamond.jp/articles/-/10478
地方都市に住む森本幸代さん(仮名=75歳)の1人息子、繁樹さん(43歳)が、自宅に引きこもるようになってから、すでに12年が経つ。
大学を卒業後、都内の流通会社に勤務していた繁樹さんが突然リストラに遭ったのは、98年頃のことだ。日本ではバブル経済がはじけて、まさかつぶれるとは思えなかった山一証券などの大きな会社が次々に廃業していた。
リストラの兆候はあった。
繁樹さんは就職した当初から、昼間のローテーションで勤務していたのに、解雇前、突然、夜の勤務体制にシフト替えを命じられたのだ。
夜になると出勤して、朝、家に帰る毎日。それでも、繁樹さんは一生懸命、仕事で頑張っていた。しかし、昼夜逆転生活への転換は、体調を崩す一因にもなり、上司から「もう会社に来なくていい」といわれてしまう。
リストラされてからというもの、繁樹さんが仕事を探すことはなかった。それまでの給料をほとんど使わずに貯めていたため、会社を解雇されてから、パソコンとCDプレーヤーを購入。昼も夜もネットにハマるようになり、居間のテレビを見に来ることもないほど、1日の大半は部屋にこもって、パソコンなどにのめり込んだ。
エリート意識の高い父親は
10年以上、息子と話をしていない
当時、一家は都内に住んでいた。
父親(78歳)は、大手メーカーを定年退職。以来、家族は父親の年金を頼りに生活を続けている。
元々エリート意識が高い父親は、すでに10年以上前から、息子とまったく話をしない。それどころか、お互いに一切、目を合わせようとしなかった。
繁樹さんが子どもの頃は、一緒に山に登ったり、旅行に行ったり、楽しかった頃の家族の思い出がある。なぜ父子の間のコミュニケーションがなくなってしまったのか。幸代さんには、思い当たる節がある。
繁樹さんが高校時代の頃、父親が単身赴任していたことがあった。その頃から、2人はあまり話さなくなり、関係がぎくしゃくするようになったという。
それでも、繁樹さんは夕食のときになると部屋から出てきて、会話はなくとも、父親と幸代さんの3人で一緒に食事していた。
そんなある日、「定年退職したら都会を出て、有機野菜づくりをしたい」といっていた父親は、地方都市への移住を決めた。
70歳を超えたら、引っ越すのもしんどくなる。「出るなら、いまだ」との思いもあったようだ。
ただ、幸代さんは繁樹さんに、「東京に残りたかったら、無理に私たちについてこなくていいのよ」といった。すると意外なことに、本人は一緒に移住することを希望した。
環境が変わっても、繁樹さんの引きこもり生活は、何事もなかったようにずっと続いていた。
ただ1つ変わったのは、繁樹さんも野菜作りに興味を持ったことだ。
野菜作りに打ち込みすぎる息子を
ついつい叱ってしまい…
父親は、土地を借りて、毎朝、畑に出かける。そして、週に1度、図書館に出かけると、たくさんの書籍を借りてきて、午後は静かに読書していた。まさに、晴耕雨読の毎日だ。
そこで繁樹さんも、父親とは別に畑で有機野菜作りを始めたのである。
繁樹さんは、イモ、カボチャ、ナス、トマト、ネギ、ニンジンなどの有機野菜や果物を一生懸命作った。作物があまりにたくさん実り過ぎたのだろう。繁樹さんは、それらの野菜を家にあるミキサーでジュースにした。
ある日、幸代さんが帰宅すると、野菜ジュースの入った2リットルのペットボトルがズラリと並べられていたので驚いた。
「こんなにたくさん作っちゃって、冷蔵庫にも入りきらないし、誰が飲むの? 作るよりもまず、売ることを考えたらどうなの!」
つい大声で怒ってしまった。
叱ったことがプレッシャーになったのだろう。以来、繁樹さんは、部屋からしばらく出てこなくなり、夕食のときに、家族で一緒に食事することもなくなった。
「お母さんの作った料理を食べられないのなら、自分で何とかしないと、体も参っちゃうでしょ。弁当ばかり買ってきても仕方がないし、食事代を渡すから、自分で作って食べなさい。台所の調味料はすべて使ってもいいから」
幸代さんは、そう話しかけた。
返事は返ってこないが、
母親は息子に声をかけ続ける
繁樹さんは、必要な言葉以外、何もしゃべらない。幸代さんが「~やったの?」などと聞いても、返ってくるのは「した」「やった」「違う」といった一言だけだ。
夕方になると、繁樹さんは自転車に乗って、コンビニやスーパーなどへ買い物に出かけていく。出ていくときに、幸代さんが「行ってらっしゃい」と声をかけても、返事が返ってくることはない。
