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親という存在は自分そのもの

2007年03月10日 20時30分59秒 | 友達

僕の友達に、親に暴力を振るう子が一人いる。
まぁ、反抗期というのならそれはそれでいいのだが、他人(=僕)が居る目の前で、母親を殴ろうとしたり、うがいした水を父親の頭上から吐き出したりするのである。

その子とは中学校からの友達なのだが、最近は親さんとも仲良くなって、ウチの親とも仲が良くて、まるで親戚のようになりつつあった。

で、数日前にお家へ泊まらせてもらったら、そういう状況を目の当たりにしてしまった、
というわけだ。

僕は何度か、「親に対してそんな態度は無いだろう!」 と言ったのだが聞き入れてはくれず、自分が間違っているのだと自覚している様子も見られない。
その子の両親は、少なからず我が子に怯えているようにさえ感じられた。どれだけ気を使って喋っても殴られるのだから・・・
ならば僕が引っぱたいてやろうかと思ったが、、、 遊びで泊まりに来ている僕が両親の見ている前でそんなことをするのもなぁ、、、 とも思い、結局は何もしなかった。

翌朝、その子は一向に、僕には優しいが自分の親には鬼の様だった。
親をないがしろにする様子を見せられている僕の気持ちなどお構いなしだ。

親に罵声を浴びせるようなことをするのがさも普段どおりという様子。

もう僕は、居心地の悪さに耐えられないのと、その友達に愛想が尽きて帰宅した。


これまでいろんな理由で付き合いきれなくなった友達が居るが、親に対する態度を見て嫌いになったのはこれが初めてだ。

自分の親を敬うというのは、自分で学ぶべき当たり前のことで、それが分からない人間は、何をやってもダメだと思う。
親に感謝できないことほど、みじめなものは無い。
また、親をないがしろにするのは、「私は愚かな人間です!」と大声で叫ぶのと同じことだと思う。

以前ブログにも書いたかも知れないが、
僕は小4まで親と離れ離れに暮らして、中1のとき両親に離婚された。
気がついて見れば僕は、心のどこかに穴が開いていて、今でも隙間風がそこを通るような感じがする。
もし自分が普通の家庭に生まれていたら、そんな“穴”は無かっただろうと思う。
だから学校で、耕平くんから「昨日家族で夕飯食べに行った」とか、竜一くんから「家族お揃いの服を買った」とかいう話を聞いたとき、顔では笑いながら話を聞いていても、心の中では、うらやましさのあまり泣いていた。

それなのに、両親が揃って、立派な家に住んでいるその友達は、何が気に入らないのか、親に向かって怒鳴り、殴り、話しかけられても返事すらしない。
僕がそれを注意しても無視されたときには、もう、友達では居られないと思った。

そいつは、自分の親を痛めつけることをどう思っているのだろうか・・・


あぁ、ひとつ付け加えておこう。
僕は、両親の離婚が、不幸な出来事だったとは思っていない。
自分を寂しさのどん底に突き落としたのは親だと恨んだこともあったが・・・
父と母は離婚したって、自分のことを愛してくれているのだと、そう思うようになってから、心の穴は埋まりつつある。
それに、両親の離婚は、自分が親のありがたみを知る良い機会になったと思う。
いろんな意味で、普通の家庭には当たり前のようにあるものを失ったからこそ、その
「失ったもの」がどれほどありがたいものなのかを痛感した。


それらがあって当たり前だと思っているどころか、感謝すべき親を痛めつけるから許せない。

いや、許せないというより、僕自身が傷ついた・・・


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