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中山道鳥居本宿(後半)

2014年09月27日 | 旅行

前回に引き続き,中山道鳥居本宿の後半です。

 

本陣の前には,合羽屋の木綿屋嘉右衛門があります。鳥居本宿から先の江戸へは雨の多い峠の山道が続きます。旅人とって必需品だった「合羽」をこの鳥居本宿で調達していたようです。

鳥居本合羽」は,ベンガラ塗の赤い色が特徴で,当時「赤玉神教丸」,「鳥居本西瓜」と並び「鳥居本三赤」と呼ばれていました。

鳥居本での「合羽」の製造は,江戸時代後期に15軒,大正時代に20軒ほどありましたが,1970年代に終焉しています。今は当時の名残りを残す看板だけが残っています。

三つ目の赤,「鳥居本西瓜」は甘く美味しい西瓜だったようですが,皮が厚く不評で,この赤もいつの間にか消えてしまっています。

 

ここから,京方面に向かって行くと,当時の看板を屋根に掲げた合羽屋,松屋松本宇之輔もあります。

松屋も,戦後早くに縄づくりに転業し,その後廃業しています。この家屋は,2001年に昔の雰囲気を残し改修されています。

 

松屋から,さらに京方面に歩いていくと,彦根道(朝鮮人街道)との分岐点に差しかかります。京へは約70kmです。この道標は,1817年に建立されたものだそうです。

彦根道は,石田三成の居城のあった佐和山城の南側の切通し道から,彦根城下,安土,近江八幡を経て再び中山道に通ずる41.2kmの脇道です。左が中山道京方面,正面が彦根道です。

この脇道は,徳川将軍が上洛するときの専用道で,参勤交代の大名も通行を許されていませんでした。唯一,朝鮮使節の通行が認められていたため,この道は「朝鮮人街道」とも呼ばれています。

 

鳥居本宿は,有名な観光地ではないので,華やかな賑わいはありませんが,当時の面影と落ち着きを残しています。旅人が行き交った当時を思い浮かべながら,ゆっくりと町並み散策をすることができました。

 

鳥居本駅を出発して,1時間弱で鳥居本宿を散策して戻ってくることができました。昼間1時間に1本の近江鉄道の待ち時間にちょうどいい時間です。

今回,京都に行く途中に米原駅で下車して,鳥居本駅と鳥居本宿を訪れました。観光地化している所では味わえない雰囲気を感じることができました。

あまり知られていない旧街道の宿場町をふらーっと歩いてみるのもいいものですね。

 


【中山道鳥居本宿スライドショー】  


近江鉄道 時刻表

米原駅 鳥居本駅(米原方面) 鳥居本駅(彦根方面) 


1 コメント

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時の流れ (Malilipot)
2014-09-28 14:40:37
ひろべぇーさん、今日は!!

中山道は江戸からは中仙道なのですね。
東京やその近郊は道路の拡張や高速道路などで昔の面影は全く有りません。
私の通って居た高校が板橋宿の近くでしたので昔の中仙道は少しは旧道として判ります。

東京近郊は開発が進み昔の名残を探すのも苦労しますね。
たて看板も少なく散策するのも大変だと思います。
東京から離れた地方は自然や史跡の保存が良いので中山道の探訪も楽しいですね。
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