しかし、夜には必ず帰ってくる。毎日、自分で献立を考えて、台所に出てきて、自分で料理をつくっているのだ。帰ってきたなと気配を感じると「おかえり!」と声をかけるのだが、やはり「ただいま!」と返ってくることはない。
ただ、繁樹さんが自分で料理をつくっているときは、楽しんでやっているように見える。炒め物などをつくっていると、結構いい匂いが漂ってくるのだ。
「いい匂いがするね」
そう声をかけると、一瞬、ニコッと笑顔を見せる。子どもの頃に見せていた表情だなと、幸代さんは思った。
繁樹さんは性格的に、何事もやり始めると、ガーッとまっすぐに打ち込む。しかし少しショックを受けると、倒れてしまって立ち直れなくなるタイプだ。
だから、野菜を作り過ぎてジュースにしていた事件の後、幸代さんは「いい過ぎた」と謝罪した。そして、「これからはダーッとやらないで、何でもボチボチやるようにしなさい」とアドバイスした。
繁樹さんはいま、野菜を自分で食べる分だけの量に調節して育てている。
叱ったことがプレッシャーになったのだろう。以来、繁樹さんは、部屋からしばらく出てこなくなり、夕食のときに、家族で一緒に食事することもなくなった。
「お母さんの作った料理を食べられないのなら、自分で何とかしないと、体も参っちゃうでしょ。弁当ばかり買ってきても仕方がないし、食事代を渡すから、自分で作って食べなさい。台所の調味料はすべて使ってもいいから」
幸代さんは、そう話しかけた。
返事は返ってこないが、
母親は息子に声をかけ続ける
繁樹さんは、必要な言葉以外、何もしゃべらない。幸代さんが「~やったの?」などと聞いても、返ってくるのは「した」「やった」「違う」といった一言だけだ。
夕方になると、繁樹さんは自転車に乗って、コンビニやスーパーなどへ買い物に出かけていく。出ていくときに、幸代さんが「行ってらっしゃい」と声をかけても、返事が返ってくることはない。
しかし、夜には必ず帰ってくる。毎日、自分で献立を考えて、台所に出てきて、自分で料理をつくっているのだ。帰ってきたなと気配を感じると「おかえり!」と声をかけるのだが、やはり「ただいま!」と返ってくることはない。
ただ、繁樹さんが自分で料理をつくっているときは、楽しんでやっているように見える。炒め物などをつくっていると、結構いい匂いが漂ってくるのだ。
「いい匂いがするね」
そう声をかけると、一瞬、ニコッと笑顔を見せる。子どもの頃に見せていた表情だなと、幸代さんは思った。
繁樹さんは性格的に、何事もやり始めると、ガーッとまっすぐに打ち込む。しかし少しショックを受けると、倒れてしまって立ち直れなくなるタイプだ。
だから、野菜を作り過ぎてジュースにしていた事件の後、幸代さんは「いい過ぎた」と謝罪した。そして、「これからはダーッとやらないで、何でもボチボチやるようにしなさい」とアドバイスした。
繁樹さんはいま、野菜を自分で食べる分だけの量に調節して育てている。
野菜が収穫できると、部屋にズラリと並べて置いてあった。ご飯を炊くときに、カボチャやイモを入れて、食べているようなのだ。
「子どもの頃、『ご飯が甘くなって、美味しくなるのよ』といって食べさせていたことでも思い出しているのだろうか」
と、幸代さんはふと思う。
医者に行くことさえ拒むように…
経済的自立や人間関係の構築は難しいのか
ブランド物は一切買わないし、興味もない。ジーパンを1枚買ったら、何年でもずっと穿き続けている。自分は食べさせてもらっていることはわかっているようで、贅沢は一切口にしない。
洗濯も「すべて自分でやるから」というので、繁樹さんに任せている。しかし、家事はできるのに、経済的には自立できていないし、人間関係のつながりはない。
繁樹さんが突然、原因不明の40度を超える高熱を出したことがあった。冷やしても、冷やしても、熱は下がらない。
「医師にかからなかったら、死ぬよ」
幸代さんはそういって病院へ連れていこうとしたが、繁樹さんは「いい」といって断った。
「医師に診てもらうと、問診されるのが嫌だ」というのが、診療を受けようとしない理由だ。
仕方がないので、近くの医療機関に電話して、事情を説明した。
「そういう患者さん、うちにはたくさんいますよ。まずお母さんが来てください」
そう医師にいわれて、幸代さんが訪ねると、「息子さんは男性なので、お母さんの名前では薬を出すことができません。本当は違法ですが、お父さんの名前で、解熱剤を出しておきます。症状がわかれば、出す薬は同じですから」と、内緒で薬をもらって帰ってきた。
