癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■【臓器移植】初の6才未満臓器提供者の親の心の葛藤と決心にエール

2012年06月15日 17時17分54秒 | 闘 病

                


6歳未満の男児の臓器摘出について記者会見する
富山大病院の井上博院長


富山大学付属病院(富山市)に、脳に十分な酸素が供給されない低酸素性脳症で入院中の6歳未満の男児が14日午後2時11分、改正臓器移植法に基づいて脳死と判定された。

 日本臓器移植ネットワークが同日、発表した。心臓と肝臓、二つの腎臓を移植するため、15日正午ごろから摘出手術を始める予定だ。今回、移植が行われると、15歳未満の子どもでは国内2例目、判定基準がより厳しい6歳未満の幼児としては初の臓器提供例となる。

 14日午後7時から記者会見した移植ネットワークによると、男児は低酸素性脳症で入院していた。入院した時期は明らかにしていない。

 今月7日、脳に重い障害が起きていることを主治医が家族に説明したところ、同日中に家族から臓器提供の申し出があり、9日から10日にかけて、富山県の臓器移植コーディネーターが2度にわたり家族に説明を行った。これを受け、12日に両親や親族8人が臓器提供を承諾し、同日夜、両親が承諾書に署名したという。

 6歳未満の幼児は脳の回復力が強く、6歳以上では6時間以上と定められている脳死判定の間隔を24時間以上空ける厳格な基準が適用されている。法律に基づく1回目の脳死判定は13日午前9時15分から午後0時8分にかけて、2回目の判定は14日午後0時19分から行われた。これに先立ち、11日に開催された同病院の虐待防止委員会が、虐待がなかったことを確認。病院側から警察と児童相談所にも連絡し、問題がないことを確認した。

 心臓は大阪大学付属病院で10歳未満の女児に、肝臓は国立成育医療研究センターで10歳未満の女児に、二つの腎臓は富山県立中央病院の60歳代女性に移植される予定だ。寺岡慧・国際医療福祉大熱海病院長は「腎臓は2歳までに成熟するので、大人に移植しても十分機能し、医学的に問題はない」と話している。

 肺は移植に適した患者がなく、膵臓(すいぞう)と小腸は医学的な理由で断念された。

2012年6月15日00時10分 読売新聞)

 親御さんの手記
「すべての移植手術が成功したことをお聞きして、うれしく思っています。私たち家族の気持ちが、移植に携わった方々によって、レシピエントに伝えていただけたこともとてもうれしかったです。そして、本来ならレシピエントのことについて直接は知ることのできない立場の私たちですが、テレビや新聞などを通じて、レシピエントのお気持ちを知ることができたのでよかったです。また、これまでのテレビや新聞などの報道は、私たち家族の意向(匿名性)を十分に配慮していただいているので安心しております」


文献では、身体は暖かく動く事もあるという。しかし、脳死と断定された親御さんとすれば、止むおえない我が子にして上げられる最善の愛情の方法だったのだろう・・・・・黙 祷

■ちい散歩“改め”若大将のゆうゆう散歩・・・・・若はどんな散歩をするか楽しみ!

2012年04月19日 15時47分52秒 | 闘 病


東京スカイツリーをバックに“若大将ス
マイル”を見せる加山雄三。若大将があなたの街を散歩するかも!?

                   

    俳優、地井武男(69)の心臓疾患による長期療養により、5月4日で終了するテレビ朝日系「ちい散歩」(月~金曜前9・55)の後継番組が18日、同局から発表された。
歌手、加山雄三(74)がメーン散歩人を務める「若大将のゆうゆう散歩」で同7日にスタートする。

 「ちい散歩」のテイストを踏襲しつつ、道中で加山のヒット曲を流すなど新たな魅力も満載。月~木曜は加山の「若大将散歩」がメーンコーナーで、金曜は「若大将散歩」の総集編に加えて、俳優、東幹久(42)やタレント、ラッシャー板前(48)の散歩コーナーも放送される。

 加山は23年ぶりの地上波レギュラーに「天から『歩きなさい』といわれているような気がしています。街でボクが歩いているのを見かけたら、気軽に声をかけてください! 
どうぞよろしく~!!」と呼びかけている。(
サンケイスポーツ

          

ちいさんのスタッフ一緒での道中での散歩・両手を横に振り振りの歩き方・肩掛けカバン・ハンチング帽・最後はスケッチがなぜか親しみを感じTVを見ていた。あの元気なちいさんが長期療養とは気の毒、健康過信ではなかったのではと思ったりもする。

小生は健康過信で老の楽しみを失うことを余儀なくされた。ちいさんは早期に健康回復しハンチング姿のちいさんを見せてくれる事を祈ります・・・・・

さあ今度は、若大将はどんな散歩で地域の人達を楽しませてくれるか楽しみだ・・・・・


■【訃 報】「アタック25」で親しまれた児玉 清さん死去 合 掌

2011年05月17日 19時40分09秒 | 闘 病

 
実直な二枚目として映画やテレビで活躍し、テレビ朝日系「パネルクイズ アタック25」の名物司会者としても親しまれた俳優の児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)さんが、16日午後0時28分、胃がんのためなくなった。77歳だった。

