類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

死ぬよりはまし、離島で暮らそう!

2010-02-06 14:53:52 | Weblog
生活が大変!

お金で苦しむ!

人間関係で苦しむ!

家庭関係で苦しむ!

ならば死の選択をと考える。

しかし、一言!

不幸は、苦悩はこの人生で自分一人だけが背負ったもの?

それは無理だ。一人では到底背負いきれない。

ならばもう一度、考えて!

日本から離れる。

少なくとも今の生活から離れる。

そうするとこの地球や世界がどんなに残酷でどんなに自由であったかが理解できる。

そうです。

異国でもいい。

離島へ出掛けるのだ。

そして、この地球には新たな世界があることを!

新たな生き方や人生があることを知るだろう。

昔、武者小路実篤が描いた正に「新しき村だ」。

それを今、信じてアクションを起こすのだ。

そうすればこの世の中、決して捨てたものではないことが分かるはずだ。

我々は父や母が背に背負い、子孫の誕生に歓喜したように!

そのことを思い出すのだ。

決して単なる死の選択はしないでくれ。

それが最後のお願いだ。

無味乾燥の生活

2010-02-06 14:51:00 | Weblog
朝、固めの広いベッドの上で一人目覚めた。

12月半ばだが既に昔のように眠さで布団から出られないということはなくなっている。

ベッドに横たわった時も起き上がった時もこれと言う感動も眠気の感覚もなかった。

すぐに足元の先にある机の上のパソコンのスイッチを入れる。

それが日課であり、毎日の習慣であった。

この先も特に予定があるわけではない。それを続けているだけなのだ。

反射的に特別の興奮もなく単なる普段の動作以外の何物もない。

それ以上の希望や期待や情熱はない。

ただ毎日をパソコンと過ごす。肌身離さぬ書籍の山に囲まれた青春時代の生活のように

今、パソコンと向かい合う。

旅立ち

2010-02-06 14:50:02 | Weblog
日本を諦めた.つまり、逃避したのだ。だが死の選択ではない。

新たな宇宙に惹かれたのだ。地球を歩くこと、見知らぬ世界を、

見知らぬ街を彷徨うことで真実を確かめられると信じた。

それは更に生き抜くための選択だった。

果てしなく遠回りの不毛に近い生き方だった。

その結果は皮肉だ。日本人のDNAが光り輝き勢いを増したからだ。

その時、国際人としての日本人を100%味わった。

日本民族としての自覚と区別の辛酸を味わった。

頑固な考古の砂漠の環境に身を置いたからこそ、

更には反日の冷酷と非情の中で忍耐を強いられたからこそ

祖国愛に支えられて立ち上がった。

飛行場は成田だった。

重いリュックとトランクを手にした姿は日本に決別する最後の瞬間だった。

何故か?兄親族が嬉しそうにこの時だけ見送りにわざわざやって来た。

恰も葬送曲を奏でるように・・・・・・。

それは皮肉な笑みの絶縁を意味したからだ。

絶望から絶望へ、地獄から地獄へ

2010-02-06 14:48:42 | Weblog

愚民と山賊が屯する無限の砂漠の不毛地帯に足を踏み入れて

しまった。

しかし、唯一の命綱のパソコンを抱えて一人山小屋で自炊生活

の生存。

運命は選択されたがDNAがダイヤモンドように一段と硬く、

強烈に光り輝く。

もし、祖国に帰還できるならたとえ監獄であろうとも栄誉である。

20歳の時に死ぬことができなかった行く末の抜け殻の人生には

今、この古代の貧しい永遠の絶望と地獄が広がる現実の廃墟

のような不毛世界が相応しいのかも知れない。

果たして第二の人生を無駄に送ってしまったのだろうか。

否、死と向き合う極限の中で自己の本来の姿を見出したのだ。

自分の原点と出会えたことで苦悩の人生は喜びに値するのだ。

救われない人生の深淵に今、一人呟く。

類人エン

2010-02-06 14:45:53 | Weblog
モンスーンが吹きすさぶ。

廃墟の平原に嵐が襲う。

大陸の砂漠に命が一つ。

類人エンと呼ぶ。

13億人の廃墟の中で不毛の生活を強いる。

人間を飛び越えてサルになるがサル社会からも決して受容はされない。

四足でも二本足でも野生の平原とジャングルを駆け巡ることは得てではなく

果ては砂漠の荒野を遠くから臨むなり。

故に類人エンと命名する。