繁樹さんは結局、5日間、熱にうなされた。「引きこもっているのに、風邪をひくとは…」と、幸代さんには、鬼の撹乱のような感じがした。しかし、同じような人が他にもたくさんいると聞いて、なぜかホッとした。そして、医師の柔軟な配慮が、ありがたかった。
「自立してもらいたい…」
母親の想いは息子や行政に届くか
「生活くらいは自立してもらわないと…。私らがいなくなったら、どうやって生活していくのか?」
幸代さんは、息子の将来への不安を隠せない。
「こんなことしていられるのも、お父さんが生きている間だけよ。お父さんがいなくなったら、経済的に家に置いておくことはできない。何としても働いてもらうか、何かしてもらわないと困るよ」
幸代さんがそういうと、繁樹さんは黙って聞いていた。本人なりに、いろいろ考えているのだろう。
人と話さなければいけないような人間関係が必要な仕事は、息子のような特性を持ち、40歳を過ぎたら、もう無理なのではないか。でも、1人でコツコツとできるような仕事が、こんな厳しい雇用情勢の世の中にあるのだろうかと、幸代さんは考える。
繁樹さんも「働かなければいけない」とは思っているようだ。なぜなら、部屋で毎日、ダンベルを持って運動しているという。自転車に乗れば、20キロ先でも30キロ先でも出かけていくことができる。
人は、誰でも同じではない。価値観の違う人を排除するのではなく、そういう人たちがいることを理解してもらい、すぐにおカネにならなくてもいいから働ける居場所がどこかにできないものか。
幸代さんは最近も、街を訪れた知事との対話集会でそう訴えたものの、知事はこんな家族の気持ちなど知ってか知らずか、まったく話を理解できていなかったという。
発売中の拙著『ドキュメント ひきこもり~「長期化」と「高年齢化」の実態~』(宝島社新書)では、このように、いまの日本という国が、膨大な数の「引きこもり」を輩出し続ける根源的な問いを追い求め、当事者や家族らの語る“壮絶な現場”をリポートしています。ぜひご一読ください。
親が心配する事ではないと思いますけど・・・・・
「私たちがいなくなったら、どうするの?」
40代引きこもり息子に対する母親の悲痛な想い
http://diamond.jp/articles/-/10478
地方都市に住む森本幸代さん(仮名=75歳)の1人息子、繁樹さん(43歳)が、自宅に引きこもるようになってから、すでに12年が経つ。
大学を卒業後、都内の流通会社に勤務していた繁樹さんが突然リストラに遭ったのは、98年頃のことだ。日本ではバブル経済がはじけて、まさかつぶれるとは思えなかった山一証券などの大きな会社が次々に廃業していた。
リストラの兆候はあった。
繁樹さんは就職した当初から、昼間のローテーションで勤務していたのに、解雇前、突然、夜の勤務体制にシフト替えを命じられたのだ。
夜になると出勤して、朝、家に帰る毎日。それでも、繁樹さんは一生懸命、仕事で頑張っていた。しかし、昼夜逆転生活への転換は、体調を崩す一因にもなり、上司から「もう会社に来なくていい」といわれてしまう。
リストラされてからというもの、繁樹さんが仕事を探すことはなかった。それまでの給料をほとんど使わずに貯めていたため、会社を解雇されてから、パソコンとCDプレーヤーを購入。昼も夜もネットにハマるようになり、居間のテレビを見に来ることもないほど、1日の大半は部屋にこもって、パソコンなどにのめり込んだ。
エリート意識の高い父親は
10年以上、息子と話をしていない
当時、一家は都内に住んでいた。
父親(78歳)は、大手メーカーを定年退職。以来、家族は父親の年金を頼りに生活を続けている。
元々エリート意識が高い父親は、すでに10年以上前から、息子とまったく話をしない。それどころか、お互いに一切、目を合わせようとしなかった。
繁樹さんが子どもの頃は、一緒に山に登ったり、旅行に行ったり、楽しかった頃の家族の思い出がある。なぜ父子の間のコミュニケーションがなくなってしまったのか。幸代さんには、思い当たる節がある。
繁樹さんが高校時代の頃、父親が単身赴任していたことがあった。その頃から、2人はあまり話さなくなり、関係がぎくしゃくするようになったという。
それでも、繁樹さんは夕食のときになると部屋から出てきて、会話はなくとも、父親と幸代さんの3人で一緒に食事していた。
そんなある日、「定年退職したら都会を出て、有機野菜づくりをしたい」といっていた父親は、地方都市への移住を決めた。