 東京都出身。1958年の学習院大学卒業後、東宝ニュー・フェースの13期生となる。しばらくは端役が続いたが、61年の堀川弘通監督の「別れて生きるときも」でヒロインの初恋相手役を、65年の松山善三監督の「戦場に流れる歌」では、死を覚悟して入隊した軍楽隊員を好演した。

 67年にフリーとなり、丸山誠二監督の「日本海大海戦」、今井正監督の「妖婆」などに出演し、誠実で温厚な二枚目俳優として知られるようになった。強い個性に欠けることもあり、映画ではもっぱら脇役だったが、テレビでは、「花は花嫁」(日本テレビ系)「ありがとう」(TBS系)など、ホームドラマに引っ張りだこで、“理想の亭主”的な存在として活躍した。

 75年には「パネルクイズ アタック25」の司会者に起用され、安定感のある重厚な語り口で、30年以上も続く長寿番組を支えた。

 最近も、「ヒーロー」「ラストクリスマス」(ともにフジ系)、「ファイト」(NHK朝の連続テレビ小説)など精力的にドラマ出演をこなしていた。また、読書家としても知られ、「寝ても覚めても本の虫」など多数の著書もある。 【讀賣新聞】


最近、TVの「パネルクイズ」の司会から姿が見えないと思っていたが病と闘っていたのかと改めて思いを新たにした。それにしても突然の報せに驚いた。
  ご冥福御をお祈り申し上げます  合掌


■「キャンディーズ」田中好子さん、乳がんで死去

2011年04月22日 11時29分14秒 | 闘 病


「がんと前向きに闘っていました」。21日に亡くなった女優、
田中好子さん(享年55)の夫で、夏目雅子ひまわり基金代表の小達一雄さん(56)は同日夜、都内で緊急会見。悲しみを必死に抑えながら、その闘病生活の一端を明かした。また、田中さんの墨彩画の師匠だったタレント、片岡鶴太郎(56)は、サンケイスポーツの取材に「入院していたことを知らなかった…」と言葉を失った。

 田中さんの死から約3時間半後。小達さんは憔悴しきった表情で、病院の玄関前に姿を見せた。

 「いつも『女優をやりたい』と言っていました。本人はがんと闘っていくということを前向きに話していました。彼女は非常に強かったです」。1992年から約20年の長い間、がんと闘い続けてきた愛妻の姿が思い出されたのか、たまらず、声を詰まらせた。

 小達さんは85年に妹で女優、夏目雅子さん(享年27)も急性骨髄性白血病で亡くしている。「がんは憎い病気ですが、治らない病気ではない。妻も治してあげたかった」と無念さをにじませ、「田中さんとの最後の会話は?」との質問に「しばらく、胸にとどめていたいので」と頭を下げた。 【産経新聞抜粋】
 55才とは余りにも若すぎる。ご冥福を祈ります    合掌


■【訃 報】・・・・「コント55号」坂上二郎さんが死去・老兵は去るのみか

2011年03月10日 20時04分25秒 | 闘 病

                         

お笑いコンビ「コント55号」で知られるコメディアンで俳優の坂上二郎さんが10日午前9時40分、脳梗塞のため栃木県那須塩原市の病院で死去した。76歳だった。鹿児島市出身。葬儀は近親者で行う。

 中学校を卒業後、鹿児島市内の百貨店に勤務したが、1953年にNHKのど自慢で優勝したのを機に歌手を目指して上京。その後、獅子てんや・瀬戸わんやの門下になり、浅草の劇場でコメディアンとして活躍。そこで、萩本欽一さんと知り合い、66年にコンビを結成した。コンビ名は、王貞治選手の本塁打新記録55本にあやかってコント55号にした。

 テレビ出演の際、テレビカメラの枠を無視して跳ね回り、それまでになかったダイナミックなコントを展開し、一躍お茶の間の人気者になった。中でも「飛びます、飛びます」のフレーズは有名。「お昼のゴールデンショー」や「コント55号のなんでそうなるの?」「ぴったしカン・カン」などのバラエティー番組のほか、喜劇映画「コント55号」シリーズで人気を集め、一時代を築いた。

 70年代に入ってからは俳優として本格的に活動を始め、ドラマ「夜明けの刑事」シリーズでは、主人公の人情刑事を好演。映画「天城越え」(三村晴彦監督)、「御法度」(大島渚監督)などに出演したほか、舞台でも活躍した。

 2003年にゴルフ場で脳梗塞の発作を起こしたが、リハビリで舞台に復帰。萩本さんと共演するまで回復したが、昨年8月に再び自宅で倒れ、入院していた。 【時事通信】 
   

      

昭和を一世風靡し、お茶の間を沸かした二郎ちゃんも居なくなった。一番寂しくなったのは相棒の欽ちゃんだろうね。昭和の人間も段々寂しくなっていく・・・・・・・
        ご冥福を祈ります 合 掌