70歳を超えたら、引っ越すのもしんどくなる。「出るなら、いまだ」との思いもあったようだ。
ただ、幸代さんは繁樹さんに、「東京に残りたかったら、無理に私たちについてこなくていいのよ」といった。すると意外なことに、本人は一緒に移住することを希望した。
環境が変わっても、繁樹さんの引きこもり生活は、何事もなかったようにずっと続いていた。
ただ1つ変わったのは、繁樹さんも野菜作りに興味を持ったことだ。
野菜作りに打ち込みすぎる息子を
ついつい叱ってしまい…
父親は、土地を借りて、毎朝、畑に出かける。そして、週に1度、図書館に出かけると、たくさんの書籍を借りてきて、午後は静かに読書していた。まさに、晴耕雨読の毎日だ。
そこで繁樹さんも、父親とは別に畑で有機野菜作りを始めたのである。
繁樹さんは、イモ、カボチャ、ナス、トマト、ネギ、ニンジンなどの有機野菜や果物を一生懸命作った。作物があまりにたくさん実り過ぎたのだろう。繁樹さんは、それらの野菜を家にあるミキサーでジュースにした。
ある日、幸代さんが帰宅すると、野菜ジュースの入った2リットルのペットボトルがズラリと並べられていたので驚いた。
「こんなにたくさん作っちゃって、冷蔵庫にも入りきらないし、誰が飲むの? 作るよりもまず、売ることを考えたらどうなの!」
つい大声で怒ってしまった。
叱ったことがプレッシャーになったのだろう。以来、繁樹さんは、部屋からしばらく出てこなくなり、夕食のときに、家族で一緒に食事することもなくなった。
「お母さんの作った料理を食べられないのなら、自分で何とかしないと、体も参っちゃうでしょ。弁当ばかり買ってきても仕方がないし、食事代を渡すから、自分で作って食べなさい。台所の調味料はすべて使ってもいいから」
幸代さんは、そう話しかけた。
返事は返ってこないが、
母親は息子に声をかけ続ける
繁樹さんは、必要な言葉以外、何もしゃべらない。幸代さんが「~やったの?」などと聞いても、返ってくるのは「した」「やった」「違う」といった一言だけだ。
夕方になると、繁樹さんは自転車に乗って、コンビニやスーパーなどへ買い物に出かけていく。出ていくときに、幸代さんが「行ってらっしゃい」と声をかけても、返事が返ってくることはない。
しかし、夜には必ず帰ってくる。毎日、自分で献立を考えて、台所に出てきて、自分で料理をつくっているのだ。帰ってきたなと気配を感じると「おかえり!」と声をかけるのだが、やはり「ただいま!」と返ってくることはない。
ただ、繁樹さんが自分で料理をつくっているときは、楽しんでやっているように見える。炒め物などをつくっていると、結構いい匂いが漂ってくるのだ。
「いい匂いがするね」
そう声をかけると、一瞬、ニコッと笑顔を見せる。子どもの頃に見せていた表情だなと、幸代さんは思った。
繁樹さんは性格的に、何事もやり始めると、ガーッとまっすぐに打ち込む。しかし少しショックを受けると、倒れてしまって立ち直れなくなるタイプだ。
だから、野菜を作り過ぎてジュースにしていた事件の後、幸代さんは「いい過ぎた」と謝罪した。そして、「これからはダーッとやらないで、何でもボチボチやるようにしなさい」とアドバイスした。
繁樹さんはいま、野菜を自分で食べる分だけの量に調節して育てている。
叱ったことがプレッシャーになったのだろう。以来、繁樹さんは、部屋からしばらく出てこなくなり、夕食のときに、家族で一緒に食事することもなくなった。
「お母さんの作った料理を食べられないのなら、自分で何とかしないと、体も参っちゃうでしょ。弁当ばかり買ってきても仕方がないし、食事代を渡すから、自分で作って食べなさい。台所の調味料はすべて使ってもいいから」
幸代さんは、そう話しかけた。
返事は返ってこないが、
母親は息子に声をかけ続ける
繁樹さんは、必要な言葉以外、何もしゃべらない。幸代さんが「~やったの?」などと聞いても、返ってくるのは「した」「やった」「違う」といった一言だけだ。
夕方になると、繁樹さんは自転車に乗って、コンビニやスーパーなどへ買い物に出かけていく。出ていくときに、幸代さんが「行ってらっしゃい」と声をかけても、返事が返ってくることはない。
しかし、夜には必ず帰ってくる。毎日、自分で献立を考えて、台所に出てきて、自分で料理をつくっているのだ。帰ってきたなと気配を感じると「おかえり!」と声をかけるのだが、やはり「ただいま!」と返ってくることはない。
ただ、繁樹さんが自分で料理をつくっているときは、楽しんでやっているように見える。炒め物などをつくっていると、結構いい匂いが漂ってくるのだ。
「いい匂いがするね」
そう声をかけると、一瞬、ニコッと笑顔を見せる。子どもの頃に見せていた表情だなと、幸代さんは思った。
繁樹さんは性格的に、何事もやり始めると、ガーッとまっすぐに打ち込む。しかし少しショックを受けると、倒れてしまって立ち直れなくなるタイプだ。
だから、野菜を作り過ぎてジュースにしていた事件の後、幸代さんは「いい過ぎた」と謝罪した。そして、「これからはダーッとやらないで、何でもボチボチやるようにしなさい」とアドバイスした。
繁樹さんはいま、野菜を自分で食べる分だけの量に調節して育てている。
野菜が収穫できると、部屋にズラリと並べて置いてあった。ご飯を炊くときに、カボチャやイモを入れて、食べているようなのだ。
「子どもの頃、『ご飯が甘くなって、美味しくなるのよ』といって食べさせていたことでも思い出しているのだろうか」
と、幸代さんはふと思う。
医者に行くことさえ拒むように…
経済的自立や人間関係の構築は難しいのか
ブランド物は一切買わないし、興味もない。ジーパンを1枚買ったら、何年でもずっと穿き続けている。自分は食べさせてもらっていることはわかっているようで、贅沢は一切口にしない。
洗濯も「すべて自分でやるから」というので、繁樹さんに任せている。しかし、家事はできるのに、経済的には自立できていないし、人間関係のつながりはない。
繁樹さんが突然、原因不明の40度を超える高熱を出したことがあった。冷やしても、冷やしても、熱は下がらない。
「医師にかからなかったら、死ぬよ」
幸代さんはそういって病院へ連れていこうとしたが、繁樹さんは「いい」といって断った。
「医師に診てもらうと、問診されるのが嫌だ」というのが、診療を受けようとしない理由だ。
仕方がないので、近くの医療機関に電話して、事情を説明した。
「そういう患者さん、うちにはたくさんいますよ。まずお母さんが来てください」
そう医師にいわれて、幸代さんが訪ねると、「息子さんは男性なので、お母さんの名前では薬を出すことができません。本当は違法ですが、お父さんの名前で、解熱剤を出しておきます。症状がわかれば、出す薬は同じですから」と、内緒で薬をもらって帰ってきた。
繁樹さんは結局、5日間、熱にうなされた。「引きこもっているのに、風邪をひくとは…」と、幸代さんには、鬼の撹乱のような感じがした。しかし、同じような人が他にもたくさんいると聞いて、なぜかホッとした。そして、医師の柔軟な配慮が、ありがたかった。
「自立してもらいたい…」
母親の想いは息子や行政に届くか
「生活くらいは自立してもらわないと…。私らがいなくなったら、どうやって生活していくのか?」
幸代さんは、息子の将来への不安を隠せない。
「こんなことしていられるのも、お父さんが生きている間だけよ。お父さんがいなくなったら、経済的に家に置いておくことはできない。何としても働いてもらうか、何かしてもらわないと困るよ」
幸代さんがそういうと、繁樹さんは黙って聞いていた。本人なりに、いろいろ考えているのだろう。
人と話さなければいけないような人間関係が必要な仕事は、息子のような特性を持ち、40歳を過ぎたら、もう無理なのではないか。でも、1人でコツコツとできるような仕事が、こんな厳しい雇用情勢の世の中にあるのだろうかと、幸代さんは考える。
繁樹さんも「働かなければいけない」とは思っているようだ。なぜなら、部屋で毎日、ダンベルを持って運動しているという。自転車に乗れば、20キロ先でも30キロ先でも出かけていくことができる。
人は、誰でも同じではない。価値観の違う人を排除するのではなく、そういう人たちがいることを理解してもらい、すぐにおカネにならなくてもいいから働ける居場所がどこかにできないものか。
幸代さんは最近も、街を訪れた知事との対話集会でそう訴えたものの、知事はこんな家族の気持ちなど知ってか知らずか、まったく話を理解できていなかったという。
発売中の拙著『ドキュメント ひきこもり~「長期化」と「高年齢化」の実態~』(宝島社新書)では、このように、いまの日本という国が、膨大な数の「引きこもり」を輩出し続ける根源的な問いを追い求め、当事者や家族らの語る“壮絶な現場”をリポートしています。ぜひご一読ください。
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